小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

お返事が来た。 133

二つ前の記事で、日食なつこ好きの小学生へお手紙を書いたことを書いた。

 

yamanyo.hatenablog.jp

 

木曜と金曜の二日間、宿泊学習に行っていたので、

一昨日、一日ぶりに夕方学校へ戻ってきた。

反省会を済ませ、最低限の片づけをし、

そそくさと帰宅しようとしたところ、

「にょん先生、おかえりなさい。あ、これAくんとこから手紙来てました。」

そう言って、封筒に入った手紙を渡してくれた。

封筒の裏を見ると、丁寧な字でこう書かれていた。

 

「にょん先生へ

 

 第1弾

 A母より」

 

母?第1弾?

疑問はいくつかあったが、とりあえず開けて読んでみる。

 

にょん先生へ

 

先日は、とても嬉しい、そして楽しいお手紙を息子に頂いて有難うございました(^O^)

「子どもに聴かせる曲は他にもあるやろー!!」

「夜の街に連れ出して、なんたることか💢」などと、

"教育"の観点からすると、なんてひどい親だ!!とお叱りを受けそうですが…。

私たちが(特に主人)ライブ好き、フェス好き、音楽好き…まぁ楽しい事好きで、でも子どもを置いて出かけるというスタンスが私は苦手で、今まで子どももまとめて楽しめる場所を求めて出かけていたんですが(オトダマとかレキシとか)、4年生にもなったし、マニアックな歌ばかり口ずさむ息子を見て、『よし、解禁だ。』という事になりまして(≧▽≦) 

この度、初ライブハウスデビューを果たしたのです。しかも日食なつこが初という、何とレアな小4.色々と歌える曲も彼にはあるので、ぜひ昼休みにでもセッションしてください(笑)

お手紙に喜んだ主人は、今一生懸命、にょん先生への返事を悩みながら執筆している途中ですので、第2弾を楽しみにお待ちください(^^♪

取り急ぎ、不良な母より「お礼申し上げる」の巻でした。

※コマキのドラムは、今まで聴いたことのないメロディーを奏でるリズムだと私は思います!!

 

いやいや…、最高ですか?

もう、文面からお人柄がにじみ出てるというか…。

終始ニヤニヤしながら読んでしまった。

ステキなご家族だなあと心がほっこりした。

そして、「第一弾」の謎も解けた。

お父さん、第二弾書いてくれてるという(笑)

一体、どんな手紙なのか…。

気になって気になって仕方ない。

彼とのセッションや音楽トークもどこかで実現させたいな。

やっぱり音楽は人と人とをつなぐ最高のツールだ。

 

「町田くんの世界」 132

昨日、先週に引き続き、2週連続で、映画を見に行った。

先週の「海獣の子供」と並んで、見たかった「町田くんの世界」だ。

見たいと思ったのは、監督が石井裕也だったから。

舟を編む」で一気に知名度が上がったが、

他にも、「あぜ道のダンディ」や

最果タヒの詩集が原作の「夜空はいつでも最高密度の青色だ」など、

ステキな作品がたくさんある。

極めつけは「川の底からこんにちは」。

あの衝撃は、これまで見た邦画の中でも群を抜いている。

 

そんなインパクトの強い作品をたくさん作る石井監督の新作。

きっと面白いに違いない。

主演二人がオーディションで選ばれたほぼ素人。

しかし、わきを固める俳優芯が死ぬほど豪華。

そんな配役にも興味をそそられた。

 

町田くんは「誰にでもやさしくしてしまう」博愛主義者の高校生。

そんな町田くんが、ある日、「人が嫌い」だという猪原ななと出会う。

二人の関係は、周りにいる人たちを巻き込んで、行きつ戻りつしながら、

衝撃のクライマックスへなだれ込んでいく。

二人の恋と青春の物語。

そんな感じだろうか。

 

ここからは、いつものように私個人の感想。(ネタバレあり)

そういう意図で映画がつくられているのかとか、

そんなことは知らないけれど、

とにかく鑑賞して自分が思ったこと、考えたことだけを書く。

 

映画を観ていて、気付いたら、涙を流している場面が4つあった。

一つ目は、町田くんがクラスメイトの西野くんと猪原さんと

3人でボーリングに行く場面だ。

町田くんは、スポーツも勉強もできない。

当然ボーリングもできない。

スコア表には、町田くんだけ「G」「0」が並ぶ。

けれど、町田くんは、淡々としている。

自分のできなさに慣れてしまっている。

自分自身へのあきらめがにじむ。

そして、最終投球。

町田くんが投げたボールは、ゆっくりとレーンを転がりながら、

最後に一番端の1ピンだけ倒す。

スコア表に初めて表示される「1」。

けれど、町田くんは喜ばない。

どころか、肩を落とす。

「やっぱり自分はこうなんだ。」表情がそう物語っている。

その時、そんな町田くんにクラスメイトの西野くんが後ろから抱きつく。

「町田くん…!1本倒れたよ!1本倒れたんだよ…!」そう言って、

町田くんの背中に顔をうずめる西野くん。

これだけ書くと、西野くんがオーバーな奴に見えるかもしれないが、

それは私の書き方が下手くそだからなので、申し訳ない。

西野くんは、町田くんの優しさや一生懸命さに救われたうちの一人だ。

だから、町田くんが肩を落とす姿を見て、

何か自分にできることはないかと、

いてもたってもいられなくなった結果、

先に書いたような行動に出たのである。

 

二つ目は、仕事でアマゾンに行っていて普段家にいない父が、

帰ってきた場面である。

猪原さんのことが気になって、でも、わからなくて、

心の中がモヤモヤで今にも爆発しそうな町田くん。

 

町田くん「ねえ、お父さんはどうしてお母さんを好きになったの?」

父「これまで世界中の色んな生き物を調査したり、観察して、研究してきただろう?…わからなかったんだよ。」

町田くん「え?」

父「母さんだけは、どんなに研究してもわからなかったんだよ。そりゃ夢中になるだろ?だから今でもこっそり研究を続けてる。」

父「はじめ、世界はわからないことがあるから、おもしろいんだよ。わからないことがあるから、美しいんだよ。だからな、わからないことには、しっかりと向き合え。向き合って、自分の胸に聞いてみるんだ。」

父役の北村有起哉の演技が最高だった。

 

三つ目は、町田くんが自転車で爆走しながら、雨の中、自分の本当の気持ちに気付く場面。

「ぼくは、猪原さんが好きだ!あの時も、あの時も…初めてあった時から好きだったんだ!」

町田くんが人生で初めて自分が好きな人への気持ちでいっぱいになる。

町田くんが手に入れた「自分」というみずみずしさに心が動く。

 

最後の四つ目は、クラスメイト達が、町田くんのピンチに、

自分のことを投げうって駆けつける場面。

このとき、それまでの町田くんと、クラスメイトたちの立ち位置が、

見事に反転する。

このことは、母役の松嶋菜々子の言葉に集約されている。

「あら、はじめは、今大変なときね。世界がグルんと変わっちゃうから。」

「人のことばかり考えていた」町田くんと、「自分のことばかり考えていた」クラスメイト。

が、

「自分のことに必死になる」町田くんと「町田くんのことだけを考えている」クラスメイト。

この反転が鮮やかで、映画のクライマックスを盛り上げている。

 

 

 

世界はわからないからおもしろいし、世界はわからないから美しい。

 

そんな世界を、周りにいる人たちが、町田君というフィルターを通して、

見ていくのである。

その過程が最高にステキで、その純粋さに、美しさに涙してしまうのだ。

人のことばかり考えている町田くん。

そんな彼のやさしさや一生懸命さに心動かされて、

変わっていくクラスメイトや周りの大人たち。

そんな、町田くんに影響を受けて変わった周りの人たちに影響を受けて、

「誰にでもやさしくすることは、誰かを傷つけることにもなる」と気付く町田くん。

町田くんが、周りの人々を満たし、

その周りの人々が町田くんを満たす。

わからないことだらけの世界は、悪意に満ちているように見えてしまうけれど、

それでも、一生懸命、向き合って、悩んで、

そうやって生きていく世界はきっと美しい。

セリフが、登場人物が、ストーリーが、

「存在の肯定」をものすごく強く応援してくれている。

だから、見終わった後の、胸に希望が宿る感じが何とも心地いい。

趣味の合う小学生。 131

先日、放課後の職員室での出来事である。

自分の机で仕事をしていると、

他学年のN先生が声をかけてきた。

「にょん先生、これ見てください。うちのクラスのA君の自主勉。」

そう言われて見てみると、そこには、土日の作文が書かれていた。

その中には、休日に家族でライブハウスへ行き、

日食なつこのライブを見てきたという内容が書かれていた。

A君は、中でも「水流のロック」が大好きで、

ドラムをたたいていたコマキもかっこよかったとのこと。

 

私は、その作文を読んで、大興奮してしまった。

それはなぜか。

そう、日食なつこの大ファンだからだ。

 

 

yamanyo.hatenablog.jp

 

こんなことをブログに書くくらい好きである。

興奮した私は、N先生に頼んで、A君の自主勉をコピーしてもらった。

読めば読むほど、うれしさがこみあげてくる。

まさか、小学生で同じ日食なつこ好きな子に出会うとは。

これは、何とか一緒に、音楽トークをしたいなあと思った。

しかし、A君との接点は、ほぼゼロ。

同じ学校にいるということぐらいだ。

そこで、私はA君に手紙を書くことにした。

このうれしさを、何とか彼に伝えたかった。

 

そして、便せん二枚に熱い思いを綴った。

 

Aくんへ

 

こんにちは!突然のお手紙、失礼します。

5年生の担任をしているにょん先生です。

…っていきなり手紙を送りつけてきて、何なんだ!?

ってびっくりさせたよね。ごめんね。

実は、少し前のことなんだけど、放課後、職員室で仕事をしている時に、

N先生がAくんの自主勉ノートを見せてくれたんだ。

そこには、Aくんが家族でライブハウスにライブを観に行ったことが

書いてあったんだ。

それを読んだらいてもたってもいられなくなって、

こうして手紙を書いています。

なぜなら、にょん先生も日食なつこが、大好きだからです。

ライブにも10回くらいは行ったかなあ。

そして、日食さんを好きになったきっかけは、

「水流のロック」という曲です。

そう、Aくんが一番好きと書いていたあの「水流のロック」です。

 

少し前の話になります。

先生は、当時tricotってバンドが大好きで(今も)、

よくライブにも行ってたんです。

その時、そのtricotでドラムをたたいてたのが…何を隠そう、

コマキだったのです。

そのあと、色々あってコマキは、バンドから脱退しました。

でも、コマキのドラムが大好きだった先生は、

彼がバンドをやめてからも、

インターネットでその動向を探っていたのです。

そしたら、ある日突然、Youtubeに「水流のロック」がアップされ、

「何ちゅうかっこよさじゃあああ!」とひとめぼれならぬ、

ひとぎきぼれしてしまったというわけです。

 

長々と自分の話ばかりしてごめんね。

でも、夢中で書いてしまうぐらいうれしかったんです。 

大好きな日食なつこの話が通じるAくんがいることを知って。

Aくんが行ったっていうライブハウスにも、

他のバンドや歌手のライブでよく行くから、

それもまたうれしくって。

Aくんの自主勉のおかげで、また日食なつこのアルバム、

全部聞き直したいなあって気持ちです。

また機会があれば、日食なつこトーク一緒にしたいです。

そしてすてきな音楽があったら、また教えてほしいです。

じゃあね、また学校で。

 

長い。

今見返して、思う。(もっと前に気付け。)

この手紙は、N先生に頼んで、A君に渡してもらった。

これ読んで、どんな顔してたんやろう、A君。

びっくりしたやろなあ。

んー、でも、大好きな音楽が同じってだけで、

こんな幸せな気持ちになれるなんて、

やっぱ音楽は偉大だ!

音楽に大人も子どももないなあ。

音楽の前では、みんな一人の人間。

どこまでいっても、対等。

 

もし、A君から何か反応があったら、また書きます。

 

海獣の子供。 130

昨日、映画「海獣の子供」を観に行った。

原作は読んだことがなかった。

以前、作家の伊坂幸太郎「SOSの猿」との競作企画で話題になった

「SARU」は、読んだことがある。

今回、この映画を見ようと思ったのには、二つの理由がある。

 

一つ目は、この映画の主題歌を担当している「米津玄師」である。

大好きで、その彼が「海獣の子供」の原作が好きすぎるあまり、

映画化に際して、主題歌を担当させてほしいと直談判したというのだ。

大好きな米津玄師がそこまでほれ込む作品とは、

いったいどんなものなのか、興味があった。

 

二つ目は、映画「海獣の子供」の制作を

これまた大好きな「STUDIO4℃」が手掛けていたからだ。

鉄コン筋クリート」の衝撃は、いまだに鮮明に記憶に残っている。

 

そんなわけで、週末の楽しみとして、この映画を観るに至った。

 

午前中に、チケットを購入し、19:10から鑑賞した。

館内は、時間帯だろうか、人影もまばら。

落ち着いて、ゆったり観られそうで、良かった。

しばらくの上映作品の予告や、いつもの注意事項の映像が流れた後、

館内の照明が落ち、本編が始まった。

 

ここでは、映画のあらすじについては書かない。

というか、書ける自信がない。

だから、鑑賞して自分が考えたり思ったりしたことを、

ひたすらに綴ることにする。

 

観終わって、頭の中に鮮烈に残っていたのは、

映画「海獣の子供」のキャッチコピー。

 

「大切な約束は、言葉では交わさない。」

 

それと、米津玄師が、この映画のために書き下ろした

主題歌「海の幽霊」のサビの一節。

 

「大切なことは言葉にならない。」

 

私の感想は、すべてここに集約される。

このブログを始めて、

意識的に言葉でのアウトプットを続けてきた今だからこそ、

そのメッセージに響くものがあったのだろう。

 

少し立ち止まって考えてみれば、わかりそうだが、

アウトプットに意識的になっている時、

忘れていることが多い。

そうなのだ。

「言葉は、この世界の全てを表せるわけではない」のだ。

人間は、世界のほんの一部を、

言葉という「記号」にして、

人間の目に見える形に、理解できる形にしているに過ぎない。

言葉にすることで、人はそれを共有することができる。

自分の思いを伝えることができる。

他者の思いを受け取ることができる。

でも、それは、世界の全てではない。

日々感じるうまくいかないモヤモヤも、

休みの日に窓を開けて、心地よい風が入ってくる気持ち良さも、

大好きな人と食べるおいしい料理の味も、雰囲気も、温度も、

言葉が伝えられるのは、そのほんの一部だ。

 

世界はもっともっとわからなくて、神秘的で、

人の手には負えなくて、理解の及ばないものだ。

言葉にしようとした途端、消えてしまうものも、きっと、ある。

言葉にして形にできるもの、

言葉にすると消えてしまうもの、

言葉にできないもの、

それらすべてひっくるめて、世界だ。

 

人は、言葉にしないと、忘れていくものがたくさんある。

昨日の晩御飯の時の焼き魚の味だったり、

旅行前日のわくわくする眠れない感じだったり、

雨の日、バイクで出勤する時にかいだ朝のにおいだったり。

でも、きっと、それでいい。

それでいいことがたくさんある。

 

言葉にすることは大切だけれど、

それと同じぐらい

言葉にできないものも大切にしたいと思った。

言葉にできないことを大切にしたいと思った。

言葉にできない自分を大切にしたいと思った。

 

言葉にすることで、何かを明らかにしようとすること、

自分を取り巻く世界の輪郭をよりはっきりと認識しようとすること、

それ自体は、悪いことではない。

むしろ、大切なことだ。

 

要は、バランスなんだ。

全てを言葉にできると思いあがると、

きっと世界はもっと見えなくなる。

 

言葉は万能ではない。

そのことをいつも心にとどめておく。

それが、そのスタンスこそが大事なのだ。

 

そういう意味で、この映画「海獣の子供」は、

この「言葉にできないこと」や「言葉にできないもの」を

「言葉にできないまま描く」ことを徹底している。

だから、最初に私は書いた。

「この映画のあらすじを書く自信がない」と。

説明できない。

説明しようとすると、

途端に、その魅力が薄れてしまうような、

そんな感覚に陥る。

 

「言葉にできない」を「言葉にできない」まま、

受け止めるには、やさしさが必要だ。

そのやさしさでもって、世界と向かい合った時、

世界もやさしく自分を受け止めてくれるのかもしれない。

 

「言葉にできる」と「言葉にできない」。

どちらも大切にできる人間でありたい。

強くそう思った。

収まらない思い。 129

宿泊学習が迫ってきた。

付き添いの先生方との打ち合わせや、旅行代理店、

宿舎の方との連絡などで忙しい日々を送っている。

子どもたちの方も、ほぼ全てを決め終え、

キャンプファイヤーの練習も佳境に入った。

 

学年で仕事分担をしてるのだが、

私の担当の一つに、バスレクがある。

文字通り、行き帰りのバスの車内で、

子どもたちが楽しむゲームを実行委員と考え、

準備をする仕事だ。

今回、することに決まったバスレクの一つに「カラオケ」があった。

CD音源を流して、車内に二本あるマイクを回しながら、

みんなで歌うのだ。

実行委員が各クラスから歌いたい曲のリクエストもとり、

それを集計して、みんなで歌えそうな曲を選別し、

カラオケ曲リストを作成した。

せっかくなので、歌詞カードも用意しようということになり、

冊子作りは子どもたちに任せるのだが、

さすがに歌詞のデータ化は、時間がかかるので、

私がパソコンで準備することにした。

 

今日の放課後、ひたすらその仕事をしていた。

歌詞カードの仕様はB5サイズで横向き2段組み。

半分に折って、ホッチキスで閉じると本のようになる。

そのスタイルを死守したい思いから、

1曲分の歌詞をB5一枚に収めることにした。

歌詞の多い・少ないによって、

フォントサイズが多少変わるが、やむを得まい。

フォントサイズを一定にすると、ページ数が膨大になってしまい、

冊子作りが困難を極めるからである。

 

一曲ずつ歌詞をコピーし、ワードに貼り付け、

フォントサイズを調整して、B5サイズに収めていく。

作業は、順調に進んだ。

…そう、あの曲がくるまでは…。

 

ようやくゴールが見えてきたところで、

TWICEの「T.T」の歌詞カード化に取り掛かった。

うー…、この曲なかなか歌詞長いやんけ。

今までにない長さに、B5規定を守れるか不安を感じた。

が、その不安は見事的中するのであった。

B5三枚分…。

ぐっ、フォント18では無理もないか。

私は、フォントを14まで下げた。

そして、一行に入る字数を大幅に増やし、

行数の削減を狙った。

この狙いは一定功を奏した。

かなりの行数削減に成功。

…が、しかし…、

まだB5一枚サイズにはなっていない。

カタカナを半角にしたり、

一行の字数をギリギリまで増やしたり、

涙ぐましい努力を続けたが、

なかなかB5一枚の壁を越えることはままならなかった。

 

私は、頭を抱えた。

くそっ、いったいどうすれば、B5一枚に収められるというんだ。

解決策はすでに頭に浮かんでいた。

フォントを小さくすることだ。

しかし、それは問題の解決にはなるが、

一方で、歌詞カードとしての機能を低下させるという、

諸刃の剣であった。

フォントサイズを小さくすると、単純に見にくいからだ。

見にくい歌詞カードに、果たして歌詞カードとしての価値があるのだろうか。

私は、悩んだ。

しかし、ここまで来たからには、諦めるのは納得できない。

とことんまでトライ&エラーだ!

私は、あの手この手で、「B5一枚に収め、かつ、見やすい」を目指し、

試行錯誤を繰り返した。

 

しかし、だめだった。

もう私が思いつく手はすべて試し切った。

しかし、TTは一向にB5一枚に収まってくれない。

そんな時、私の目にTTの歌詞の一部が飛び込んできた。

 

 

 

「気分逆撫で イライラで 爆発しそう」

 

 

 

それ、今のワシやないかーーーーー!!

それTWICEやのうて、わし、NYONサイドのセリフや!!!!!

 

 

 

―それから30分後。

私は、仕上がった歌詞カードを学年分印刷していた。

「ふう、何とか今日中に片が付いて良かった。」

そんな思いで印刷を続ける私の前に、

規則的なリズムで、印刷機から吐き出される歌詞カード。

そこには、T.Tの歌詞が…。

 

 

 

 

フォントサイズ11。

 

 

 

 

 

あきらめましたーーーーーっ!!!

 

 

この歌に関しては、

 

「みんな、当日までに覚えてきて。」

 

そう一言付け加えようと思います。

プレゼント? 128

今日の出来事。

 

「先生、これ作ってんけど、いらんからあげるわ。」

 

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せつる?と言うらしい。

いやいや、自分がいらんもん人にあげる?笑

と思わなくもないが、ふと立ち止まる。

これをくれた男子は、外遊びが大好きで、

絶賛反抗期真っただ中のなかなか難しいお年頃。

で、急にこんなプレゼント。

ツンデレか。

こんなん、先生きゅんときてまうやないか。

どうもありがとう。

どうしてこれを私にくれることになったのか、

本当のところはわからないが、

彼との最近の関係をふり返って、

思い当たる節がないわけでもない。

そんなことに思いを馳せると、

とても心がほっこりする。

 

今日の出来事2

 

「先生、これ先生に似てない?あげる。」

 

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似てる…のか?

「え、ありがとう。でも、ごめん…これ、先生と似てる…?」

 

「うん。」と二人の女子。

 

「先生って、軟体動物やっけ?こんな感じ?」

 

そう言って、口をたこの形にして、

もらった折り紙を顔の横に掲げてみせた。

 

「キャーッ!」と言って、逃げていく女子たち。

何やねん。

でも、これ作ってる時、

「先生にこれ渡したら、どんな反応するかな?」

ってニヤニヤしながら作ってたんやろうなあ。

そう思うと、こっちまでニヤニヤしてくる。

捨てられるわけもなく、机の中にしまった。

 

今日の出来事3

 

「先生、なんか適当に色々作ってたら、かかしになったからあげる。」

 

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かかし…だね、うん。

下の方に書いてある「カカシ」のアピールがかわいい。

これをカカシってわかってもらえるか自信なかったんかな。笑

しかし、なんか適当にカカシ以外のゴールを目指してて、

最終的にカカシにたどり着くって、子どもは本当にすごい。

私だったら絶対にこうはならない。

その発想力に感服する。

やわらかなその頭に嫉妬すら感じる。

 

くれた男子は、ちょっと恥ずかしそうだった。

ひょっとしたら、先の二つの出来事をどこかで見ていて、

「自分も」と思ってくれたのかもしれない。

とりあえず、田んぼ開墾しよかな。笑

 

 

何だか今日はプレゼントの多い日だった。

子どもたちのこんなちょっとしたことで、

心がすごく澄んでいく。

やわらかく、穏やかになる。

私は、子どもたちをそんな心にさせることができてるんだろうか。

担任と児童、ではなく、

人と人として、

お互いにそんな風に関わり合えたらなと思う一日だった。

18冊目「マインドセット学級経営」 127

今年度18冊目の読了はこちら。

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マインドセット学級経営/アニーブロック、ヘザー・ハンドレー著」

最近、教育書を何冊か購入し、同時に少しずつ読み進めている。

そんな中の一冊がこの本だ。

発売前から、気になっていて、発売されたら必ず買おうと思っていた。

 

というのも、昨年ごろから、

自身の学級経営を見つめ直すようになっていたからだ。

SNS上や書籍で、様々な先生方の実践に触れる中で、

「自分の学級経営は本当に今の方針でいいのか。」

「今後も同じような流れで続けていって大丈夫なんだろうか。」

そんなことを思うようになっていた。

 

思えば、初任の年から、一緒に学年を受け持つ先生に恵まれた。

「あれもやりたい。これもやりたい。」

と欲張りだった私の実践アイデアに、

ベテランの先生たちは「やってみたらいいよ。」と背中を押してくれ、

自由にさせてもらえた。

そんな経験を積む中で、うまくいくこと・いかないこと、

様々あり、自分なりの取捨選択を繰り返し、

ブラッシュアップしてきた「つもり」だ。

幸い、子どもたちにも恵まれた。

今振り返ってみても、自分のやりたいことと

子どもたちのモチベーションも

ある程度リンクしていたように思う。

一方、学級崩壊寸前までクラスがうまくいかない年も経験した。

不登校やいじめも経験した。

自分なりの紆余曲折を経て、現在。

改めて、自身の学級経営について、

先のように、自分に問うことが多くなった。

 

「どんなクラスを目指しているんだ?」

「何を軸にクラスの子どもたちと向き合っていくんだ?」

 

昔ほど若いわけでも、もうない。

勢いだけでは、その場は乗り切れても、

最後までそれだけではやっていけない。

 

これまで積み重ねてきた経験則のようなものを、

一度このタイミングで全て見つめ直し、

理論とリンクさせ、価値づけ、

不必要なものは捨て、それらを体系化し、

これから先の子どもたちと向き合っていきたい。

感覚も大事だが、感覚だけではだめだ。

理論も大事だが、理論だけではだめだ。

大事なのは両者のバランス。

そのバランスを今、しっかり見極めていくべきだ。

自分を見つめるもう一人の自分がそう語りかけてくる。

 

そんな今の私にとっては、本当に学ぶべきことが多い、

最高の一冊だった。

実際、この本に書かれている内容を、

学級の子どもたちに合わせてチューニングし、

今後取り組んでいこうと考えている。

 

本書は、帯にもあるように、

「成長的マインドセットで前向きに挑戦できる学級をつくる」

ことを目的として書かれた。

成長的マインドセットと言う言葉がキーワードになってくるのだが、

その対となる言葉として、固定的マインドセットが登場する。

両者の違いを本書では以下のように定義づけしている。

 

固定的マインドセット:人は生まれたときから知能と能力が決まっているという考え。固定的マインドセットの人は、挑戦や失敗を避ける傾向があり、豊富な経験や学びに満ちた人生を自ら放棄している。

 

成長的マインドセット:練習、忍耐や努力で、人はいくらでも学び、成長できるという考え。成長的マインドセットの人は、失敗や恥を恐れず、自身をもって新しいことに挑戦し、常に成長することに価値を置いている。

 

成長的マインドセットでもって、

成長志向の学級を作っていくにあたっては、

まず、教師自身が成長的マインドセットをもって、

子どもたちに関わっていくことの重要性が書かれている。

確かに、その通りだ。

教師が、固定的マインドセットだったなら、学級の子どもたちは

きっと、失敗を責任転嫁したり、

事なかれ主義になったりする可能性が高いだろう。

少し考えれば、誰でもこの事実にたどり着く。

しかし、教師という生き物は、口ではそうは言っても、

知らず知らずのうちに、完ぺきを目指していたりする。

無意識に目には見えない教師側の都合で

動いていることも多々ある。

でもそんなことでは、子どもたちは安心してチャレンジできない。

チャレンジができなければ、成長の機会はその多くが失われてしまう。

口では、

「失敗なんて気にしないで、どんどんチャレンジしていこう!」

と言って、

本当に失敗しても、

子どもたちが不利益を被るようなことになっていないだろうか。

そんなことも振り返るきっかけになった。

 

本書は、全部で12の章に分かれている。

それぞれの章が、毎月のマントラについて解説していく形式になっていて、

読み終わると、ちょうど一年が終わり、

成長的マインドセットの学級が出来上がっているような、

そんな構成になっている。

随所に、精神論で片づけない科学的根拠も示されていて、

これまでの実践と理論を結び付けて整理したい私にとっては、

どの章も非常に参考になった。

 

理論だけではなく、成長的マインドセットについて学ぶための

アクティビティやワークシートも充実していて、

うまく活用すれば、総合的学習の時間などを使って、

単元を組んで、取り組んでいけるのではないかと感じた。

 

読み終わってみて、これまでの自信の学級経営を振りかえり、

気付いたことがある。

初任の年からずいぶん長い間、

私は学級経営の中で、

「自分がこんなことをしたらきっと面白いだろうなあ」

ということを積極的に提案し、子どもたちを乗せ、

実践し、楽しんでいたな、と。

そういうことが全て間違っているとは今でも思わないし、

本書で言うところの固定的マインドセット傾向の強い子どもたちの場合、

成長的マインドセットを学ぶと同時に、

教師が少しリードして提案することで、失敗も含めて楽しむ経験を積む、

ということが必要な時もあるだろう。

でも、それはあくまで一時的なものにすぎないのだ。

本質からは外れることなのだ。

学級は、教師のものではない。

そして、学級は、

本質的には教師がコントロールするものではないし、

コントロールできるものでもないのだろう。

主役はどこまでいっても、子どもたちであるべきだ。

その本質的な姿勢を忘れると、

教師の自己満足や商人欲求の道具に成り下がってしまいかねない。

過去の自分を思い返すと、そういうことが確実にあった。

今思えば、恥ずかしい限りである。

思い上がりも甚だしい。

主役である子どもたちがつくり、

試行錯誤しながら、安心・安全に過ごせる

それぞれの居場所にしていかなければいけない。

けれども、子どもたちだけでは、

うまく乗り越えられないこともたくさんある。

だから、教師が存在する。

それも、正解を提示するのではなく、

一緒に考え、子どもたちの中に眠る答えを引き出すきっかけを作る。

フィードバックを意識するのだ。

以前、読んだ「3分間コーチング」とリンクする。

 

そして、もう一つ。

クラスは、クラスのために存在するのではない。

クラスは、どこまでいっても、

「一人一人の子どもの成長のために存在する。」

クラスのために子どもたち一人一人が存在するのでは決してない。

そのことを忘れてしまうと、一人一人がクラスの犠牲になったりする。

本当の意味での一人一人の安心や安全な居場所にはなりえない。

この視点でもって、教室や学級をデザインしていくことが、

これからの時代ますます強く求められるだろうなと感じる。

今ここに立ち返り、気付き、言語化できて良かった。

 

幸い、今進めている学級づくりに関しては、

大きく道を踏み外していないなと思う。

でも、改善の余地はまだまだある。

私は、まだまだ黒子に徹することができるはずだ。

 

この本は、教室において、

折に触れて読み返すことで、

まだまだ自分の血肉にすることができる可能性を秘めている。

だから、長いスパンで繰り返し、読み込もうと思う。

 

この本を読むことを通して、

自分の学級経営の現在地を確認し、

今後の進むべき方向が明確になったのは大きな収穫だった。

完ぺきを目指すのではなく、成長し続ける教師で在り続ける。

簡単なことではないが、やってやれないことはない。

これからもまず、自分自身がトライ&エラーを積極的にして、

小さな改善・修正を繰り返し、

子どもたち一人ひとりが、輝き、安心して居心地の良さを感じられる

クラスづくりの「サポート」をしていきたい。

 

んー、なんか支離滅裂な文章になってしまった…。

でも、私の頭の中は、割とすっきりしてるんです。笑

(→ただの文章力の問題)

 

一年後、どんなクラス、どんな子どもたちに、成長しているのか、

すごくすごくワクワクする。

この成長へのワクワク、ずっと持ち続けていたい。