小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

海獣の子供。 130

昨日、映画「海獣の子供」を観に行った。

原作は読んだことがなかった。

以前、作家の伊坂幸太郎「SOSの猿」との競作企画で話題になった

「SARU」は、読んだことがある。

今回、この映画を見ようと思ったのには、二つの理由がある。

 

一つ目は、この映画の主題歌を担当している「米津玄師」である。

大好きで、その彼が「海獣の子供」の原作が好きすぎるあまり、

映画化に際して、主題歌を担当させてほしいと直談判したというのだ。

大好きな米津玄師がそこまでほれ込む作品とは、

いったいどんなものなのか、興味があった。

 

二つ目は、映画「海獣の子供」の制作を

これまた大好きな「STUDIO4℃」が手掛けていたからだ。

鉄コン筋クリート」の衝撃は、いまだに鮮明に記憶に残っている。

 

そんなわけで、週末の楽しみとして、この映画を観るに至った。

 

午前中に、チケットを購入し、19:10から鑑賞した。

館内は、時間帯だろうか、人影もまばら。

落ち着いて、ゆったり観られそうで、良かった。

しばらくの上映作品の予告や、いつもの注意事項の映像が流れた後、

館内の照明が落ち、本編が始まった。

 

ここでは、映画のあらすじについては書かない。

というか、書ける自信がない。

だから、鑑賞して自分が考えたり思ったりしたことを、

ひたすらに綴ることにする。

 

観終わって、頭の中に鮮烈に残っていたのは、

映画「海獣の子供」のキャッチコピー。

 

「大切な約束は、言葉では交わさない。」

 

それと、米津玄師が、この映画のために書き下ろした

主題歌「海の幽霊」のサビの一節。

 

「大切なことは言葉にならない。」

 

私の感想は、すべてここに集約される。

このブログを始めて、

意識的に言葉でのアウトプットを続けてきた今だからこそ、

そのメッセージに響くものがあったのだろう。

 

少し立ち止まって考えてみれば、わかりそうだが、

アウトプットに意識的になっている時、

忘れていることが多い。

そうなのだ。

「言葉は、この世界の全てを表せるわけではない」のだ。

人間は、世界のほんの一部を、

言葉という「記号」にして、

人間の目に見える形に、理解できる形にしているに過ぎない。

言葉にすることで、人はそれを共有することができる。

自分の思いを伝えることができる。

他者の思いを受け取ることができる。

でも、それは、世界の全てではない。

日々感じるうまくいかないモヤモヤも、

休みの日に窓を開けて、心地よい風が入ってくる気持ち良さも、

大好きな人と食べるおいしい料理の味も、雰囲気も、温度も、

言葉が伝えられるのは、そのほんの一部だ。

 

世界はもっともっとわからなくて、神秘的で、

人の手には負えなくて、理解の及ばないものだ。

言葉にしようとした途端、消えてしまうものも、きっと、ある。

言葉にして形にできるもの、

言葉にすると消えてしまうもの、

言葉にできないもの、

それらすべてひっくるめて、世界だ。

 

人は、言葉にしないと、忘れていくものがたくさんある。

昨日の晩御飯の時の焼き魚の味だったり、

旅行前日のわくわくする眠れない感じだったり、

雨の日、バイクで出勤する時にかいだ朝のにおいだったり。

でも、きっと、それでいい。

それでいいことがたくさんある。

 

言葉にすることは大切だけれど、

それと同じぐらい

言葉にできないものも大切にしたいと思った。

言葉にできないことを大切にしたいと思った。

言葉にできない自分を大切にしたいと思った。

 

言葉にすることで、何かを明らかにしようとすること、

自分を取り巻く世界の輪郭をよりはっきりと認識しようとすること、

それ自体は、悪いことではない。

むしろ、大切なことだ。

 

要は、バランスなんだ。

全てを言葉にできると思いあがると、

きっと世界はもっと見えなくなる。

 

言葉は万能ではない。

そのことをいつも心にとどめておく。

それが、そのスタンスこそが大事なのだ。

 

そういう意味で、この映画「海獣の子供」は、

この「言葉にできないこと」や「言葉にできないもの」を

「言葉にできないまま描く」ことを徹底している。

だから、最初に私は書いた。

「この映画のあらすじを書く自信がない」と。

説明できない。

説明しようとすると、

途端に、その魅力が薄れてしまうような、

そんな感覚に陥る。

 

「言葉にできない」を「言葉にできない」まま、

受け止めるには、やさしさが必要だ。

そのやさしさでもって、世界と向かい合った時、

世界もやさしく自分を受け止めてくれるのかもしれない。

 

「言葉にできる」と「言葉にできない」。

どちらも大切にできる人間でありたい。

強くそう思った。