小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

35冊目「ほんとうの道徳」 209

今年度35冊目の読了はこちら。

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「ほんとうの道徳/苫野一徳」

苫野先生の著書を読むのは2冊目。

オンライン講座を受講したり、前回の著書「『学校』をつくり直す」を読んで、すごく感銘を受けていたので、他の本も読んでみたいと思い、購入。

 

道徳…これまでの教員人生、はっきり言って、目をつぶってきたことだ。

「やる必要があるのか」と「やらなければいけない」のはざまで。

そんなスタンスの私が授業しているのだ。

子どもたちがこの「道徳」を実りあるものとして捉えられるわけがない。

今回、特別の教科化になった「道徳」。

授業といえば、教科書教材を読んで、登場人物の行動や心情を追っていき、道徳的価値について、思ったことを発表して、なんとなく終わり。

自分が受けてきた道徳の授業と全く変わっていない。

「でも、そもそもがやる意味なんてあるの?」

「教材研究しようにも時間がないし…」

そうやって、できない言い訳を重ねてきた。

でも、もうそろそろ本当に、だめだ。

どうせやるなら、まず自分がワクワクしたいし、子どもたちにもワクワクして、夢中で考えてしまうような、そんな授業がしたい。

藁にもすがる思いで読んだ。

「道徳」は胡散臭い。

授業をやっていても、そう思うことが実際ある。

それも一度や二度ではない。

どこかきれいごとを言っているような、うしろめたい感情が付いて回る。

そもそも、その感情が正しいのではないだろうか。

苫野先生が本書の中でも言っているが、「絶対に正しい道徳なんてない」。

正義は相対的なもので、絶対的正義なんてものは存在しない。

人の数だけ、正義がある。

それは、重なることもあるが、大抵は重ならない。

所属している共同体が違えば、全く通用しないこともしばしばである。

それは、誰もがそうした経験を多かれ少なかれしてきているだろうから、思い当たる節があると思う。

ある意味、当たり前のことだ。

でも、これまで受けてきた「道徳教育」や私がこれまで行ってきた「道徳教育」には、その前提がなかった。

人や状況によって変わる可能性がある道徳、それを唯一絶対の道徳があるという前提で授業をしてきたのだ。

「絶対に嘘はついてはいけない」「絶対に人を助けなければいけない」

例外などいくらでもある。

でも、そんなことは考えない。

いくらオープンエンドの体を装ったとて、その根本的なスタンスから、子どもたちは、その胡散臭さを感じ取り、しらける。

教師も薄々感づいているから、心は寒い。

絶対的な道徳があると信じてしまったとしたら、それは、そうじゃない人や状況に出会った時に、それらに対して自分たちの価値観を強制したり、価値観の違う他者に排他的な行動に出たりすることにつながる。

そんなことをさせてしまうかもしれないものが、「道徳」なのか。

もちろん、ちがう。

では、どうちがって、「ほんとうの道徳」とは何なのか。

苫野先生曰く、「ほんとうの道徳」とは「自由の相互承認の感度を育むこと」だという。

前回の著書でもたびたび出てきた言葉だ。

この「自由の相互承認」という考え方は、哲学2500年の歴史の中で紡ぎだされたものであり、その成り立ちについても本書ではていねいに触れられていて、理解が深まった。

 

学校教育で「自由の相互承認の感度を育む」ことを目的とする上で、道徳としてどんな実践が可能か、現行のシステムの中でも実践できるアイデアとして、3つのアイデアが紹介されていた。

 

①哲学対話

②学校・ルールをつくり合う

③プロジェクト化

 

の3つである。

この中で特に興味を持ったのが、①哲学対話と②学校・ルールをつくり合う だ。

③も取り組めるだろうが、かなり教科横断的ですぐには、難しいかなという印象。

しかし、次年度以降、プロジェクトとしての道徳もすごく魅力的だと思ったので、実現可能性を探っていきたい。

 

①②は、すぐにでも取り組んでいける良さもあるなと思った。

①はクラスですぐに取り組めるし、②もすぐ取り組める上に、成果がわかりやすく可視化できる可能性が高い。

ただ、哲学対話のやり方などはもう少し詳しく知りたいなと思ったので、本書の中で紹介されていた哲学対話に関する書籍を読んで、学ぼうと思った。

 

苫野先生は、こうしたアイデアの実践を蓄積しつつ、ゆくゆくは現在の「道徳教育」を「市民教育」として、発展的解消していく未来を描かれていた。

本書の中で書かれていた「市民教育」が実現した未来は、まだまだ先のことかもしれない。

でも、ひょっとすると、そう遠くない未来に、そんな教育が実現するかもしれない。

その来るべき時に備え、自分自身の「自由の相互承認」の感度を上げつつ、哲学対話など、手に入れたアイデアを、実践としてクラスの子どもたちに合った形にカスタマイズして、実践を積み重ねていきたい。

34冊目「MISSION DRIVEN」 208

今年度34冊目の読了はこちら。

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「MISSION DRIVEN/さる先生 こと 坂本良昌」

Twitterで大人気のさる先生の新刊。

実は、前作の「全バカ」は本屋で立ち読みしたバカやろうです…。

 

買ったその日に、あっという間に読めてしまった。

「教育の生産性を上げ、教師も子どももハッピーに」をミッションに掲げ、現役小学校教員として活躍しているさる先生。

「全バカ」は立ち読みだったけど、その恩恵はちゃっかり受けている。

テストをしたら、その場で〇つけしてしまって、返却・分析・やり直しまで終わらせる手法や、アーリーショケナー(普段から通知表の所見を少しずつ書き溜めてき、繁忙期をずらす)など、色々ある。

さる先生、本当にありがとうございます。

教育現場には、議論なき前例踏襲や「子どもたちのため」というパワーワードにより増え続ける仕事など、上からおりてくる事務仕事以外にも、教員自身で首を絞めてしまっている仕事がたくさんある。

どの職場でも大なり小なり同じような状況があると思う。

少なくとも、私が働く市町村では、そうだ。

そこに、現場からできる改革として、さまざまな具体的実践を提案したさる先生の功績は大きい。

さる先生が、教育界という水面に投じた一石が、少しずつその波紋を広げているように感じる。

波紋を受け取った先生たちが、全国で草の根的に、次の一石を投じる者になり、そうして少しずつ広がってきたのだと思う。

でも、こうした実践は、「手段」に過ぎない。

それが「目的化」してしまっては元も子もない。

そうやって、生産性を高めたことによって、生み出された時間をどう使うかということが重要な部分だ。

家族のために使ったり、自分の学びのために使ったり、それは、人によってもちろん違う。

けれど、そうやって、「重要かつ優先順位も高い」や「重要だけれど、優先順位は低い」という本来一番腰を据えて取り組むべきことに使える時間を生み出すのだ。

そんなことを訴える さる先生が、どうして先に書いたようなミッションを持つに至ったのか、その過去・現在・未来がかなり赤裸々に描かれていた。

具体的実践も本の最後にコンパクトにまとまっていて、全バカを立ち読みしたバカやろうにも、優しい構成。

でも、本編は、教育書というより自伝的小説といった方が近い。

けれど、同じ仕事をしているだけあって、そのストーリーには共感ポイントが山ほどあった。

教員に転職する前のさる先生の学生時代にも、びっくりするぐらい共感した。

私も、死ぬほどダメ学生だったから。

でも、バイトから店長に昇格したさる先生の方がよっぽどしっかりしてる。

 

Twitterで発信を続けてきたさる先生は、全バカでその認知度を決定的なものにし、少しずつ貯めていった信頼を確固たるものにしていった。

その信頼があるから、今回の著作に手が伸びた。

今回は立ち読みじゃあだめだ!って 笑

みん職で直接講座を受講したことも大きかった。

やっぱり顔を知っていて、直接話を聞いたことがあるってすごいでかい。

だからこそ、そのストーリーに現実感があって、共感が大きい。

まさに、信頼経済そのものですやん!と思ったり。

 

なんやかんやブラックだと言われ続け、最近暗いニュースが多い教育界だけど、それもさる先生がファクトフルネ!スと言ってるように、一般化の罠に陥ってはいけないなと思う。

だって、現に私は、この仕事が好きで好きでたまらない。

うまくいくことなんて少ないし、自分の未熟さに、ほとほと嫌にもなるけど、それでもこんないい仕事はない。

それは、心の底から思う。

 

で、「ミッション」だ。

「ミッション・ドリブン」とは「自分の中のミッションに突き動かされて進んでいく生き方」のことを言う。

 

私にとっての「ミッション」はなんだ?

 

「子どもたちが未来を幸せに生きていける力を育てること」だろうか。

 

まだまだ解像度が低いなあと、お恥ずかしい。

でも、問い続けていくしかない。

それを忘れた時、教師としての自分は死んでいく。

それだけははっきりわかる。

 

リヒテルズさんの講座でも、自分の「在り方」に対する問いが刺さった。

さる先生の今作にしてもそうだ。

それぞれの「在り方」がすごく多様で、重要な時代。

私はどう「在るか」。

自問自答は続く。

 

これからも続く仕事のカンフル剤になるような一冊だった。

明日からも、コツコツやっていこう。

少しずつ、続けていくということ。 208

2学期に入って、週に1回、基本的に金曜日の朝に対話型鑑賞に取り組んでいる。

行事ごとの多い2学期なので、毎週欠かさずできているわけではないが、少しずつ回数も積み重なってきた。

鑑賞に使う作品は、「教えない授業」という以下の本の中で扱われている作品からスタートした。

 

yamanyo.hatenablog.jp

 

そもそも対話型鑑賞を2回ほどしか経験したことがない。

当然、ファシリテーターなどやったことがない。

でも、とりあえず「やってみる」と決めて、始めた。

何事にも「初めて」はある。

だから、そこに戸惑っていては時間がもったいない。

プロトタイプ思考で、やってみて、そこから考えて、またやればいい。

自分にプレッシャーをかけず、楽しんでやろうと思った。

そうは言っても、第一回は緊張した。

鑑賞を録音していたのだが、まあ、固い固い。

なんて本番に弱いのか。

嫌になるが、これが自分だから仕方ない。

でも、回を重ねていくにつれ、自分自身も楽しめるようになってきた。

相変わらずファシリテートはポンコツだけど、子どもたちから出てくる様々な考えを構えずに心からともに楽しむことができるようになってきた。

 

そして、先週、6回目の対話型鑑賞をした。

鑑賞したのは「仔鹿」という作品。

青みがかった緑色のぼんやりした背景の中に、後ろ向きで首をひねって辺りを見回すようなピンク色の仔鹿が一匹、これまたおぼろげな輪郭で描かれている作品だ。

この作品を選んだのは、これまでの対話型鑑賞での失敗から原因を考えた末、条件に当てはまる作品だと思ったからだ。

 

その条件とは、「情報量がそこまで多くない」ということだ。

特に、うちのクラスの子どもたちは、全体を見るという事をあまりしない。

どちらかというと、細部のよく見ないとわからないようなところに目が行く傾向にある。

それはそれでいいところでもあるのだが、そればかりが続くと、全体としての作品の解釈へと対話が展開しにくいことが何度かあったのだ。

それぞれが、自分の見つけた細かいところについて話し、互いの意見がうまくつながらなかったのだ。

いうなれば、「誰がより細かいところを発見できるか選手権」。

そこには、他者の考えを受けて、改めて作品を見直し、解釈を紡ぎ直してみる営みが薄かった。

もちろん、私のポンコツファシリテートがうまくいかない最大の要因ではあるが…。

 

また、パッと見て、なんとなく、全体のストーリーが見えやすい作品もあまり適していないことに気づいた。

ストーリーが序盤で固まってしまい、なかなか新しい見方が生まれにくいからだ。

 

「仔鹿」はそれらの条件をクリアしている作品に見えた。

だから、この作品を採用して、6回目の対話型鑑賞に挑んだ。

6回目にもなってくると、ポンコツファシリテートも、基本的な問いかけなどは、スムーズに出て来るようになった。

そして、これまでの失敗から少しずつ修正してきて、初めて少し対話型鑑賞がうまくいったと思えた。

子どもたちは、適度に制限された情報量の中で、じっくりと作品を見て、気付いたことを話していった。

情報量が少ないことで、「もっと情報が欲しい」というある種の飢えを生んだのかもしれない。

いつも以上に、友だちの話に耳を傾け、それを手掛かりに、また作品に戻って、新たに気付いたことを話し、相互作用的に解釈を深めていった。

しばらくは、今回の様に、情報量をある程度セーブした作品で、対話型鑑賞を続けていこうと思っている。

もう少し、抽象的な作品でもおもしろい展開になるかもしれないとも感じる。

情報量の少ない抽象画だと、その少ない情報から、より様々な解釈が生まれ、相互作用が期待できると予想されるからだ。

そこを楽しんで、対話本来の喜びを充分受け取れるようになってきたら、そこでまた新たな作品にもチャレンジしていきたい。

 

答えのない問いに、子どもたちと一緒に最適解を探していく営みの面白さを感じることができた、私にとってはのちに転換点と呼べるような対話型鑑賞だった。

 

一気にファシリテートはうまくならないし、作品を選ぶ視点もまだまだ未熟だけど、

「やってみること」「続けていくこと」「楽しんでやること」

この3つはいつも忘れず、継続していけたら、また新たな世界が見えてくるかもしれない。

そんな気がしている。

グラデーションの中で。 207

先日、TwitterでTL上に情報が流れきて目に留まったのが、「平成31年度 杉並区 特定の課題に対する調査、意識・実態調査 報告書」。

気になって、アクセスしてみると、まあまあな文量。

隙間時間にサラッと読もうかと思ってたけど、ちょっと骨が折れそう。

ということで、TL上で、ぜひ「はじめに」と「編集後記」だけでも!とレコメンドされていたので、そこだけ読むことにした。

そこには、これからの教育への熱量がほとばしっていた。

圧倒的な熱量に当てられて、読み手である私の中にもその熱量は確実に伝播した。

以下、読んで考えたことを書いていこうと思う。

 

この報告書では、これからのVUCA化がさらに進む未来を生きていく子どもたちのために、「学びの構造転換」をやっていこうという主旨で調査結果がまとめられている。

 

報告書(「はじめに」と「編集後記」だけやけど)を読んで、子どもたちは本来的に学ぶ力を持っていると改めてその事実を思い知った。

様々な科学でもそれを裏付けるような理論や調査結果が知見として蓄積されてきている。

しかし、公立小学校で働く一教員として、この前提に立って、これまで子どもたちの学びを見つめてきただろうか。

いいや。

どこかで「子どもたちは未熟な存在」だという認識があった。

だから大人が、教師が、「教えてあげなければいけない」と。

「できるだけ、わかりやすく、負担のないように」と。

でも、良かれと思ってやってきたことの多くが、実は、子どもたちの学ぼうとする、本来持っているはずの力を発揮する機会を奪ってきたのではないか。

「転ばぬ先の杖」が多すぎてはいまいか。

「主体的・対話的・深い学び」という言葉があちこちでお題目の様に飛び交っているが、その前提に、この「子どもは本来的に学ぶ力を持っている」という事実があるだろうか。

もっともっと、「信じて、認めて、任せる」、そんな在り方に教師の教育観がアップデートされていく必要がある。

そんな在り方から、考えた時、従来のアプローチ方法の持つ意味もまた変わってくるはずだ。

しかし、この前提に立つとき、「自由」と「放任」が誤解される危険性が付いて回ると思う。

そして、実際、全てを子どもたちに任せてしまってもうまくいかない場合がある。

先日、クラスの算数を『学び合い』でやっていて、大失敗をした。

子どもたちは、悪くない。

学ぶ力がなかったわけでもない。

でも、私の準備不足や学習環境・課題設定の甘さが招いたことだ。

誤解を恐れず言うならば、ある意味、きっちりと準備をして、その流れに従って、全員で同じペースで同じことを、同じ方法で学ぶのは、楽かもしれない。

でも、それは思考停止に陥っている可能性が極めて高い。

ただ、必ずしも一斉授業が悪いというわけではない。

こんなことを書くと、「お前はどっちなんだ!」と言われたりもしそうだが、そもそも、そう、「そもそも」である。

先日の苫野先生のオンライン講座での言葉を借りるなら、「探究などの学習と一斉授業は二項対立ではない。」と言える。

二つの間には、子どもたちの実態の数だけ、無限のグラデーションが広がっているんだと思う。

「探究」も「一斉授業」も『学び合い』も、手段である。

だから、目の前の子どもたちから出発する事こそが唯一の大切なことだ。

だから、時には、一斉講義型が有効に機能する場合もあるといえる。

ただ、そこでどちらかに振り切ってしまうのではなく、バランスを常に意識しながら、進めていく必要はある。

そう考えると、以前にお話を伺った高橋一也先生のインストラクショナルデザインの授業とリンクしてくる。

計画はあくまで計画、常に目の前の子どもたちの学びを見取り、その結果から、次の授業のバランスを調整していく。

そんなことが重要になっていくのではないだろうか。

 

んー、でもやっぱ「在り方」やなあ。

最近の自分の中のキーワードです。

GK。 206

休み時間に職員室からグラウンドを見ると、うちのクラスの男子たちがサッカーをして遊んでいた。

最近、休み時間は再テストを受ける子たちを見ていて、なかなか外に出る時間をとれていなかった。

「ちょっと気分転換に体を動かしに行くか。」

私は職員室を出て、靴を履き替え、グラウンドへと向かった。

私の姿を認めると、「おっ!先生来た!」となんだかうれしそう。

そんな姿を見て、私もうれしくなる。

そして、頭の中にはイメージが膨らむ。

 

ドリブルで子どもたちを交わして、ちょこんとテクニカルなシュートでゴール。

「もう、先生上手すぎるって。手加減してかー。」

「ははは、ごめんごめん。次からはもうちょい手抜くわ。」

「ほんまやで、頼むで。」

「オッケーオッケー!」

 

「あ、先生も入る?じゃあ、キーパーやって。」

 

…御意。

 

私の妄想は、妄想で終わった。

 

でも、まあ、ありがちな展開ではある。

ここはひとつ、キーパーとしての実力もあるんやでってところを見せてやろう。

そう思い直し、試合の展開を鋭く目で追った。

 

1人の子が二人交わし、ドリブルでゴールへ向かってくる。

完全にキーパーの私と一対一。

絶対に止めてやる。

どこからでも打ってこい!

どんなコースにも反応してやる!

さあ、来い!!

絶対に止めてやる!!!

さあ、来い!!

 

…って、近い近い近い!!

5m…4m…(まだ打たんのかい!!)

 

3m…ドーン!!

 

ゴール。

 

 

 

ゼロ距離から、フルスイングって何なん!?

 

 

無理無理無理無理!!

そこは、大人対子どもでもさ、あるやん、何かこうさ!!

暗黙の了解的な…さ!!

小学生ゆうても、もう高学年なのよ、あなたたち。

自分で思ってる以上にあるよ、キック力。

それをあなた…ゼロ距離まで近づいてドーンて。

 

もうちょい遠くからでも良かったんじゃない?

石橋をたたいてたたいて、たたくタイプ?

むちゃくちゃ恐怖感じてんけど。

 

そんな私の内心など知る由もない子どもたち。

「いぇーい!!」とかゆうて無邪気にはしゃいでる。

 

その後も、子どもたちゼロ距離砲連発。

え、何!?はやってんの!?

 

そして、終了五分前、うちのクラス随一のキック力のRくん。

さすがに、ゼロ距離に飽きたのか、私へのお情けか、中距離弾を放ってきた。

完全に構えて止める気満々だったが、私の少し前でぼーっと突っ立っていた男子の足に当たって、ボールは予想外の軌道を描き、私の右目へ。

 

バーン!!

 

メガネカランカラン。

右目ジーン。

子どもら、ハハハハ!

 

 

地面に落ちたメガネを拾い上げる。

レンズは全くの無傷。

無事そのものだった。

 

 

 

 

 

JINS!のメガネが結構頑丈だということを発見した、いい休み時間だった。

33冊目「たった一つを変えるだけ」 205

かなり前に読了した今年度33冊目はこちら。

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「たった一つを変えるだけ/ダン・ロススタイン、ルース・サンタナ

 

とてもシンプルなタイトルに惹きつけられて、購入を決めた本。

タイトルを見てまず思ったのが、「いったい何を変えるのか?」ということだ。

家に帰って読んでいくと、変えることが本当にシンプルで、かつ、本質的であることがわかった。

 

教師が「問う」のではない。

子どもたちこそが「問う」のだ。

 

言ってしまえば、それだけ。

非常にシンプルな主張である。

しかし、このシンプルな主張は、現在の日本の教育への強烈なパンチに感じられた。

もっと早くこの本に出会いたかった。

 

私たちが子どもの頃に受けてきた授業と言えば、教師が発問をし、それに対して子どもたちが答えるというスタイルだった。

おそらく少しの例外を除き、ほぼ全ての学校、学級でそういう授業が行われてきたのではないだろうか。

そして、驚くことに、現在でもそういう授業がまだまだ多数を占めているのが日本の教育であると言って過言ではない。

数十年前であれば、まだそういう一斉講義型と言われる授業にも効果があっただろう。

でも、これからのVUCA化が進む時代には、一斉講義型の様にただ口を開けて、知識を与えられるのを、考えるべき問いを与えられるのを待っていては、時代の変化についていけない。

誰でも「正解」を出せる時代になったことで、「正解」そのものの価値が相対的に低下している。

そう、「問題解決」は飽和状態なのだ。

正解が当たり前になったことで、今度は相対的に「問題」が希少化してきた。

「問題」をいかに設定するか、いかに生み出すかにこそ価値がある時代がやってきている。

そんな中で、「課題解決力」よりも(不要と言うわけではないが)「課題設定力」が重要になってきた。

つまり「問う力」である。

 

ここで、本書の内容に戻る。

教師が一方的に子どもに「問う」ことで展開する授業では、子どもたちの「課題設定力」は育たない。

だから、変えるのだ。

子どもたちが自ら「問う」のだ。

課題を設定して、そこから解決に向けて取り組んでいくのだ。

そのための「質問づくり」のノウハウが本書にはふんだんに書かれている。

ていねいに、細かい注意点まで、具体的に、すぐに実践ができるようにかかれていて、とても参考になった。

実際に、受け持つクラスで、社会の2単元を、この「質問づくり」のアプローチで進めた。

子どもたちは、とても主体的に、意慾的に、学習に取り組んでいた。

なぜなら、考えるべき「問い」が自分たちの中から出てきたものだからだ。

誰かに「考えなさい」と強制された問いではないからだ。

授業に取り組む必然性が生まれたのだ。

 

問いには「閉じた問い」と「開いた問い」があること、

「問い」は、まず拡散思考で、量を出し、その後収束思考で、質へと転換していくこと、

問いづくりのルールについて話し合い、その意義や難しさについてメタ認知すること、

問いを使って何をするのかを明確にすること、

など様々なポイントが各章ごとにくわしく、かつ、わかりやすくまとめられていた。

それらを参考に、クラスの児童の実態に合わせて作り変え、実践した。

 

まだまだ、収束思考の部分の質が十分高まっていなかったり、質問づくりに対するリフレクションでプロセスへの気付きが十分でなかったり、児童が十分に目標に到達可能な「問い」を生むために、教師が提示する「問いの焦点」ももっと磨いていかなければいけない、など課題は挙げればきりがないが、それでも、それ以上に希望を感じている自分がいる。

 

今後も本書を読み返しながら、実践を磨いていきたいと思う。

 

でも気を付けたいのは、この「質問づくり」もあくまで数あるアプローチ方法の中の一つであるということ。

やり方に固執して、在り方がぶれるようなことになっては、本末転倒になる。

いつも真ん中には「在り方」を。

その「在り方」を磨き続け、その中で、育てたい子どもたちの姿からの逆算して、アプローチ方法を多様に選択できる力を。

教室リフォームを実践するための10のこと。 204

10月9日にみんなの職員室主催の岩瀬直樹先生のオンライン講座を受講した。

テーマは、タイトルの通り。

今年度、クラスで教室リフォームを実践している自分としては、以前からとてもとても参加したかった講座だった。

前回の第一回は8月だったので、あれから2か月ということになる。

前回の講座では、いわば、教室リフォームを実践するにあたっての教師の「在り方」に近い部分が中心だった。

共同修正、プロトタイプ思考、自由の相互承認…。

これらの在り方を踏まえて、この2か月がどうだったのか、実践をふり返り、飛躍させるためにも非常に重要な講座であると位置づけていた。

 

第二回となる今回は、前回からより具体的実践に踏み込んだ話が聞けた。

「教室リフォームを実践するための10のこと」(実際には9つだった)は、それぞれが非常に重要な観点で、それはそのまま自分の実践のリフレクションに対する視点にもなった。

いかに、9つのポイントをまとめておく。

 

①任せる範囲を決める

②イメージを広げる

ゾーニングの視点を持つ

④小さくはじめる(のも大事)

⑤一緒にやる(協働探求者)

⑥やってみてから考える(プロトタイプ思考)

⑦ユーモア大事

⑧まず自分でやってみる

⑨教室は探求材

 

①任せる範囲を決める

壁面からやるのか?今あるものからやるのか?それとも教室全体を使って大胆に変えるのか?

あらかじめ範囲を決めておくことで、いざやり始めて作ってから「そこはちょっと…」「いや、それはさすがに…」などといって、 教師の都合で子どもたちの「やりたい」をそいでしまわないようにすることができる。

自分のクラスではどうか。

…最初に範囲とか決めてない 笑

でも、基本的に何が来ても受け止めて「どうすれば実現可能か」という視点で考えていこうと思っているので、現状で困り感はない。

しかし、今後、また新たにプロジェクトを立ち上げるときには、意識しておくことで、子どもたちも心置きなく活動できるだろうなとは思った。

今後、「それはちょっと…」ということがでてきたときは、子どもたちと話し合って最適解を探していこう。

 

②イメージを広げる

いきなりリフォームと聞いても、おそらくピンとこないのが子どもたち。だから、いろんな教室の写真を見せることで、子どもたちのリフォームへの思考を広げる。

本や写真、海外の教室など、探せば色々ある。

自分のクラスでも、これは行なった。

子どもたちは、次々に出て来る既存の教室イメージとは違う教室に目を輝かせていた。

実際、それらを見てイメージを広げることで、今までは思いつかなかったアイデアが出てきた子たちもいた。

ただ、どういうものを見せるかによって、出てくるアイデアが偏ったり、あまりに現実的に実現可能性が疑わしいものに固執してしまったりという負の面もあるのかもしれないので、見せるイメージも「作る教室の理想形」ではなく、あくまで「アイデアを作る」という側面から選択していけたらいいのかなと思った。

面白かったのが、岩瀬先生ご自身がリフォームプロジェクトをされていて、よく百均で使えそうだと感じたものを適当に2000円分ぐらい買ってきて教室に置いておくというエピソード。

そうすると、子どもたちは、勝手にそれらの素材を使って、教室リフォームを進めていくのだそうだ。

作りたいものを決めて、そのためには何がどれだけ必要かなと考えていくのもいいけれど、こうして先に材料があって、そこからどんなことができるかなというのも面白いなと思った。

決まっている素材という制限が工夫や新しいアイデアなどの創造性を生むことになるのかもしれない。

 

ゾーニングの視点を持つ

図書コーナー、文具コーナー、ミーティングエリアなどの〇〇コーナーみたいなものを意識する事だとざっくりと理解している。

大辞林で「ゾーニング」をひくと、

都市計画や建築プランなどで、空間を用途別に分けて配置すること。

とあった。

自分のクラスでは、ソファーエリアの一か所がかなりのスペースを使っているので、ここからさらに別のスペースをというのは難しいかもしれない。

しかし、何も大きなスペースである必要はないわけで、ロッカーの上の30㎝四方のスペースだって、うまく使えば有効利用できる可能性が十分にある。

サイズではなく、そういう視点で教室を見るのも「ゾーニング」の視点と言えるのかもしれない。

今後のリフォームプロジェクトで、限られたスペースをうまく利用していくためには欠かせない視点だなあと思った。

この視点は、教師だけではなく、子どもたち一人一人が持っていると、面白いアイデアが色々出てきそうだなと思った。

 

④小さくはじめる(のも大事)

今のクラスでは、最初から壮大に始めたので、なかなかこういう視点でリフォームを見れていなかったなあと反省。

そして、ここが結構自分的には目からうろこが落ちる思いだった。

たとえば、1学期の始業式には、各担任が準備して貼っているような靴箱の名前シールだって、わざわざ貼らず、子どもたちから必要性が出てきたら、貼らせるということもできる。

なるほどなあと思った。

こんなところにも「当たり前の罠」が潜んでいた。

そう考えれば、掃除当番表や給食当番表なんかもそうかもしれない。

わざわざ最初からすべて作ってお膳立てせずとも、こどもたちはきっと必要になれば動く。クラスの子の顔を思い浮かべてみると、「え、それやったら作ろうや!」という想像がすぐにできる。

大事なのは、「自分たちで発案して動くこと」

そうしたことの全ては、「当事者意識」になっていく。

そして、学びのコントローラーを自分で握り始めるのだろう。

これまでのお話ともつながり、すごく参考になった。

 

⑤一緒にやる(共同探求者)

先生も楽しんでやることで、よりよいモデルを見せていくことにもなる。

一緒になって、面白がって変えていく。

この視点、全く逆に近いことを思っていたので、驚いた。

私は、「自分が積極的にリフォームに参入することで、このリフォームが自分色になって行ってしまうのではないか。それだと、結局子どもたちの主体性を殺してしまうことにならないか。」と思っていた。

だから、最初は、やり方もわからないだろうし、着火剤としての働きも意識して、割と積極的に動いた。

でも、それ以降は、割と横でにこにこしながら見てる感じが多い。

子どもたちの様子を見ながら、「ああ、あそここうしたいなあ」という欲求がむくむくと湧き上がってきたりもする。

そうか、その欲求は別に抑えなくていいのか。

自分は自分で、同じ教室で過ごす一員としてリフォームに携わればいいのか。

すごくわくわくした。

担任としてのリフォームのかかわり方を見つめ直すいい視点を手に入れられた。

 

⑥やってみてから考える(プロトタイプ思考)

これは、リフォームを始めてから、すごく実感を伴って大切だと共感した視点だった。

うちのクラスのソファなんかまさにそうだ。

作り始めた時は、まさかこんなにでかくなるなんて思ってなかった。

でも、とにかくわからないけど、作り始めると、「こうすればいいんじゃない?」というアイデアがどんどん出てくるので、それをみんなで検討しながら、進めていったら今のような形にたどり着いた。

あーだこーだ考える前に、やってみる!

これがなかなかの威力!

そして、失敗も山ほどするけど、それが結構楽しいからどんどんチャレンジしてしまう。

これからもリフォームに限らず、大事にしたい考え方だ。

 

⑦ユーモア大事

なんかよくわからないものでも面白がれるかどうか。

これは、ものすごく得意。

むしろ、よく分からないものの方にこそ、魅力を感じてしまったりするから。

「無駄」を楽しむ余裕や余白って本当に大事だと思う。

そこから本当に輝くアイデアが形になったりすると思うから。

 

⑧まず自分でやってみる

教師自身が、作り手としての楽しさを味わうことの大切さ。

そして、そんなわくわくしてる教師を見て、子どもたちもわくわくする。

こういう前向きな楽しもうって雰囲気は、周りにも伝染する。

この視点も忘れないで持っていたい。

 

⑨教室は探求材!

ここでは、教室リフォームはそれ自体が立派な探求材だから、もう総合的な学習の時間にプロジェクトとしてがっつり組み込んでやっていけばいいという提言だった。

自分のクラスでは、基本的に授業では扱ってなかったし、そういう意識がなくて、新鮮な感覚だった。

次やるときは、そんな風に単元として位置づけることも視野に入れてやってみようかなと思う。

でも、そうなると、評価が入ってくるわけで、そのあたりどうしてるんだろうなんて後で思ったりした。あと、「リフォームに興味がない」って子も実際いるわけで、そういう子も含めての居心地の良さを追求していく難しさなんてのも同時にあるよなあなんて思ったりして。

 

でも、これらの9つの視点のおかげで、かなり自分の実践の足りてない部分や、今後改善可能な具体的方策などが見えて、本当に濃密な1時間になった。

岩瀬先生だけではなく、参加者の他の実践者の先生方と意見交換できたのも良かった。

ソファづくりがほぼ完成し、リフォームが落ち着いてきた今のクラス。

ここから、居心地は本当に今のままでベストなのか?という問いを投げかけ、ここからさらに次の段階として教室がどうあればいいか、もっと深く深く子どもたちと共に作りながら考えていけたらいいなと思う。

 

 

長っ!!