小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

穴。 261

実家は、今の家から来るまで20分ほどの場所にある。

とはいえ、互いの生活があるので、そんなにしょっちゅう行き来があるわけではない。

でも、盆や正月なんかには集まる。

あと、それ以外に、ふと気が向いたときに寄ることもある。

先日、そんなふと「顔を見に行こう」と思い立って、連絡をし、妻と二人で向かった。

「6時ぐらいに行くわ。」と言ったが、到着はそれより少し遅れた。

飲み物やデザートを買うのにかかる時間を逆算せずに家を出た分、遅くなってしまった。

玄関のチャイムを鳴らす。

「はい。」という父の声。

「はいはーい。」とそれに応じる僕の声。

3秒くらいのやり取りだが、よくよく考えると、全く何者か名乗っていないことに気づく。

それでも確実にお互い分かるところに、家族であることをいつもより強く思い出す。

玄関のドアを開けると、「いらっしゃい」という父の声と、懐かしい実家のにおいが同時にぼくを包む。

この家に、小6から社会人6年目までだから、17年間住んでいたことになる。

今の家に住み始めて、今年で9年目。

そのうち、実家で住んでいた時間を追い越すときも来るんだろう。

 

実家に行って両親と話をしていると、「お前、よう覚えてるなあ。」と言われることが多い。

でも、自分の実感としてはそうでもない。

思い出せないことは、思い出せることよりたくさんある気がしている。

学校から帰ってきたときのばあちゃんとの会話だったり、

風呂に入って読んでいた本のことだったり、

持っていた服の中からどれを着るか選ぶ時の迷いだったり。

でも、思い出せないだけで、忘れたわけではない。

過ごした時間は、確かにあの家に積み重なっている。

 

そう感じたのは、ご飯を食べてひと段落をしてトイレに行った時だった。

便座に座ってズボンを下ろし、ぼんやりと前方の壁を見た。

そこには、何もなかった。

 

いや、正確には、あった。

 

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壁に開いたたくさんの小さな穴。

穴を見て、すぐにこれが何なのかわかった。

カレンダーを留めていた押ピンの刺さっていた穴だ。

そう、ここには、子どもの時から年間のカレンダーが貼られていたんだ。

じっと見ていて、思わず写真を撮ってしまった。

穴の数に、この家で過ごした時間を想ったからだ。

一つ一つの穴には、この家で過ごした1年がつまっている気がした。

その穴からのぞくと、その時の思い出が見えるような気がした。

これからも、この穴は増えていくんだろう。

でも、当然だが、無限には増えていかない。

これからも、この穴を眺めるたびに、思い出す思い出が増えていく。

そんなつながりを持っていたいなと思う。