小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

learn × creation⑦ 170

2日目の最後に選んだのは、

 

「対話的な問題解決力向上プログラム」体験講座。

 

参加してから気付いた。

これは、中高の先生向けのワークショップ。

でも、参加してしまったからには、もう後には引けない。

…というか、違う。

そんな後ろ向きな心持ちでは、

学べるものも学べない!

そう、自分が「どう学ぶか」!

それを忘れてはいけない。

そう自分に言い聞かせ、

当然中高の先生だらけの中、ワークショップはスタートした。

 

このワークショップはベネッセコーポレーションが主催。

 

実際に起きた裁判をモデルにして、

裁判で争う二人の主張を聞き、最終的に解決策を生み出す、

という流れ。

 

ワークの最後に明かされたが、これは実際にあった事例をもとにしているだけあって、非常にリアリティがあり、より現実社会に近い場の設定になっていることが面白かった。

 

ワークの流れに沿って、まとめていく。

【STEP1】自分の主張を考える

ここでは、賛成/反対の立場を明確にし、判断の理由を説明することが求められた。

心の中では、「うわー、他の先生と意見ちがったらどうしよう…。」とか「え…そのぐらいしか見てないの?浅いなあ…。」とか思われたらどうしよう…。なんて考えてた。自分にかかっているバイアスに嫌気がさす。

でも、それと同時に、中高生だけじゃなくて、小学生でも、周りを気にして、自分の意見を言えない子、なんとなく当たり障りのないことで収める子、いるよなあって思う。

そこで自分の本当の意見を言えなければ、それは個人じゃなくて、もうその場自体が、ベストの状態ではないことになってしまう。

つまりそれって、目の前の問題の解決に向けて、いいスタートを切れないってこと。

ここで、本音の意見を互いに心置きなく出させるためにはどうすればいいんだろう。

普段からの学級経営や、教師の声掛けは重要だろうなあと感じた。

 

【STEP2】他者の視点に立つ

次に、先ほど、自分が立ったのとは逆の立場で、主張を考えてみる。

このSTEPでのポイントとして示されたことが、印象に残っている。

 

「建設的な平行線を作れているか」

 

想像することの重要性がここにある。

想像することで、相手の背景にある論理構造に気づき、

それによって、置かれている状況を、

自分の立場よりもう一歩大きな俯瞰で見るのである。

 

【STEP3】ステークホルダー(利害関係者)分析

ここでは、裁判の当事者以外に

数多く存在するであろうステークホルダーを洗い出し、

それぞれどちらの立場を支持しているだろうかということを、

相関図に表していく。

もちろん、想像で構わない。

思いつく限り出して見るのである。

そうやって、様々な視点に立って物事を考えてみることで、

自分の立場では見えなかったことが見えてくるかもしれない。

実際、グループで対話を重ねながら、ステークホルダー分析を進めると、

「ひょっとしたら、~かもしれない」と、

自分と反対の立場の側の考えの背景に思いが及び、

自分のスタンスが少しずつ揺らぎ、変わるのを感じた。

これも、自分→相手→関係者と、

徐々に俯瞰する範囲が大きくなっている。

 

【STEP4】もう一度、自分の主張を考える

STEP2・3で、課題の解決に向けた材料がほぼ全て出そろったので、

それを踏まえて、自分の主張を改めてはっきりさせる。

考えてみてわかったが、

最初の主張に書いてあることから、

ずいぶんと主張の内容に変化が見られた。

対話を重ねることで、自分の中の考えがアップデートされたからだ。

 

最初こそ、自分の意見が周りからどう思われるのか、

ネガティブな感情だったのが、

対話を通して、そうしたネガティブな感情は、

気付けば、どこかに消えていた。

 

もちろん、そこには前提として、

安心・安全の保障が必要である。

それをなくして、そもそも対話は成立しにくい。

声の大きな一部の子が個人的な意見で進めたり、

互いの意見の反発を恐れて、消極的に無難な意見で妥協したり…。

 

安心・安全の場の設定の土台の上に、

「批判的な意見を出してもいい」「人と違った意見を言ってもいい」

と思える感覚が芽生える。

自分と意見が違うことを、簡単に「対立」ととらえ、

やりこめることに盲目的になってしまうと、

問題の本質的な解決には、なかなかたどり着けない。

だからこそ、互いに相手の意見を受け止め、

対話を重ねることが、最も良い意思決定につながっていくのである。

 

小学校でも、意見文を扱った単元があったりするので、

アレンジをすれば、課題解決における対話の重要性を学べる

いいアプローチ方法になるのではないかと思った。

learn × creation⑥ 169

lxc2日目は、聞きたい話がありすぎて、

昼ご飯を食べる時間も惜しくて、

昼ご飯抜きで、どんどん気になってたブースへ参加した。

次に参加したのが、サブアリーナのシンポジウム。

 

「自ら『好き』を発見し、粘り強く取り組む子どもを育てるには?」

 

登壇者は4人。

①秋吉梨恵子さん(聖ヨゼフ小学校教諭)

②須藤直紀さん(HandiHouseProject/kopro建築士)

③山中裕人さん(ファンファンラーニング株式会社代表取締役)

④堀昌浩さん(一般社団法人LearningJouney代表)

 

山中さんがファシリテーター

登壇者の紹介とそれぞれの取り組みについての説明があり、

テーマについて、トークが進んだ。

 

☆「好き」を中心にした学びを実践するためのポイントは?

・先生の言葉かけを考える(「できない」ではなく、「まだ今は」)

・「うまくいかない」の積み重ねをポジティブにとらえる→クセの分析にもつながる

・ログをきちんと取っておく。大人は周りの子どもたちに随時フィードバックを。

・「失敗」=結果ではなくプロセスであることを大人も子どもも理解する。

・ちょっと苦手だと思っていることに出会っても、自分の「好き」とどこかでつながらないか、考えてみることが大切。

・子どもたちの「好き」の対象はころころ変わることを受け止める。

・「学び方」を学ぶ。

・大人はそばで見守る。場の提供が基本。困って訊ねてきたらアドバイス

・子どもの失敗を大人も一緒に楽しむ。

 

☆「好き」を中心とした学習で、普遍的な学習を保障できるのか?

・個性によって偏りがあるのは事実。だから体験学習+基礎学習。基礎学習は、体験で使うであろう知識・技能で、子どもが何かを学ぶというプロセスに種をまくもの。

・「~を学ぶ」からの脱却。「~学ぶ」

・体験と学習をいかに結び付けるか、必要性への敏感さが重要。

 【例】文字は「覚えるもの」という認識だと、学習内容としても、定着しにくいし、学ぶモチベーションもあがらない。しかし、文字は「誰かに自分の気持ちを伝えるツール」という認識だと、モチベーションも高く、定着もしやすい。(目的の明確化)

 

☆最後に一言。

・子どもが大人の想像だにしないことをしたら、「わーお」と言える大人でいたい。

・教師も「のんびりする時間」を取る。つめこみすぎない。

・大人も失敗する存在なんだという認識を大人自身も子どもたちも持つ。大人は絶対じゃない。強くない。

 

聞いた話のあちこちに、共感する部分が多く、

様々な立場から教育に携わっておられる方々の

根っこに流れる部分の共通点がたくさん感じられた。

「子どもの『学びたい・好き・やってみたい』を出発点にして、その学びに最適な場を設定し、子どもたちと一緒に作りながら、その都度修正を重ね、ゴールへ向かっていく。その中で、必要となる知識や技能を獲得し、子どもたちは自分たちの学び方にも自覚的になっていく。ここで得たものは、また次の『学びたい・好き・やってみたい』につながっていく。」

やはり、日本の教育は今、大きな転換点を迎えている。

そのことをひしひしと実感した。

これだけ様々な立場の人たちが、教育を良くしようと、

こうしてシンポジウムを開いたり、

取り組みをスタートさせたりしている。

 

じゃあ、日本の公教育に携わっている自分に何ができるのか。

やはり、行き着く先はそこだ。

それぞれがそれぞれの立場で、

子どもたちファーストで取り組みを進めながら、

多様な立場同士で交流し、

また実践と理論をブラッシュアップしていく。

そうすることができれば、

日本の子どもたちのための教育が、

今よりもっともっと未来を見据えた

ステキなものになっていくと思う。

learn × creation⑤ 168

learn × creation2日目。

2つ目に選んだのは、ラウンジでの講演、

 

「学習指導要領が変わるだけじゃない! 未来をたくましく生きるための子育てに変わる」

 

講演してくださったのは、東京都小金井市教育委員会教育長の大熊雅士さん。

開始に間に合わなかったので、序盤の話を聞けなかったのが残念。

 

話は主に「子どもたちの自己肯定感を高めるには?」ということがテーマだった。

え?演題と違うんじゃあ…と思ったが、

いやいや、こちらがきちんと読んでいなかっただけ。

そして、すごくいいお話が聞けた。

 

大熊さん曰く、

今の社会は「総相対化の世界」だという。

FacebookTwitterのイイねなどに表されるような、

巨大な情報のものさしが存在していて、

そのものさしに対して、

鈍感な子と敏感な子の二極化が進んでいる。

現代の子どもは、親自身より敏感にいろんなことを感じている。

でも、親自身も情報の波に飲みこまれている。

子どもも親も情報過多の毎日に振り回されている。

だから、そこから焦りや不安が生まれ、

心に余裕がない状態になり、

親も子どももどんどん自己肯定感を下げてしまう。

だからこそ、まずは認めることで、自己肯定感を育てていこうと。

そういう主旨で話は進んでいった。

 

「どうすれば、自己肯定感を育てることができるのか?」

この問いに対してパッと思い浮かんだのが、

その子のいいところを見つけてほめるというもの。

でも、実はこれは自己肯定感が低い子には、逆効果。

それは、ほめる側の自分に対する次への期待が見えるから。

いつかその期待に応えられなくなるだろう未来の自分を想像して、

苦しむことになるというのである。

確かに、自己肯定感が極端に低い子だと、

そうなるかもしれない。

成功体験をしても、

それを安易にほめることは、

次へのハードルを上げることにつながり、

それを続けていくと、いつか疲れて自己肯定感が低下する

そういう流れである。

 

では、改めて。

どうすれば自己肯定感を育てることができるのか。

大熊さんは、自己肯定感には、2種類あると話した。

一つは「根拠のある自己肯定感」

これは、他者と比べて得られる類のものである。

「テストで100点取った」とか、

「リレーで1位になった」とかである。

もう一つは、「根拠のない自己肯定感」である。

これは、基本的な自己肯定感であり、

存在そのもの受容をいう。

この根拠のない自己肯定感がなければ、

根拠のある自己肯定感は、効果を発揮しない。

根拠のない自己肯定感は、

周りの環境や他者と比べて、増減したりしない。

だからこそ、この根拠のない自己肯定感があると、

チャレンジしてみようという前向きな気持ちが生まれたり、

失敗しても、また次へ向かって行けるのである。

大事なのは、その人のい「今」をそのまま受け止める

存在受容だと。

 

では、その根拠のない自己肯定感を高めるにはどうすればいいのか。

まずは、ともに悩み、ともに歩んでいこうというスタンスでいることだ。

「教えてやろう」「説教してやろう」などという気持ちが、

少しでもあれば、

敏感な子どもたちは、途端に自分を閉ざしてしまうだろう。

それでは、いくら手を打っても、効果はない。

そうしたスタンスをベースにしたうえで、

まずは「感情を言語化する」ことが大事だと大熊さんは言う。

「感情を言語化する」というのは、

その子の「今」を認めるということである。

 

例えば、子どもが雨の日に廊下で走っていて、

スベッてこけけがをしてしまったとする。

 

「痛かったね。」(手当)→親と子の感情の共有

「今度は雨に日は走らないようにしようね!スベると、また、痛い痛いになっちゃうよ!」→規範の共有

「雨の日は走らないようにしよう!(だってあの痛い痛いの気持ちになるから)」→不快感の回避

 

親と子で感情の共有がされると、

その安心感から社会的つながりを希求するようになる。

それはいずれ、他者の気持ちを悟れる子へとつながっていく。

 

こうした自己肯定感を高めるためのアプローチの中で、

最も大切なのが、「笑顔」。

案外「当たり前じゃない?」と思われがちかもしれないが、

これを本当に心の底から意識して徹底しようと思うと、

なかなか難しいのではないだろうか。

人間は感情の生き物であるがゆえ、

そのコントロールもいつも一定にというわけにいかないからだ。

それでも「笑顔」の持つ存在受容のメッセージは抜群に強い。

そのことを忘れず、

普段から今まで以上に意識して、

「笑顔」で子どもたちと接し、

その自己肯定感を育てていけるようにしたいなと思った。

 

また、講演の最後には、

近くの人と3人組を組んで、

付箋に自分が最高だと思うほめ言葉を5枚書き、

お互いにロールプレイする時間があった。

最初は恥ずかしさもあったが、

ロールプレイと分かっていても、

言われてうれしい「笑顔」と「ほめ言葉」の効果は、

自分で体験して改めてその威力を痛感した。

「ほめ言葉」も普段から意識して集めていないと、

咄嗟の時に出てこない、と大熊さんは言う。

その通りだと思う。

まずは、自分自身が他者を認める言葉を、

より多く自分の中に持つことから始めようと思った。

 

27冊目「HELLO,DESIGN」 167

ちょっとlearn × creationのまとめはいったんお休みして、

今年度27冊目の読了本はこちら。

f:id:yamanyo:20190814085605j:plain

「HELLO,DESIGN/石川俊祐」

「デザイン思考」についての話。

最近「〇〇思考」という言葉が飛び交っているなあと思う。

もちろん、その全部を知っているわけではないし、

知らなければいけないこともない。

どれが良くてどれが悪いってことではなくて、

場や状況に応じて、それぞれに最適なアプローチ方法は違うから、

その都度、選んだり、組み合わせたりしていくことが大切なんだろう。

その時に、いくつかそういう「〇〇思考」という視点を持っていれば、

解決に向けた視野も広がるのだと思う。

 

完全にシンプルな表紙のデザインに惹かれて購入した。

本書の中でも言われているように、

私自身も、「デザイン」=「見た目の形や色や構成を整える」

というようなニュアンスを無意識に持っていた。

しかし、筆者は「デザイン」の本質を、

「課題の発見とその解決」であると言っている。

なるほど、確かに「キャリアデザイン」や「ライフデザイン」

なんかの言葉は、筆者の言うような本質に近い気がする。

 

このデザインの本質にひっかかりを感じた。

「課題の発見とその解決」というのは、

PBLや探求学習と親和性があるのではないかということだ。

そこから、教育とデザイン思考がどう結びつくか、

そのことを考えながら読み進めた。

 

<デザイン思考のマインドセット

4つのポイントでまとめられていた。

①曖昧な状況でも楽観的でいられること

②旅行者/初心者の気分でいること

③常に助け合える状態を作ること

④クリエイティブな行動を信じること

 

この4つのどれもが、これからの教育とも相性がいい。

①ポジティブに

②当たり前を疑う、そもそも~

③協働的な学び

④それぞれの興味・関心・好きを深堀り

 

<デザイン思考のプロセス>

こちらも4つのポイントでまとめられていた。

①デザインリサーチ(観察/インタビュー)

シンセシス/問いの設定

③ブレスト&コンセプトづくり

④プロトタイピング&ストーリーテリング

 

身の回りや自分たちの日常生活を多角的・多面的に観察し、

そこから自分たちで核となる「問い」を設定し、

計画を立て、モデル学習をして、

修正をしながら、問いの解決へ向かって、

協働しながら進んでいく。

 

デザイン思考と探求学習やPBLは、

やはり親和性が高いように思う。

 

そして、4つのプロセスの中で一番衝撃を受けたのが、

④プロトタイピングだ。

これは、試作品を作って、

イデアを手に取れるものにして確認する段階。

何が衝撃かって、

早い時には、1分ぐらいでプロトタイプを作ってしまうってところ。

試作品って言われても、ついついていねいに

作りこんでしまいがちな私には、衝撃だったのだ。

クラスの子どもたちを見ていても、

報告文の下書きや、ポスターの下書きなんかに、

異常に時間をかけて、作りこんでいたりすることが、

よくある。

でも、ここでも「目的」から意識がそれてはいけないんだなと

改めて痛感した。

「ていねいにクオリティを高く仕上げる」ことは、

果たして「目的」なのか?

否。

完成形へのイメージ共有をすることで、

実際のゴールへ向けて修正をしていくのが「目的」だ。

この段階がない状態で、ゴールへと進んだとしたら、

途中でミスをしたときのリスクの高さはけた違いだろう。

だから、逆に言えば、

このプロトタイピングで、どんどんトライ&エラーをくり返す。

作るたびに、みんなで意見を出し合って、対話を重ね、

様々な角度からの検討を重ねていくのだ。

そうすることで、アイデアは,研ぎ澄まされていく。

このプロセスは、learn × creationで体験した

PBLワークショップと共通している。

 

見た目や仕上がり具合なんて極論どうだっていい。

それよりも圧倒的なスピードでアウトプットを繰り返し、

修正を重ねていく。

このスピード感は、ある意味、

今の日本の教育にすごく足りていないものなのではないだろうか。

スピード感のあるプロセスでないと、

どうにもならないことって結構ある。

 

あと、もう一つ。

デザイン思考の考え方では、

自分自身の「直感」というものを大切にする。

これだけ科学技術が進歩した現在では、

エビデンスベースやロジカルシンキングでは、

他と比べても、アイデア自体にそこまで差が出ない。

必要な情報を得ることが昔に比べ、

格段にそのハードルが下がっているからだ。

だから、そこから一つ頭抜け出すには、

十人十色である自分の「主観」が武器になる、というわけである。

だから、普段から自分が感じたことを

意識的に顕在化させるクセをつけていく。

身の回りの「当たり前」を「なぜ?」と掘り下げる。

そうすることで、隠れたニーズを可視化できるようになる。

 

このアプローチ方法は、「メモの魔力」の前田裕二ととても似ている。

「事実」→「抽象化」→「転用」のプロセスだ。

以前に「メモの魔力」を読んで、感銘を受け、

メモを取り始めた私にとっては、

嬉しい符号だった。

 

とはいえ、

このデザイン思考の良さを、

教育の現場にどう落とし込んでいけるのか。

また、楽しみな材料が一つ増えた。

learn × creation④ 166

lxc2日目の最初に選んだのは、

サブアリーナでのシンポジウム。

 

「『好きを探せる力』のための家庭×社会×学校の役割とは?

 ~小さな探究者から大人までの学びを考える~」

 

登壇者は以下の4人。

熊平美香(一般社団法人 21世紀学び研究所代表理事)

草本朋子(一般財団法人 白馬インターナショナルスクール設立準備財団代表理事)

堀田はるな(モンテッソーリ原宿子どもの家、モンテッソーリすみれが丘子どもの家教員/保育士)

山藤旅聞(新渡戸文化学園小中学校・高校教諭・学校デザイナー)

 

草本さんがファシリテーター

まず、それぞれにテーマに沿って、

取り組んでいることなどを聞いた。

以下に、それぞれの話を簡単にまとめておく。

 

①堀田はるなさん

 ・モンテッソーリメソッド→子どもの主体性に任せ、教員の仕事は基本的に場の設定

 ・それ以外では、教員がやり方を示す(やってみせる、時に繰り返し)

  →子どもは視覚優位の場合が多いから

 ・異年齢保育(2~6歳)→自然と子どもたち同士で教え合うように

 ・教員→子どもの豊かな体験をサポートする伴走者というスタンス

 ・全ての子どもの育ちを受け入れる(育ちは一人一人違って当たり前)

 ・大人が先回りすると、子どもの育ちを阻害してしまう

 

②山藤旅聞さん

 ・SDGs×教育

 ・学びを学校の中だけで終わらせない。社会へアウトプットし、評価を受ける。

 ・企業・NPONGOとのタイアップを自然なものに。社会とシームレス。

 ・「社会とつながる教育を」

 

③熊平美香さん

 ・経済と教育は双子→経済が画一的な現在に呼応して、教育も非常に画一的

 ・1億総リフレクションを目指す(これからの人生100年時代のカギは「内省」)

 ・シチズンシップ教育、ピースフルスクールの必要性

 ・対立が前提、意見が違っても友だちで良い。自立と共生。

 ・ネガティブな感情がカギ(感情を「なぜ?」で掘り下げていく)

 

それぞれのお話があった後、

ファシリテーター草本さんの質問に、

またそれぞれが答える形でシンポジウムは進んでいった。

 

Q.他の子と比べて見てしまいがちだが、「好き」や「個性」をどうとらえる?

A.「あなたはあなたでいい」という承認。「好き」を見つけるまでには、トレーニングが必要。子どもを一人の人間としてリスペクトする。基本的に自分のことは自分でする。

 

Q.SDGs×教育の中で、子どもたちの「好き」とゴールはどうつないでいく?

A.SDGs→大人も答えを持っていない。つまり大人と子どもが対等。専門性を持つ大人子どもが協力し始めると、先生は見守るだけ。

例】小5理科→教科書の中から好きな実験をして友達に教えよう→意欲的に取り組む

「子どもが自分で選ぶ」ということが大切

社会の濃縮版を教室で展開できればいい。

大人が子どもから学ぶスタンスをしっかり持つ。

子どもたち自身が文化を作っていく人間になる。

SDGsもSTEAMもあくまで手段。手段の目的化に陥らない。子どもたちが自分の人生をどう幸せに生きていくかが最上位目的。

 

Q.変化していくことに向けての一番のハードルは何か?

A.子どもと学びの場だけでは変化を実現させるのは難しい。親・学校を含め、社会全体で整備していく必要がある。

家庭・社会・学校が共有マインドで。同じ理念・同じビジョンで子どもたちに向き合う。

まず、先生自身が心理的な安全を保てるか。→社会が守っていく必要性。学校の完成版はもうない。リフレクションをくり返して創造していくしかない。

 

Q.親としてできることは?

A.自宅ではフリー。親から口出ししない。でも、子どもからの「やりたい」があった時は、一度は本物に触れさせるようにしている。

自分で決めさせる。リフレクションで自己責任を取る。失敗したら「えらい」とほめる。

 

今年に入って、これまで以上に、自分の学校や市町村だけでなく、全国各地の様々な教育関係者の方々の話や書籍などに触れ、「良い教育とは何なのか?」ということについて考え続けている。

苫野一徳さん、岩瀬直樹さん、工藤勇一さん、坪田信貴さん、アニーブロックさん、ヘザーハンドレーさん、ジョンカウチさん、ジェイソンタウンさん…

 

たくさんの考えに触れるにつれ、それぞれの考え方の根っこは同じだということに気付いた。

 

子どもたちの持つ力を信じて任せ、その力が最大限に発揮できるような場の設定を考える。

未来を生きる子どもたちの力を育てるために、社会とシームレスな教育を目指す。

子どもたちが自ら選び、トライ&エラーを安心してくり返すことができるようなサポートする。

子どもたちの全てを受け入れる。子どもへのリスペクト。

 

アプローチ方法が違うだけなのだ。目の前の子どもたちが違うから、当然と言えば当然の話だ。

しかし、往々にして、有名な方の実践や「いいな」と思う魅力的な実践に触れると、「自分もやってみたい」と思う。それは、素直な反応だし、それはそれで大事にすべき気持ちだと思う。

けれども、本当に見習うべきは、その魅力的な実践をしている人の、教師としての在り方だ。教師として、どんなビジョンを持ち、何のために仕事をしているのかという信条とも呼べる部分だ。

そこを見落として、実践の表面だけなぞっても仕方がない。

もちろん、良い部分はどんどん取り入れていけばいい。

ただし、目の前の子どもたちに合うようにカスタムして。

どんないい実践も、すべては子どもたちありき。

子どもたちの見えない実践は、いずれ廃れていく。

どの実践も、その時その時の目の前にいる子どもたちに、最大限フォーカスして、最適解を探し続けてきた結果、その中に共通項が見え、その実践の積み重ねが、確固たる手法として確立されてきたのだ。

 

そんなことを考えさせられ、「じゃあ、お前はどうなんだ?」と胸に思いっきり問いを突き刺された気分だった。

 

先日、みん職の中で、岩瀬先生が言っておられた言葉、

 

「共同修正」

 

その言葉が、ずっと心の中で響いている。

授業も、職員室も、学校も、教室も、

全て同じなんじゃないか。

そう思う。

 

2学期から、今まで以上にトライ&エラーをやっていこう。

そして、短い時間でもいいから、リフレクションをしよう。

その小さな毎日を積み重ねていこう。

learn × creation③ 165

対話型鑑賞のワークショップ後、

参加者の方やファシリテーターの方とあれこれお話をしていると、

ずいぶん時間が経ってしまい、

予定していたシンポジウムには、

終盤の質疑応答の部分しか聞くことができず。

早めの昼食をとり、

昼からもう一つのメインの目的であるワークショップの整理券をもらうために、

会場の教室へと向かった。

教室前に行くと、もうすでにたくさんの人が並んでいた。

何とか滑り込みセーフで参加するための整理券をもらうことができた。

昼から参加したこのワークショップは、

 

アメリカプロジェクト型学習先端校ハイ・テック・ハイの

 現役教師によるプロトタイプ体験ワークショップ」

 

以前から、対話型鑑賞と同じく、プロジェクト型学習(PBL)に興味があり、

こちらも実践に取り入れられたら、という思いから参加した。

講師は、ハイ・テック・ハイの高校教諭ジョン・サントスと

同じく、ハイ・テック・ハイの小学校教諭ジャメル・ジョーンズ。

 

ワークショップが始まると、まずはグループでの簡単な自己紹介。

それが済んだら、

「あなたが本当に何かを学んだ時のことを書き出してみましょう。」

という問いを各自で3分間ふり返り。

これは、次の3点について振り返るようにとあった。

 

・そこには誰がいましたか。

・何が起こりましたか。

・なぜその時のことを覚えているのですか。

 

書き出して、グループで共有してみて思ったことが2つある。

1つ目は、このふり返りで、自分の本当の意味での「学び」を

メタ認知するきっかけになるなあということ。

2つ目は、その「学び」の体験を他者と共有することで、

「深い学び」には、どんな共通項があるのかについて、

知ることができるということ。

PBLという手法を体験する前に、

まず、「深い学び」とはどういったものなのか、

共通認識を持つことができた。

 

ここまでがウォーミングアップ。

この後、プロトタイピングの重要性について以下のような説明があった。

 

PBLは単に美しく適切なものを作ることだけではありません。

それはまた本質的な問いや問題の解決方法でもあり、

美しく適切なものをどのように作るかを考え出すことです。

 

計画とプロトタイピングなしでは生徒たちは指示に従うのみになってしまいます。私たちは次の世代の子たちにただ指示に従うだけの人間になってほしくないのです。

 

 PBLのゴールとして、なんらかの成果物を作ることは、

ゴールであって、ゴールでないということか。

むしろ、ゴールまでのプロセスにもゴールと同等か、

それ以上の価値があって、

そのプロセスの中で、子どもたちは問題解決の方法を学んでいく。

そして、その計画も自分たちで立て、

プロトタイピングすることで、計画を修正し、

ゴールへの精度を上げていく。

 

プロトタイピングは、モデル学習と同義なのかなと感じた。

これまでずっと取り組んできた国語科の研究と似ているのか?

 

①子どもたちが学びたいと思える魅力的なゴールの設定

②ゴールへたどり着くために、何が必要かバックワードデザインでの計画

③教科書教材で必要な知識や技能の習得(モデル学習)

④自分のゴールに向かって、③で得たものを生かして、各自でゴールに向かって学習

⑤できた作品を子どもたち同士で相互評価し、推敲・改良

⑥発表・交流

⑦ふり返り

 

国語の授業は、この流れをベースにしている。

そもそもPBLに興味を持ったのも、

もしかしたら、自分が続けてきた国語研究との

共通点を感じていたからなのかもしれない。

 

しかし、PBLでは、私が普段やっている国語よりも、

各段に子どもたち主体で、ゴールが魅力的で幅広く、社会とつながっている。

そう感じる。

 

プロトタイピングの重要性の後には、

PBLの教室でよくある二つの問題について。

 

・失敗のない、やるだけの活動で結果が簡単に予想できる

・指示の多すぎる”プロジェクト”

 

インパクト:生徒たちは計画することや協働して問題解決にあたることを理解するのに苦労します

 

「活動あって学びなし」という言葉は、

以前から日本にもある。

これまで以上に、教師としての「在り方」が

問われると思った。 

良かれと思っての教師の過度の介入が、

子どもたちの成長を妨げることにつながるということは、

常に自覚しなければいけない。

 

こうしたPBLでありがちな問題を解決するためには、

プロジェクトの計画時に、以下のことが含まれているかに

気をつける必要があるということだった。

 

・調査検討、計画とデザイン

・プロトタイピングとテスト

・シェアと建設的批評

・最終制作

・自分の作品を発表する

・ふり返り

 

「どんな方法でも」「何がテーマでも」ということではない。

全て自由というのもまた、子どもたちの学びを妨げることになる。

 そのバランスが重要なのだ。

 

ここまでが概要の説明で、

ここから実際にグループでのワークショップに入っていった。

この日のテーマが発表される。

 

「デザインとプロトタイピングチャレンジ

 ハイヒールのデザインをし、テーブルにある材料を使って

 ハイヒールのプロトタイプを作る」

 

ハ、ハイヒール!?

いきなりびっくりした。

当然、場の誰もがハイヒールなんて作ったことがない。

戸惑う私たちをよそに、次のスライドで条件が示された。

 

計画・デザイン(5分)

→制作(20分)

→建設的自己批評(5分)

→制作続き(15分)

→作品発表(5分)

 

成功の基準

・靴

・履くことができ、耐久性がある

・5cmの高さのヒール

・見た目が美しい(困惑ではなく笑顔を生むもの)

・支えなしで履くことができる

・同じ形のペアでなければいけない

 

かくしてワークショップは始まった。

時間が足りない足りない。

でも、グループのメンバーで知恵を出し合って、

試行錯誤を繰り返しながら、

何とかハイヒールを完成させた。

2足は、時間切れで作れなかった。

完成後は、発表の時間。

ここでは、できたハイヒールのブランド名、その由来、

工夫したポイントなどをウォーキングと共に紹介する。

一番足のサイズが大きい人で作るという条件もあり、

グループのウォーキングモデルは私が務めることになった。

 

各グループの発表後、全体でのリフレクションがあった。

そこでスライドに示されていたことは、

どれもすごく重要なことで、今回の体験をしっかり価値づけられた。

 

私たち(講師)の気づき ~先生たちがしていたこと~

・即興

・インターネットで事例を検索

・プロセスへの自主的な取り組み(エンゲージメント)

・自然発生的な役割の創出

・クリエイティブなデザインとアプローチ

・奮闘!試行錯誤

・何人かは条件を無視。一方で何人かは条件をかなり重視。

・テストメソッドとデザイン

・協働・激励・学びの共有

・他のグループを見てインスピレーションを得る

・笑い・プロセスを楽しむ

・多様なアウトカム―予測可能なアウトカムではない

 

どれも、確かにグループの中で起こっていたことだった。

(うちのグループはインターネットで事例検索はなかったが)

このリフレクションの良さは、「学び方」を「学ぶ」というところだと思う。

これからより重要になってくる

「何を学ぶか」ではない「どう学ぶか」に

フォーカスしている。

「どう学ぶか」が積み重なると、

子どもたちの中には、課題解決のための引き出しが増えていく。

それは、未知の課題に出会った時に、

そこにどう立ち向かうか考えるための武器になる。

出来合いの問いに答えを出すのではなく、

答えのない問いに向き合い、

考え続けなければいけない

これからの予測困難な時代に

必要な力に直結していると思った。

 

作ったハイヒールは、記念にもらった。

2学期、そっと教室の隅に飾っておこうと思った。

learn × creation② 164

learn × creation(以下 lxc)一日目の最初に選んだのは、

 

「対話型鑑賞(アーツ×ダイアローグ)体験会&ディスカッション」

 

以前から「対話型鑑賞」というものに興味があって、

少し前に、このブログでも読書記録として「対話型鑑賞」の本について書いた。

 

yamanyo.hatenablog.jp

 

授業でも、この「対話型鑑賞」のアプローチを取り入れて、

学びをデザインできるのではないかという期待感があり、

そのためにも、まず自分自身が「対話型鑑賞」を一度体験してみたい

と思っていたので、プログラムを見て、早い段階から参加を決めていた。

 

lxcでのこのワークショップは、「アーツ×ダイアローグ」について、

最初に簡単な説明があった。

 

知識に頼らず作品をよく見ることからはじめ、「これは何だろう?」と一人一人に考えることをうながし、様々な意見を引き出しながら、作品の見方を深めていく鑑賞法。

 

「鑑賞」と聞くと、なんだかすごく難しそうな、

センスが問われているような、

ちょっと腰が引けるような印象が 自分にはあった。

でも、この「対話型鑑賞」の中では、それぞれの持っている知識に

差があろうがなかろうが、問題ではない。

その場にいる参加者が、全員フラットな立場で「鑑賞」ができる。

その場の設定が、まずすごく心地よかった。

「何を発言してもいいんだ」という安心感が、

場の設定に、すでにあった。

進行役の方も、あくまでファシリテーターであり、

持っている知識でもって、作品の解説をはさんだりしない。

そして、一人一人の意見をしっかりと受け止めてもらえるので、

安心感は、鑑賞が進むほど増していった。

この参加者の発言を受け止めるファシリテーターの在り方は、

今朝がた参加させてもらった「みん職」での

コーチングの考え方にも通じるものがあるなと

今そのリンクを感じている。(このことについては、また今度)

やはり、「対話」の場では、まず安心・共感が必要不可欠なのだ。

 

対話型鑑賞では、プロジェクターで映し出される1枚の作品を、

まずじっくり「みる」

この時、だれも発言はせず、ただ黙ってじっと「みる」

やってみて思ったが、みる作品によって、

自分の内側の言葉が多かったり、少なかったりした。

「少ない」ときは、少し不安に感じることもあった。

その不安は、「え、どうしよう。全然気づくことがないぞ。」

という焦りにも似た気持ちだ。

でも、結果的にこの不安は杞憂に終わる。

この後の対話的なプロセスの中で、

他者の意見を聞いて、

どんどん自分の中に新たな考えが浮かんできたからだ。

「みる」のは、時間にして、1~2分くらいだった。

その後、作品を見て気付いたことや思ったこと、感じたことを

自由に発言する時間になった。

口火を切るのに少し勇気が必要だったのは、

自分が大人だったからかもしれない。

子どもたちなら、きっとスムーズに発言してくれるんじゃないか、

クラスの子どもたちの顔を思い浮かべながらそんなことを思った。

 

最初の方が発言されてからは、

自分自身の鑑賞がどんどん深まっていくのを感じた。

「深まる」というのは、他の参加者の方の発言を聞いて、

自分にはなかった視点を得ることができて、

その新しい視点で改めて絵を見ると、

今まで考えもしなかったようなことが思い浮かんだり、

その新たに思い浮かんだことが、思いがけず、

最初に自分が考えていたことと新たなつながりが生まれたりしたからだ。

そうなってくると、「言いたい」という気持ちが自分の中で芽生えてくる。

そして、挙手制で当ててもらい、自分が今考えていたことを発言すると、

それを受けて、また別の方が付け足して、新たな解釈を生まれる。

あの場で私が心の中で感じたり、考えたりしていたことは、

きっと大なり小なり参加者全員に起こっていた現象だと思う。

 

「対話型鑑賞」では、「みる」→「考える」→「話す」→「聴く」

の4つのプロセスをぐるぐるループする。

この4つが、鑑賞が進むほどスパイラルに深まっていく。

そして、すごく感動したのが、

このプロセスをたどっているうちに、

自分の中に「自分の問い」がいくつも生まれてくることだった。

 

「あの人は、こう言っていたけど、だとしたら、あれはなんだ?」

とか、

「あそこをこうみたとしたら、なぜこっちはこうなっているのだろう?」

とか、

そういった問いが次々に、そして自然に自分の中に生まれていた。

 

学校現場で日々授業をしていて、

出来合いの「問い」ではなく、

子どもたちの心の底からの「問い」をスタートに、

様々な学習を進めていくためにはどうすればいいのだろう。

ずっと考えてきた。

教科書があり、単元があり、

その中でどうやって子どもたちに自ら

学習の「問い」を見つけるきっかけを作ることができるのか。

どうしても、そこには「この力をつけさせたい」

という教師側からの介入があり、(それが必ずしも悪いというわけではないが)

「学び」が100%子どものものではないような、

違和感というか、モヤモヤしたものを抱えていた。

 

そういうもやもやへの一つの突破口になるのではないか、

実際に自分で対話型鑑賞を体験してみて、その思いは強くなった。

対話型鑑賞というアプローチは、とても汎用性が高い。

今回の作品は「絵」だったが、

これが「写真」でも「彫刻」などの立体的な作品でも構わない。

そう考えると、「グラフ」や「図」なども、

一つの作品として、対話型鑑賞で扱っていけば、

社会や理科、国語でも導入できそうだ。

「音楽」でも同じようなことが可能ではないのか。

 

「体育」などでは、ICTを活用して、

マット運動などのフォームを動画撮影し、

それを見ながら、改善点を共有する実践などは、

比較的あちこちでされているだろう。

あれも構造的には、

作品=動画があり、

みんなで「みて」「考えて」「話して」「聴いて」

浮かび上がってきた改善策を実際に試して、また動画を「みる」

 

もちろん、このプロセスさえたどれば、

オールOKというわけではない。

ファシリテーターが非常に重要な役割を果たすからだ。

 

この日、ファシリテーターをしてくださった方は、

参加者が発言をすると、必ずと言っていいほど、

「なるほど。それってどこからそう思われました?」

と質問を投げかけていた。

過去記事で書いた本でも読んだことだが、

「なぜ」とは質問しない。

必ず「どこから」だ。

この「問い」によって、

鑑賞の目は、必ず作品に戻っていく。

そして、発言が作品のどこの何に注目してのことなのか、

ファシリテーターがかならず指差しをして、

焦点化してくれるので、

参加者はみんな、作品のどこについて話しているのかを

確実に共有することができる。

そして、ファシリテーターは、さりげなく、

鑑賞者同士の共通項を見つけ、グルーピングしてくれたり、

鑑賞者の発言を整理して、言い換え(パラフレイズ)してくれたり、

要所要所で、鑑賞の場がスムーズに進んでいくように、

絶妙のタイミングと内容で、合いの手を入れてくれていた。

このあたりのテクニックは、

ファシリテーターとしての研修を受けないと

なかなかその神髄を全て理解して、

実践の場でスムーズに場をコントロールすることは

できないのではないかと思った。

でも、「対話型鑑賞」の参加者の中に、

どんどん「問い」を生んでいくシステムは、

やはり非常に魅力的で、

自分にファシリテーターとしての力をつけるのは、

もちろん必要で、早いに越したことはないが、

それでも、段階的にできる範囲で、

授業に導入していこうと思えた。

 

対話型鑑賞では、正解が一つではなく、

自分で答え(納得解)を生み出すしかない。

でも、だからこそ良い。

子どもたちは作品を通して、

自分の解釈で作品をストーリーにして表現する。

実際自分がそうだった。

鑑賞が終わってみれば、

始めた時には思いもしていなかったストーリーが

自分の中に生まれていた。

そして、自分の中の「解釈」を深めるヒントが欲しくて、

自然と他の参加者の方の意見を「傾聴」していた。

「傾聴」の必然性が自然にそこに存在した。

「他者の意見受け入れ、積み重ね何かを生み出す」

それも対話型鑑賞の魅力の一つだと感じた。

 

まだまだ一回体験しただけで、何もかも分かったわけではないけれど、

それでも、この体験は自分にとって大きな一歩だった。

実践の場で、アウトプットを重ねて、

より子どもたちの学びを促進する一つの手段として、

自分の中で育てていこうと思う。