小学校教員にょんの日々ログ

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24冊目「教えない授業 美術館発、「正解のない問い」に挑む力の育て方」 158

本年度24冊目の読了本はこちら。

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「教えない授業 美術館発、「正解のない問い」に挑む力の育て方/鈴木有紀」

 

著者の鈴木有紀さんは、

愛媛県美術館の学芸員

美術館の教育普及を担当し、

館内外で対話型鑑賞の普及に努める。

 

読み出して、まず、ある本とのリンクに気付いた。

以前、その本についてブログにも記事を書いた。

 

yamanyo.hatenablog.jp

 

こちらの本の著者は、岡崎大輔さん。

京都造形芸術大学アート・コミュニケーションセンター専任講師で副所長。

対話を介した鑑賞教育プログラムACOPを企業内人材育成や

組織開発に応用する取り組みを行っている。

 

本書の作者である鈴木さんは、

この京都造形芸術大学アート・コミュニケーションセンターとも

協力しながら、「えひめ「対話型鑑賞」プロジェクト」を展開してきた。

 

表紙に惹かれて、あまり何も考えずに手に取った本だったが、

思わぬところで、以前に読んだ本とのつながりが見つかり、

不思議な縁を感じた。

 

岡崎さんの著書では、ビジネス界での人材育成や組織開発に重点を置いて、

対話型鑑賞「ACOP」について書いていたのに対して、

本著では、タイトルにある通り、

学校教育で活用することを念頭に置いて書かれている。

そういう意味で、岡崎さんの著書よりも、

今の自分の立場に近く、より授業での応用を

明確にイメージしながら読み進めることができた。

 

対話型鑑賞では、従来の学校教育でされていたような、

作品に対する解説や情報を教え込むようなことは一切しない。

教師と児童という、立場の違いもない。

その場にいる全員がフラットな関係であり、

一つの作品に対して、それぞれが自分の感じたことや思ったことを自由に発言し、

それらをつないでいくことで、それぞれの中により深い作品解釈が生まれていく。

 

私が、本著を読んで特に印象に残ったのは、2つ。

 

まず、対話型鑑賞を成功に導くため、

ナビゲーターとしての教師が投げかける問いについてだ。

この対話型鑑賞では、

「みる→考える→話す→聴く」のサイクルを回しながら進む。

その中で、教師はナビゲーターとして、

児童たちの発言を拾いながら、

その場の対話を広げたり、深めたりすることを促す問いを

必要に応じて、タイミングを見て投げかける。

その問いの中の一つにこんなものがある。

 

「どこからそう思った?」

 

これは、児童が作品に対して自身の解釈を発言したときに使う問いだ。

この問いを投げかけられた児童は、

自身の解釈の根拠を求めて、また作品を「みる」、

そして「考える」。

この作品に戻らせる行為を促すのが、この問いだ。

これに、衝撃を受けた。

とてもシンプルな問いだ。

一聴して、特に「どこに衝撃を受けたの?」と思われそうだが、

きっとこれまでの私であれば、同じような状況があった時、

きっとほぼ間違いなく、こう投げかけていただろう。

 

「どうして、そう思った?」

 

どちらも、根拠を求めているところは同じだが、

そのアプローチが全く違うことを教えられた。

「なぜ」という問いは、根拠が作品本体から見つけられるものに限らない。

一方、「どこから」という問いは、根拠を求めて、児童が必ず作品に戻る。

この違いの大きさに気付き、衝撃を受けたのだ。

「なぜ」という問いが悪いわけではない。

状況や学習内容によっては、「なぜ」が効果的な場面も

無数にあるだろう。

しかし、対話型鑑賞に限って言えば、

圧倒的に「どこから」の問いが効果を発揮する。

 

児童は一人一人異なる背景を持っている。

その背景も根拠の範囲に含んでしまうと、

互いに聴き合い、対話を通して解釈を深めていくプロセスにおいては、

作品という共通認識されているものからずれてしまう可能性があると思った。

だからこそ、どこまでも作品の中に根拠を求める「どこから」の問いが、

効果的なのだ。

「どこから」には、児童それぞれのものの見方が反映される。

見方は、十人十色。

だから、友だちの見方に新鮮な驚きがあり、

だからこそ、「聴く」ことが楽しくなる。

そういうことなんじゃないか、と読んでいて感じた。

 

もう一つ、印象に残ったことが、その汎用性。

対話型鑑賞は、美術作品に限らない。

国語の授業で、物語の挿絵にも使えるかもしれないし、

詩の本文そのものを一つの作品としてみることもできるし、

社会の地理の授業で、一枚の写真をみて、そこから対話を進めることもできるし、

他にも、可能性が広がる。

どの教科でも応用可能で汎用性がとても高い。

そこに非常に魅力を感じた。

この対話型鑑賞の手法では、

鑑賞者から、どんどん「問い」が生まれる。

そして、その「問い」の答えを求めて、

また作品に戻っていく。

その「答え」は唯一絶対解ではなく、

その人にとっての、その時の「最適解」である。

だから、その答えは、状況や環境、

その時の自分の考え方にも影響されて、変わる可能性がある。

でも、それでいいし、もともと「答え」なんてないのだ。

自分の中で、対話を通して、納得できる答えを生み出すしかないのだ。

 

予測困難なこれからの時代を生きるためには、

課題解決力だけではなく、「課題設定力」が重要になってくる。

対話型鑑賞では、その両方の力を

楽しみながら身に着けることができるのではないか。

そんな希望をすごく感じた。

 

また一つ、2学期からの授業に向けて、

良い視点を得ることができた。

とてもワクワクしている。

今考えているのは、まず図工の授業の中で、

対話型鑑賞を取り入れていき、

少し慣れてきたら、社会や国語など、

他教科の導入などで取り入れてみようかと思う。

いきなりうまくいくなんてことはないだろうが、

しっかり準備をして、またここから積み重ねていこうと思う。