小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

瀬戸内国際芸術祭① 108

 

今年度のTo Do List 2019にも掲げていたことの一つ、

「瀬戸内国際芸術祭に行く」が、先日叶いました!

今回の10連休で行くことが決まってはいたのですが、

何となくはっきりとした日取りを決めないまま、

奥さんからプレゼンターに指名された私のていたらくにより、

気付けば、どこも予約でいっぱい状態。

これは、この10連休はあきらめるしかないか、

と思っていたのですが、

優しい優しい奥さんは、

日帰りでも行こうとしてくれたのです。

本当に感謝感謝です。

奥さんのこの心意気がなければ、

100%瀬戸内国際芸術祭行きをあきらめていたと思います。

 

前日、奥さんと

「6時くらいに家を出発しようか。」と話をして、就寝。

翌日起きて家を出たのは、9時過ぎでした。

 

あかんやないかい!!

 

急いで荷物を車に詰め込みます。

自分たちのかばんに、毛布。

…ん?毛布?

 

そう、急遽一泊してもいいように、

車中泊用の毛布を積み込んだのです。

ここまでしてくれるなんて。

ってか、私以上のやる気。

宿は、頑張って探すもどこも満室。

一部屋たりとも空いていなかったのです。

瀬戸内国際芸術祭と10連休なめてた…。

 

かくして、瀬戸内国際芸術祭への旅が始まったのでした。

車を走らせること4時間。

香川県高松市の高松フェリー乗り場に到着。

行きの車内で、この日の直島行きは無理だと判断していたので、

もう一つ行きたかった女木島へ行くことにしました。

何かようわからんけど、時間もなかったし、

女木島の情報も皆無(ようそれでやって来たなあ。)だったので、

車ごとフェリーに乗り込みました。(値段高かった。)

20分ほどすると、お目当ての女木島に到着。

 

f:id:yamanyo:20190430224837j:plain

女木島の港にて

めちゃくちゃいい天気!!景色も最高です!

もう降り立った瞬間、「旅に来たー!」って感じがどっと押し寄せてきました。

そして、この女木島、島内の道が細く、車での移動には適さなそう…。

というわけで、港の案内所で電動自転車借りました。

 

車ごと来た無意味感ー!!

 

ずいぶん奥さんに「もったいない…」と言われました。

はい、すいません、ぼくのリサーチ不足です。

 

というわけで、ここからは島内をめぐっての写真中心で進めていきます。

 

f:id:yamanyo:20190430225736j:plain

ズラッと並んだカモメたち

f:id:yamanyo:20190430225926j:plain

遠くを望む鬼。(女木島は鬼ヶ島伝説の地)

f:id:yamanyo:20190430230030j:plain

鬼ヶ島洞窟へ向かう途中の景色

f:id:yamanyo:20190430230138j:plain

多分モブ?な洞窟入り口付近の鬼

f:id:yamanyo:20190430230529j:plain

鬼の親玉

恐さよりも、この巨体をどうやって運び込んだのか、

それともどうやって作ったのか、それが気になりました。

 

f:id:yamanyo:20190430230855j:plain

展望台からのオーシャンビュー!

f:id:yamanyo:20190430231120j:plain

もういっちょオーシャンビュー!!

f:id:yamanyo:20190430231328j:plain

高台の違和感。

f:id:yamanyo:20190430231441j:plain

女木島でヨーダ

f:id:yamanyo:20190430231559j:plain

女木島ニューシネマ座。行ったらフィリップスやってた。

f:id:yamanyo:20190430232202j:plain

アメリカから流れ着いたブイに、木を入れて作ったらしい。すごい発想。

f:id:yamanyo:20190430232416j:plain

海岸もきれい。夏にまた来たい。

f:id:yamanyo:20190430232527j:plain

やじろべえのような不思議な動きをするオブジェ。ついつい見入ってしまった。

f:id:yamanyo:20190430232652j:plain

ピアノ弾いてる風。

f:id:yamanyo:20190430232935j:plain

家船という強烈なインパクトを残した作品。

f:id:yamanyo:20190430233123j:plain

家船の前の不気味なオブジェと共に。

 

時間にして3時間ぐらいだったでしょうか。

初めての女木島、

初めての瀬戸内国際芸術祭を満喫しました。

高松への帰りのフェリーの中で、

何気なく、ホテル情報を見てると、

なんと空室情報が6件ヒット!!

これは!!

ってことで、すぐに予約をして、

高松港近くに急遽宿を取ることに成功!!

何て行き当たりばったり!!

でも、こういう旅もたまにはいいよね!!

ってことで、高松で海鮮パーティーをして、

ぐっすりふかふかのベッドで眠りにつきました。

これで、明日も心置きなく、

瀬戸内国際芸術祭を楽しめるぞー!!

(続く)

前提として。 107

先週、家庭科で調理実習に向けて、

「目指せ、身支度マスター~超えろ、3分の壁~」という授業をした。

大げさに言っているが、

ようは、エプロンと三角巾、

自分でテキパキ付けられるようになろうねってことである。

この身支度に手間取ると、予定がずるずると後ろにずれ込み、

調理時間を圧迫するからである。

各自家からエプロンと三角巾を持ってきてもらい、

ストップウォッチで時間を計りながら、

3分以内に身支度を終えることを目指して、

互いにアドバイスをしあいながら、練習をしてもらった。

 

そんな中、うちのクラスのある男の子。

一人黙々とエプロンのひもを後ろ手で

蝶々結びにしようと励むも、なかなかうまくいかず。

涙腺がかなり緩い子で、目にはもう涙がにじんでいた。

どうするかな?としばらく様子を見ていると、

試行錯誤の末、

 

「わかった!!いいこと思いついた!!!!」

 

と大声で言い、なにやらごそごそ動き出した。

 

「なるほど、そういうことか。」

彼を見ていて、何をしようとしているのかが分かった。

首だけ通したエプロンの前後を180度回転させ、

後ろ手でくくろうとしていたひもの部分を

自分の体の前に持ってきたのである。

 

なるほど、考えたものである。

うまく身支度できない原因は、後ろ手でひもをくくろうとすること、

ならば、後ろ手の状況を変えてしまえばいい。

発想の転換

彼の目は、がぜん輝き出して、

思いついたアイデアを形にしようと、

猛烈に体をもぞもぞさせ、エプロンの回転に成功。

さあ、準備は整った。

後は、体の前で、悠々と蝶々結びをし、

その後、またぐるりとエプロンを元通り回転させれば、

準備完了である。

彼の歴史的快挙の瞬間を共に喜ぼうと、

じっと彼の所作を見つけた。

 

…。

 

……。

 

………。

 

 

 

いや、そもそも蝶々結びできへんのんかーい!!

 

吉本新喜劇バリにこけそうになりました。

 

彼の身支度3分の壁はまだまだ遠そうです。

15冊目「そして、バトンは渡された」 106

今年度15冊目の読了はこちら。

 

f:id:yamanyo:20190430073202j:plain

「そして、バトンは渡された/瀬尾まいこ

瀬尾まいこさんの小説を読むのは、これが二冊目だ。

ずいぶん前に、「幸福な食卓」を読んで以来なので、

もう10年以上ぶりになる。

 

個人的にはずれがない「本屋大賞」は、毎年チェックしている。

そして、今年、発表された本屋大賞1位がこの作品だった。

平積みされて、よく本屋でも見かけていた表紙だったが、

本屋大賞を受賞するまで手に取ろうと思わなかったのだから、

本屋大賞様様である。

とてつもなくいい作品に巡り合えた。

 

主人公の森宮優子は、高校3年生。

受験を控え、あわただしい毎日を過ごしている。

そんな彼女には、4人の親がいた。

水戸、梨花、泉ヶ原、そして森宮―。

四回も苗字が変わった優子。

 

ここまで聞くと、

先入観で、「壮絶な生い立ちだな。」と思ってしまった。

しかし、この小説は、その先入観を木っ端みじんにする。

優子は、どの親にもいつも愛されていたのだ。

それぞれの親と過ごした時間は、多くはなかったが、

そして、楽しいことばかりではなかったのだが、

それでも、優子自身、そんな自分の境遇を「不幸だ」と

嘆いていないのだ。

そうした状況をよく表した印象深い優子のセリフがある。

 

「森宮さん、次に結婚するとしたら、意地悪な人としてくれないかな」

 

 

序盤で、こうした状況が明らかになり、

読者としては少々面食らった感じで物語は進んでいく。

 

4人の親のうち、優子にとって最後の親である森宮さんとの日常を軸に、

物語は、それまでの3人の親とのエピソードが回想形式で挟まれながら、

展開していく。

どのエピソードを読んでも、

それぞれの親が優子のことを第一に考え、

目いっぱいの愛情を注ぎ、

血のつながりのない自分が親としてどうすればいいのか、

苦悩しながら全力で子育てに励む姿があった。

水戸さんは、優子と離れ、ブラジルに移り住んで、

再婚し、新しい家族ができても、

優子に手紙を送り続け、ずっとつながりを

保とうと必死だった。

梨花さんは、派手好きで行動力があり、

突拍子もないことをして優子を驚かせることしばしばだったが、

それも全て優子の人生を第一に考えてのことだった。

泉ヶ原さんは、お金持ちで、でも威張ったところがなく、

中学生と言う多感な時期に突然自分の娘になった優子のために、

してやれることはあまりないけど、

優子が大好きだったピアノを毎日夜中に

きっちりと調律してくれていた。

森宮さんは、ちょっとアドバイスや励まし方なんかに、

ピントがずれたところがあるけど、

優子の親になって、自分の人生が二倍になったと喜び、

どんなときも家でご飯を作って帰りを待ってくれていた。

 

優子はそんな愛情を一身に受けて育つ。

が、血のつながりがないゆえに、

気を遣ったり、

親が何度も変わるうちに、

家族と言うものに、ある種ドライな、

割り切りを持つようになる。

けれど、そんな優子のドライな部分を、

氷のような部分をすら、

その愛情でゆるやかに溶かしてく。

全編を通して、

ものすごく感動的な盛り上がりがあるわけではなく、

どちらかというとそうした珍しい生い立ちを無視するかのように、

淡々と物語は進んでいく。

その淡白さが実に心地いい。

それは、あくまで互いに相手を思いやるが故の

淡白さであることがわかっているからだ。

物語が淡々と進めば進むほど、

その裏の気遣いや愛情が胸を衝く。

 

この物語を読んでいて、

伊坂幸太郎の「オー!ファーザー!」を思い出した。

あの物語も4人の親(父親だったけど)が出てきたっけ。

家族って何なんだろう。

血のつながりがなければ家族にはなれないのか。

血がつながっているからこそ、わがままにもなれるのか。

優子の自問自答を通して、

家族について考えさせられた。

そして、家族だけじゃなくて、

もっともっと身の回りの

自分に関わる人たちを大切にしないとと思った。

 

優子は親が四回も変わる経験をしたこともあって、

それぞれの親から選択を迫られる出来事が何度もあった。

それは、優子の意思とは無関係に、

ある意味大人の事情でそう迫られた。

だから優子は多くを望まない。

不平不満を言わない。

だって十分幸せだから。

 

でもそんな優子が運命の相手に巡り合う。

そして、結婚を決意する。

これまで、自分の意思とは関係のないところで、

無慈悲な選択に迫られてきた優子が、

自分の意思で結婚を選択するのだ。

そのことが、自分のことのようにうれしかった。

優子はこの選択によって、

自分の意思で決めたからこその苦労や悩み、

喜びなど、様々なことを経験することになるのだ。

この辺りから、本当の意味で「生き始めた」優子。

それは、かつて親だった人たちを巻き込んで、

物語のフィナーレへなだれ込んでいく。

 

物語の最後の最後、語り手が初めて、

「優子」から「森宮さん」に変わる。

相変わらずの淡々とした、

そして、森宮さんらしい飄々とした語り口に変わりないのに、

涙が止まらない。

この物語のタイトル「そして、バトンは渡された」

のもつ本当の意味がここで明らかになる。

見事なまでに爽快で、

清々しい終わり方だった。

 

「身近な人が愛おしくなる」

 

まさに帯のキャッチコピーの通り。

素晴らしい作品だった。

決断。 105

今日、人生の中で大きな決断をした。

この決断が、正しかったのかどうか、今はまだわからない。

でも、決断した。

これからは、この決断が正しかったと、

未来の自分がそう思えるように生きていくだけだ。

 

出会いは、ずいぶん前になる。

まだ私は高校生くらいだったろうか。

出会ってすぐ夢中になったというよりは、

徐々に夢中になっていったという方がしっくりくる。

重ねた年月の分だけ、「好き」も積もっていった。

毎週会うのが楽しみで、

そのことを想うと、平日の景色も違って見えた。

早起きだってちっとも苦じゃなくなった。

いつも私をワクワクさせ、驚かせ、

幸せな気持ちにしてくれた。

この気持ちは永遠に続くと、あの頃の私は疑いもしなかった。

 

でも、時は流れ、心は変わる。

関係も変わっていく。

誰だって、ずっと変わらないままではいられないのかもしれない。

最近は出会っても、昔ほど心がときめかないことが増えた。

本当は、もっと前に気付いていたけど、

そんな自分の気持ちに、見て見ないふりをしていた。

その気持ちが本物だということを認めてしまうと、

何かが変わってしまうんじゃないかと怖かったのかもしれない。

 

でも、今日、そんなどっちつかずの自分に区切りをつけた。

別れる決断をしたのだ。

別れてみると、そこまで自分の心が乱されていないこと気付いた。

あんなに大好きだったのに、ここまでドライに別れられるのか、

いや、こんなドライな気持ちのまま、

騙し騙し関係を続けたとて、

遅かれ早かれ、こうなることは目に見えていたはずだ。

その日が、今日なのか、もっと後なのか、それだけだ。

 

でも、今は感謝しかない。

私に色んな世界を見せてくれた。

日常に彩を与えてくれた。

 

また、どこかで私との運命が交わる時が来るかもしれない。

ないとは言い切れない。

 

だから、

 

だから、その日まで。

 

さようなら。

 

ありがとう、

 

本当にありがとう。

 

 

 

週刊ヤングジャンプ」。

14冊目「1分で話せ」 104

しばらく時間が空いてしまった。

本年度14冊目の読了はこちら。

 

f:id:yamanyo:20190425223548j:plain

1分で話せ/伊藤羊

本のタイトルを体現したような表紙。

そのシンプルな表紙に惹かれて、購入した。

 

内容はと言うと、こちらもまさに帯の通り。

言いたいことはつまりこれずばりそのものである。

すごいなあ。

表紙の構成、帯の文章。

それらが全て、本の内容を見事に表現している。

表現と言うか、実践している。

「ほら、ね?こういう具合に。」とでも言われているようだ。

 

「結論」を述べ、その「根拠」を示すことで、

「左脳」を動かし、

「たとえば」で、具体例を示し、イメージを共有することで、

「右脳」を動かす。

 

その結果として、人は「動く」。

 

そう、これは、プレゼンをいかに成功させるかについて書かれた本だ。

職業柄、毎日人前で話す時間が一定ある。

そんな自分の話し方、

研究会などでのプレゼンの仕方を見つめ直す

とても刺激的な一冊だった。

 

「想い」が走りすぎて、結局何が言いたいのか伝わらない。

「ロジック」だけが際立っていて、心が動かない。

 

どちらもよくあることだ。

今の仕事でも、何度も経験がある。

この二つのバランスを取るのにいつも苦労する。

校内で何か改革を進めるときも、このバランスはとても大事だ。

でもこれまで、そのバランスは、

正直、自分自身の肌感覚頼みだった。

そう考えるエビデンスが明確でなかった。

しかし、この本を読んだことで、そのあたりの感覚が

言語化され、整理された。

 

そして、ただのプレゼンのハウツー本に終わっていないところも良かった。

「プレゼン」の目的とは何か、その本質を見落としていない。

「プレゼン」は、人を説得し、動いてもらうために行うものだ。

こうして、言葉にすると、

「そんなこと、当たり前だろう。」と思ってしまうが、

案外、ここが抜け落ちていることが多かったな、と自分自身思う。

「プレゼン」の出来自体に、自分自身満足してしまった経験が

少なからずあるからだ。

プレゼンそのものの出来は、副産物でしかない。

つまり、プレゼンの結果、その相手が「動いて」ナンボなのだ。

どんなに感動的なプレゼンでも、そのプレゼンがきっかけとなって、

誰かの何かを動かし、それが現実世界で行動にならなければ、

その「プレゼン」は、大きな意味で「失敗」なのである。

だから、プレゼン本番だけではなく、

その前の準備や根回し、プレゼン後のフォローやプッシュ、

そういうことまで含めてプレゼンととらえる必要がある。

 

授業でスピーチなどに取り組む際にも、

子どもたちにフィードバックできる考え方だなと思った。

 

もっともっと、目的に、相手に、

貪欲でなければいけない。

「プレゼン」はそのための手段でしかないのだ。

そのことを忘れたプレゼンは、

形骸化されたただの自己満足に成り下がる。

それを心に刻んで、子どもたちの指導に当たると共に、

自分自身もその核心を心に刻み、

「1分で話す」ことを意識していかなければいけない。

 

 

そういえば、SHOWROOMの前田裕二も、似たことを言っていた。

「「『君の名は』の内容を1分で話して」って言われれば話せます。逆に、1時間話してって言われても話せます。要は、その映画の面白さの本質はどこにあるか、抽象化する過程で言語化するんです。それができれば、あとは、与えられた時間に合わせて肉付けして話せばいいだけなので、何とでもなります。」的な。

 

「メモの魔力」の中で、そんな記述があったはず。

 

んー、やっぱり、大事なことというのは、

真理と言うのは、ひとところに収れんされていくものなのかなあ。

伝染。 103

クラスの子どもたちがソファづくりにドはまりしている。

もともと、何かを作ったりすることが大好きな子たちだった。

けれど、まさかここまで熱中するとは…。

 

保護者の方々の協力もあり、

毎日、新しい牛乳パックが届く。

牛乳パックが届くと、いつの間にか休み時間になると、

牛乳パックの周りに人だかりができている。

そして、数人のグループをいくつか作り、

役割分担しながら、協力して手際よく、

牛乳パック同士をガムテープで張り合わせ、

3×3の牛乳パックのスツールのようなものを量産している。

このスツールもどきが一つ、また一つと増えるたびに、

「どれどれ。座らせて。」「私も座りたい。」

と座り心地を確かめたくて、交代でスツールもどきに座る。

「おお~っ!頑丈やん!全然ぐらぐらせえへん。」

などと感嘆の声を上げ、ニコニコしている。

かわいすぎるやろ。

スツールもどきが増えるたびに、

ゴールのソファの姿がはっきりと見えてくるようで、

それがたまらなくうれしく、興奮するらしい。

おおはしゃぎである。

「今日はないけどな、明日はいっぱい持ってこれるねん!」

などと、聞いてもいないのに、報告してくれる子もちらほら。

 

そういうワクワクしてる人の姿は、

不思議なもので、他の人に伝染する。

ワクワクがクラスに広がっていく。

もちろん、そうは言ってもまだ4月である。

本番はこれからである。

でも、ちょっと張り切って

わくわくしちゃったっていいじゃないか。

そんな風に思えてしまう。

子どもたちのニコニコ、いや、ニヤニヤした顔には、

「細かいこと気にすんなよ、俺ら楽しんでるし。な!」

そう思わせてくれる力がある。

 

これから一年間、いろんなことで、

みんなでワクワクできたらいいなあ。

他にも、面白そうなアイデアが色々と出てきている。

実現に向けて、

担任でないと、どうすることもできないことに関しては、

誠心誠意、サポートしていこう。

 

今、猛烈に楽しい。

毎年楽しいけど、

今年はまたなかなかやりがいがありそうで。

 

ソファ出来たら、また報告します。

 

f:id:yamanyo:20190424214837j:plain

絶賛作成中!

 

リフォーム。 102

今年、クラスの子どもたちと一緒にやりたいことの一つに、

「教室のリフォーム」を考えている。

子どもたちには、それとな~く、

「そういうことしても別にいいねんで~。」と伝えた。

去年から子どもたちに言っていることだが、

クラスも教室も自分たちで変えようと思えば、

十分変えていけるし、良くしていける。

先生が先頭に立って変えていくもんでもない。

(そういうことが必要な場面もゼロではないけど)

だから、子どもたちの「やりたい」や「変えたい」を

引き出して、その実現を最大限サポートできる教師でありたい。

 

そんなことを考えてて、

リフォームって案が浮上してきた。

それにすごくワクワクしている。

(オーバーペースの要因の一つ 笑)

手始めに、決まったのが、

 

「教室にソファを置きたい!」

 

というアイデアだ。

教室にソファ?

んなこと無理ちゃうん?

子どもたちははじめ、このアイデアに懐疑的だった。

でも、牛乳パックを使えば、

結構本格的なものができそうなことがわかると、

状況は一変。

「やりたいやりたい」と大盛り上がり。

そして、流れは一気に傾いた。

満場一致で「ソファを置く」ことに決定。

その二日後が、参観と懇談だったので、

懇談で保護者の方々に、趣旨を説明し、

牛乳パック集めの協力を依頼した。

 

そして、週が明けて、今日。

30本近牛乳パックが集まった。

試しに、9本のパックを使って、

スツールを作ってみた。

恐る恐る座ってみたが、

体重75kgの私でもびくともしない。

ソファ完成への希望が見えてきた。

 

目標は、IKEAで買ったのかと見間違えるぐらいのクオリティだ。

でも、オーバーペースには気を付けて、

楽しみながら、子どもたちと少しずつ進めていきたい。

 

他にも同時進行のプロジェクトがいくつか立ち上がっている。

子どもたちはどこまでの進化を見せてくれるのか。

今からものすごく楽しみで仕方ない。