記憶の密度。 94
このブログ始めて以来のサボりをしてしまった。
でも、サボってみてわかったこともある。
それは、一日ごとの記憶の密度だ。
アウトプットをしない日常は、
本当にびっくりするほど、流れるように過ぎていく。
そして、ところてんのように、
毎日新しい朝がやってきては、古い日常から順に、
脳内から押し出されていく。
昨日食べた晩御飯の味だったり、
夜空を見上げた時の月のきれいさだったり、
親しい人たちとの何気ない会話だったり。
アウトプットを怠って、
ふと立ち止まった時、後悔する。
「あれ、あの時の晩御飯どんな味やったっけ?」
「あれ、あの時の月、何がそんなにきれいなんやっけ?」
「あれ、あの時あの人とどんな話したんやっけ?」
人間は忘れていく生き物だ。
仕方のないことだ。
でも、放っておくと忘れていくような小さな日常にこそ、
忘れてはいけない感動が転がっている気がする。
それをきちんと掬い取れる人でありたい。
3日間のブログサボりを経て、そんなことを想った。
そういう視点からもアウトプットって大事だ。
日常の中で感じる一瞬の揺らぎのようなもの、
刹那、光を放つもの、
それを逃さず、掬い取って、
それを言語化して記録しておく。
言語化できない日常の些細な心は、
忘れられ、記憶の泉の底に沈んで取り出せなくなる。
アウトプットを積み重ねることで、
そうしたささやかな感動をいつでも思い返すことができる。
それは、この先の自分を励ましたり、
懐かしい気持ちにさせたり、
温かい気持ちにさせたりしてくれることだろう。
だから、オレよ。
サボるんじゃない。笑
ずいぶん、いいペースになってきたところじゃないか。
記念すべき100記事も目前に控え、
ここで失速してどうする。
続けよう。
質を語れるほどの、量をまだこなしていない。
圧倒的な量の先に見える、
まだ見ぬ自分の可能性を信じよう。