小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

VACA 248

 近所によく行くパン屋がある。少しお高めの値段設定だが、その分、あまり普段見かけないようなおもしろいパンやおいしいパンがたくさんあって、パン好きのぼくにとってはたまらない。

 先日も妻と二人でそのパン屋へと出かけた。コロナで外出もままならない中で出かけるパン屋はいつもと違ってどこか特別感があって、少し遠出をするようなワクワク感があった。パン屋へ入ると、いつものように様々なパンがならんでいた。ゆっくりと、まるで美術館で絵画鑑賞をするかのように店内を回る。

 ふと目をやった先に、チーズパンがあった。商品名の書かれた札には「ラクレットパン」と書かれてあった。「ラクレット」といえば、スイスの、とかしたチーズをかけて食べる料理のことではなかったか、と思い出す。確かに、パンの上にはたっぷりのチーズがかかっていて、その見た目だけで、お腹が鳴りそうだ。ラクレットパンは全部で4種類あって、チェダーやゴルゴンゾーラ、モツァレラなどどれもおいしそうだ。その中の一つをトングで挟み、トレイに置く。そのほかにもいくつかパンを選び、会計を済ませて家に帰った。

 時刻は、午後6時。今からパンを食べると、晩御飯に影響が出る。「明日の朝以降に食べよう。」と決め、キッチンカウンターの上に置いておいた。

 翌朝、目を覚ましてリビングに降りてきたぼくは、パンの袋の中から、クロワッサンメロンパンを取り出した。何だか、無性に甘いパンが食べたかった。クロワッサンメロンパンを食べると、お腹いっぱいになったので、朝ご飯はあっという間に終了。身支度をして、仕事に行き、定時で上がって帰宅して、晩御飯を食べ、風呂に入って、寝た。

 翌朝、目を覚ましてリビングに降りてきたぼくは、パンの嚢の中から、ラクレットパンを取り出した。今日は、しょっぱい系のパンが食べたかった。上にかかっているチーズがすっかり固まってしまっていたので、電子レンジで少し温めることにした。ラクレットパンを持ち上げ、電子レンジに入れようとした。

 その時、何か視界に違和感を感じ、ぼくは手を止めた。何かが引っかかる。ぼくは、電子レンジに入れようとしたラクレットパンをじっくり見た。ほどなく、ぼくは違和感の正体に突き当たった。           

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え、うそやん。これ…手前の方、カビてる…?

だって明らかに色が、こう、なんていうか、青っぽいような、灰色っぽいような感じになってるから。え、もともとこんな感じやったっけ。いや、わからへん。

 2日前の自分の記憶をたどった。あのとき、確か…ラクレットパンには、4種類ぐらいあって…ぼくが買ったのは…あれ?何のチーズのパンやっけ?チェダーチーズ?いや、ゴルゴンゾーラ?それともモツァレラ?

 でも、どうしても思い出せない。あんなにたくさんの種類があったのに、それをひっくるめて「チーズ」としか認識していなかったのか、と自分の浅はかさを呪いたくなった。

 今、ぼくの目の前には、二つの選択肢がある。

 一つ目は、これがチェダーチーズのラクレットパンであるという前提に立って考えるというもの。とするならば、これはカビてる可能性が一気に高まるので、食べない方が身のためだ。

 二つ目は、これがゴルゴンゾーララクレットパンであるという前提に立って考えるというもの。こちらだと、もともとカビてて、こういう見た目になってる可能性が高いので、食べても大丈夫だろう。

 どっちだ…身の安全か、満腹感か。


 たっぷり3分ほど迷った挙句、ぼくは、ラクレットパンを、そっとゴミ袋に入れた。今でも、この時の自分の判断が正しかったのかわからない。ひょっとすると、あのまま思い切って食べていても何も起きなかったかもしれないし、逆に食べたことで食中毒を引き起こし、大変な思いをしていたのかもしれない。

 変化の激しいチーズの見た目、買ったパンのチーズの種類に対する記憶の曖昧さ、それが引き起こす判断の不確実性…。

 VUCA時代をチーズパンに見た一日だった。

4冊目「『できるクラス』の育て方」 247

今年度4冊目の読了はこちら。

 

 

著者は、現役小学校教員の山田さんとプロビジネスコーチの吉田さん。

コーチングを活かしたクラスのつくり方についての一冊。

自分自身の学級経営を見直したときに、今まで以上にもっとコーチングのスキルを活かしてこれからのクラスづくりをしていきたいと思い、コーチングについての理解を深めるという意味でもぴったりな一冊だと思って読むことにした。

 

 教員は、とにかく「教える」ことが好きで、それは自分にも当てはまる。

でもぼくたちは教えてしまうことで奪ってしまっているものにもっと目を向けるべきだと思う。

 

 そこで、「教える」を手放して、「質問」をうまくつないでいくことで、子どもたちから持っているものを引き出し、子どもたち自身が自分の思考を整理できるように促していくのがコーチングの基本スタイルとなる。

「答えは相手が持っている」と考えるのがコーチングの大原則だからだ。

それは、「子どもは未熟で、だからこそぼくたち大人が教えてあげなければいけない」と考える従来の教育観から、「子どもたちは本来有能である。ただ、その引き出し方を知らないだけ。

だから、うまく自分自身で引き出せるようにサポートしていく」という教育観への転換を意味する。

コーチングをただスキルとして使えばそれでOKなのではなく、コーチングを活かそうとする自分の教育観自体もしっかりとアップデートしなければその効果は半減するだろうなあと思った。

 

 よく子どもたちに聞くときに、「なぜ?」と理由を聞いてしまう癖があるが、場面によっては、「なぜ」は圧迫感を生んでしまうそうだ。

だから、「なぜできないの?」ではなく、「何があったの?」と少し変えるだけで、受け取る印象が違って、子どもたちは安心して話してくれるようになる。

 

 また、本書の序盤では、「承認」の重要性が何度も書かれている。

自分自身も最近特に、この「承認」の重要性を感じることが多い。

転勤してきて、新たに先生たちと信頼関係を築いていく中でも承認を積極的にしていくことで、コミュニケーションがうまく取れるなと実感している。

子どもたちも同じで、承認が積み重なるほど、安心安全な教室が広がっていき、だからこそチャレンジにも踏み出せるようになるんだと思う。

また、承認すると、脳科学的には、脳内でドーパミンが出る。

ドーパミンは人のモチベーションに関わる物質である。

このことからも承認が非常に重要であることが分かる。

承認する際には、YOUメッセージ(あなたはすごいね!)とIメッセージ(〇〇してくれて、私はうれしい!)があるという。

自分は普段YOUメッセージが強いなあとふり返って思った。

これって、やりすぎると、先生からの評価がないと頑張れない子(先生からの評価依存)になってしまう可能性もあるなあと思った。

だから、Iメッセージも積極的に意識して使っていくことで、子どもたちが素直に自己肯定感を上げていけるように、バランスを心がけたいと思った。

そして、承認は、教師から子どもへのベクトルだけのものではない。

積極的に子どもたち同士が承認できるような場面を積極的に仕掛けていく必要がある。

 

 クラスでの話し合いで最終的に多数決を取る場面がよくある。

でも、その時、なかなかうまく決まらなかったり、納得感が低かったりすることがあり、そこは問題だと感じてきた。

(もちろん、多数決でない決め方もまず選択肢として取り組んだ上で)

本書に書かれていた「手を挙げる回数を増やす」のは、シンプルでとても効果的な方法だなあと思った。

例えば、6つの中から2つ決めるとき、決める数の倍の4回手を挙げてもらう、3つの中から1つ決めるとき、決める数の倍の2回手を挙げてもらうといったやり方だ。

少しの工夫で、子どもたち一人一人が「自分で選んだ」という実感を持たせることができる可能性が高まるのでとてもいいと思った。

 

 また、子どもたちにうまくいかないことや悩み事がある際に、活用できるスキルとして「スケーリング(計測)」もとても有効だと思った。

そのままでは見えない現状を一旦自分の感覚でいいからスケーリングして数値化することで、理想とのギャップがどれくらいなのかを何となくイメージし、手立てにつなげることができるからだ。

このスケーリングを活かすことで、様々な場面で、子どもたちが自分の現在地を把握し、そこから次の一手を自分で見つける手助けができると思った。

スケーリングの汎用性はかなり高いと思う。

どんどん使っていきたい。

 

 最後に、子どもたちが全て決める給食当番システムもやってみたい実践の一つだ。

テーマだけ決めて(例えば、「素早く」「正確に」「盛り切る」とか)あとは、そのテーマを達成するためにどう動けばいいかを子どもたちで考えながら修正しながらどんどんチャレンジするという方法だ。

はじめは時間がかかるかもしれないが、それでもチャレンジすることで、失敗を恐れず、みんなで共同修正して、自分達でクラスを作っていくオーナーシップが芽生えてくるのではないかと思う。

この給食当番の例だけではないが、日常的に、子どもたちが考え、自己選択・自己決定をし、それを対話しながら振り返る機会というのをいかに位置づけることができるかはとても大事だと思う。

コーチングの考え方をベースに、子どもたちの主体性を育む学級経営を進めていきたい。

3冊目「『人間とは何か』はすべて脳が教えてくれる」 246

今年度3冊目の読了はこちら。

 

 

著者は、アーケシュフース大学病院の神経専門医で、オスロ大学で教鞭もとっている。

最近、脳科学や学習科学、認知心理学に興味がある。子どもたちの学びをもっと科学的なアプローチからも充実したものにしたいのと、学びが生起するメカニズムについてもっと理解し、それを取り入れて授業を組み立てられるようになりたいからだ。

そう思って手に取った本書だが、その内容は、人間生活全般について言及されていて、もっと「学習」という「側面にフォーカスしたものを期待していた自分としては、少しピントがずれてしまった感は否めない。

が、その中でも、教育に還元できると思った部分について以下にまとめていこうと思う。

 

 まず、「権威への服従」という部分に共感した。

アメリカの心理学者スタンレー・ミルグラムの研究からの引用だ。

「通常の知能を持つ65%の人々が、権威者から指示されれば、仲間に危害を加えることがある」という部分。

学校での子どもたちの集団心理にも似ている。

一人ずつだといい子だが、集団になると難しくなるというのは、よく聞く話だ。

人が集団で何かをするときには、個人の良心が働きにくくなる。

でも、これって、逆にプラスで使えないのだろうか。

そこに関しては疑問が残る。

 

4月が始まって、部会での話し合いで、今年の授業を誰がするかという話になった時、急にみんなの歯切れが悪くなった。

きっとそれぞれの先生方の中で、「自分はやってもいい」という思いがあったのだろうけれど、それが集団の場でなかなか言い出しにくい、お互いにけん制するような雰囲気が邪魔をして、膠着状態になってしまったのだろう。

まさに、ミルグラムの研究が示したことと一致する。

場にいるメンバーが、自分の発言に自己検閲をかけすぎると、その場は健全とは言い難い。

そのような場で発言することは、脳の前頭葉でさえ間違っていると判断できない側面があるらしい。

だから迷ったら思い切って自分の意見を言う方がいい。

自分自身、職員の中でもそういう自分を忘れないようにしたいし、子どもたちがそういう状況にあるときには、暖かく見守って、発言できるようにそっと背中を押せるようなサポートを意識したい。

 

 次に、よく「将来の自分のためになるから勉強しましょう」とか「新しいことをどんどん学んで賢くなりましょう」という言葉に関して。

脳科学的に見れば、これは「正解」。

「新しいことを学ぶ」というのは、脳の中の神経細胞ネットワークが新たにつながったり、太くなったり、強化されたりすることを意味する。

これは、今まで何となく教員が自分の経験則からだけでやっていた声掛けに脳科学的なエビデンスという援護射撃を得たことになる。

子どもたちに学ぶことのメリットを伝えるときにも生かせそうだ。

そして、「新しいことを学ぶ」というのは「できるようになる」とは違う。

「学ぶ」ことそのものが、つまり、「チャレンジすること」が神経細胞ネットワークを増やし、強くしていくという事に他ならない。

これは、失敗を恐れてなかなか一歩を踏み出せない子どもたちにもすごく重要な事実ではないかと思う。

そして、やればやるほど、ネットワークは強く、速くなり、ハードルを感じることなく、前より楽にできるようになっていく。

成功するかどうかは重要なことではない。

チャレンジをくり返していくことが重要だ。

今回得たこの知見も生かして、子どもたちに前向きな声掛けやフィードバックをしていきたい

2冊目「どの子も輝く教室のつくり方」 245

今年度2冊目の読了本はこちら。

 

どの子も輝く教室のつくり方

どの子も輝く教室のつくり方

  • 作者:桑原 昌之
  • 発売日: 2020/03/12
  • メディア: 単行本
 

 

著者の桑原さんは、自身の「好き」と「経験」を掛け合わせて、スポーツマネジメント×イエナプランというかけ算で、現在、長野県で「学校法人茂来学園大日向小学校」で学校長を務めている。

公立小学校で勤める身として、自分だったら自分のリソースの何と何をかけ算するだろうと考えた。

そのためには、まず自分のリソースが何なのか、それを明確に把握しなければいけない。

 

現在、「メモの魔力」巻末付録の自己分析1000問に毎日20問ずつ答えて、それを記録しているが、それをヒントに自分のリソースが何なのか、改めて考えつくしたいと思った。

やはり「好き」をかけ算の中に入れ込むのは強いなと思う。

「やらされている」で生まれる力は「やりたい」の力にはどう頑張ったって勝てない。

 

子どもも同じだ。

いかに子どもたちの「やりたい」「好き」を原動力にして学習をデザインしていけるのか。そのために、自分の強みを最大限に活かせたらいい。

自己と向き合い続け、問い続けていかなければ、そういう教育はきっと実現できない。

 

問い続けていくときに、有効だと思ったのが、「事実→理想→行動」のサイクルを常に意識するということ。

いつも事実から理想とのギャップを把握し、そのギャップを埋めるための行動を起していくというもの。

これは、コーチングプロセスと同じ構造だ。

「事実」を見極めるためには、「観察する力」が必要。

理想とのギャップを把握するためには、「ビジョン」が必要。

そして、行動を起していくには「成長的マインドセット」が必要。

これまでに自分で学んできたことがつながっていく感覚があった。

自分自身のサイクルでも意識したいが、子どもたちとの日々のやりとりの中で実践を積んでいきたい。

 

「気軽にシェアする文化をありとあらゆる場面で設定しよう」というメッセージにははっとした。

自分に欠けている視点だと思ったからだ。

「文化」になるまでのシェアを意識することは、子どもたちの自己有用感やゆるやかな協同性につながり、それは安心・安全なクラスという居場所を作ることになる。

 

話し合いのサイクルに関しても、学びがあった。

これまで「個→グループ→全体」の流れで授業を組むことが多かった。

けれど、そもそも何のための「グループ」なのか?

何のための「全体」なのか?

そこを考えた時、最終的には、全て「個」に集約されていく必要があると感じた。

教育は、一人一人の成長のためにある。

だから、そこをないがしろにしてはいけない。

それは授業でも学級経営でも言えること。

そこを忘れてただ何となく入れる「グループワーク」や「全体共有」をなくして意識的になれるか。

自分は「全体→個」の流れの意識が薄いと思ったから気を付けていきたい。

 

また、自己開示に関して、子どもの前ではかなりできる方だと自覚してるが、職員室ではどうかと言われると、まだまだだなあと思った。

色々頭の中で考えてるアイデアがあってもそれを100%出すのをためらう自分がいる。

自分の持ってるものを出して「何一人で熱くなってるんやろう。」って思われやしないか、「ひけらかしてる」みたいに受け取られないか、そんなところを恐れているのかもしれない。

でも、それじゃあ、自分のことを信頼なんて本当の意味でしてはもらえない。

その葛藤を勇気を出して乗り越えていけるのか。

自分の課題の一つだ。

1冊目「教師の力を最大限引き出すNLP」 244

新しい年度になったので、冊数リセットしました。

今年度1冊目の読了本はこちら。

 

教師の力を最大限引き出すNLP

教師の力を最大限引き出すNLP

  • 作者:丸岡 慎弥
  • 発売日: 2020/03/18
  • メディア: 単行本
 

 

自分の中では、珍しく中身を長めに試し読みして、購入を決めた一冊。

NLPは、Neuro-Linguistic-Programmingの頭文字を取ったもので、日本語に訳すと、「神経言語プログラミング」。

その成立の経緯については、本書の一部を引用する。

 

1970年初頭、カリフォルニア大学の心理学部の生徒であり数学者だったリチャード・バンドラーと、言語学助教だったジョン・グリンダーが心理学と言語学の観点から新しく体系化した人間心理とコミュニケーションに関する学問です。

 

なぜこの本に惹かれたのかというと、タイトルの「最大限引き出す」に、コーチング的なニュアンスを感じ取ったのが一番の理由のような気がしている。

そこから手に取って中身を読んでみると、具体的な手立てが色々と書かれていて、使えるかもしれないなと思った。

今年度異動したてで、初めて出会う子どもたちとどんな風に信頼関係を築いていこうかあれこれ考えていたことも影響していると思う。

この本を手に取る過程をふり返ってみて、めちゃくちゃ「カラーバス効果」を実感した。

コーチング」という特定のワードを意識して普段の生活をしているから、そこに関わるものや言葉が自然と目に入ってくる、そんな状態なんだろう。

 

NLPの効果として、序盤でプロテニス選手アガシの復活劇について書かれていたが、アガシを復活させたコーチは、テニスの専門家ではなかった。

「相手の力を引き出す」というスタンスに立つのであれば、テニスの専門性は必要でなくなる。

答えは相手が「持っている」ことが前提だからだ。

とてもコーチングと相性がいい考え方だ。

 

NLPには、15の前提がある。

 

1 相手の世界観を尊重すること。

これって、傾聴そのものだ。

 

3 行動は適応するための調整であり、そして、行動はその時選択可能な

  最もよい選択なのである。

これって、子どもたちや保護者の思いを受け止めるときにすごく大切だ。

自分のものさしで相手を否定していたら、信頼関係は築けない。

 

6 行動と変化は、コンテクスト(背景・状況・文脈…)とエコロジー(生物と環境の相互関係)という観点から評価されなければいけない。

その場面だけ切り取って判断することって、指導の中でやってしまいがちだけれど、そこでこの前提を思い出したい。

そして、「エコロジー」って、これ認知心理学でいう「アフォーダンス」のことじゃないのか。

子どもたちの行動のきっかけとなる環境という観点は、もっと自分が持つべき視点だと思った。

子どもたちが望ましい行動を自ら選択したくなるような環境デザイン。

教室だけでなく、学校全体の中で、そういう視点で改善できるところを見極め、デザインしていけたらいい。

 

7 人は、成功するための能力をすべてもっている。(リソース(資源・能

  力)をもたない人は存在しない。存在するのはリソースの足りないステ

  ート(心の状態)だけ) 

これも、「子どもはそもそも有能だ」という自分が大切にしている子ども観とリンクする。

 

8 クライアントからの抵抗は、ラポール(信頼関係の構築)の不足を示し

  ている。

まずは、心理的安全性の確保による、安心・安全な居場所作りを心掛け、承認を積極的に行っていくことが大事だと改めて感じた。

 

9 あなたに返ってくる返答は、あなたが送り出したコミュニケーション

  の真意に対応する。

よく「相手は自分を写す鏡」と言うが、まさにそれだ。

そして、「コミュニケーション」ではなく、「コミュニケーションの真意」に対応することも忘れないでおきたい。

いくら上辺で取り繕ったところで、本当に本心からそう思っていないことは伝わらないし、見透かされるってこと。

だからこそ、教師として「在り方」が試されていると思う。

 

11 私たちが使う言葉は、それが表象する出来事や物事そのものではな

  い。マップはテリトリー(領域)ではない。(ひとつの出来事は個人によ

  って捉え方が変わるということ)

人は、その人が見たいようにしか見ない、ってこと。

自分の見方もそうだし、相手の見方もそうだってことを忘れちゃいけない。

だから、そもそもコミュニケーションというのは、不完全でしかありえない。

だから、様々な手立てでその隙間を埋めていくことで、より精度の高いコミュニケーションが可能になり、相互理解につながるということ。

 

信頼関係を築く基本スキルとして登場した「キャリブレーション」は、そういう言葉があることを知れて良かった。

これは、「相手の心理状態がどうなのかを、言語以外のサインから情報を見分けること」をいう。

つまり、「よく観察し、気付く力」のこと。

これって、これまでの経験でおそらく無意識でくみ取っていた部分が大きい。

それに、全てを意識して気付くというのは、正直難しいと思う。

無意識、いわばオートパイロット状態で処理しているからこそ、受け止められている部分がかなりあると思うから。

でも、「こういうスキルがあって、こういうところから情報が読み取れる」ということを「知っている」と、子どもたちの行動の意味を一つ一つふり返る際の視点になる。

今までよりも、ほんの数%でいいから、「あ、この姿勢はひょっとして…」みたいにひっかかりを意識の上の持ってくることができれば、十分かな。

 

「直感と論理をつなぐ思考法」でも登場した「VAKモデル」がここでも出てきた。

改めて当てはまる項目にチェックしてみたけど、やっぱり自分はA(聴覚)優位っぽい。

この「VAKモデル」、レッテル貼りにしてしまうことだけには気を付けたい。

「この子は、聴覚優位だから~。」とその子のイメージを固定してしまうと、そのイメージの中でしかその子を見ることができなくなる。

それはつまり、目の前のその子を見ていないということだ。

あくまで、より良いコミュニケーションを取っていこうとするときの一つのとっかかりに過ぎない。

コーチングにおけるソーシャルスタイルと似ているかもしれない。

後の方で出てきた「メタモデル」についても、同じことが言える。

レッテル貼りのためのものではない。

 

他者視点での気づきを促す「ポジションチェンジ」は、ぜひ子どもたちの指導の中で活用してみたいと思った。

特に、今年度持つ低学年だと、なかなか頭の中だけで、相手のことを想像して考えるのが難しい子もいてると思う。

このワーク、コーチングをエコロジーで行っている感じ。

おもしろい。

 

人の目の動きでその人の考え方の傾向を読み取る「アイアクセシングキュー」もとても興味深い。

でも、ちょっと眉唾感が自分の中にあって、本当にこの通りになるのかと半信半疑。

まあ、「とにかくやってみよう」の精神で、ちょっと子どもたちを見取る時にやってみよう。

 

そして、「リフレーミング」。

ここ読んで、頭に「失敗」の文字が浮かんだ。

そうだ。

昨年度、ぼくは、子どもたちの中にある「失敗」の意味を「リフレーミング」しようと奮闘していたんだ。

そんなことに気づいた。

子どもたちにとって「失敗」という言葉の持つネガティブな意味をリフレーミングするのは、今後もとても重要になってくると思う。

このリフレーミングがうまくいくことで、子どもたちは主体的に学び、積極的にトライ&エラーをくり返せるようになるはずだ。

「けテぶれ」の実践の中では、まさに「失敗のリフレーミング」を子どもたちが自らの力で行っているなあと思った。

 

一冊読み終えて、「ああ、あれのことか。」という共感がたくさんあった。

それは、これまで積み重ねてきた実践知が理論とリンクしたんだろう。

今まで何となく言語化できないまま、感覚的にやっていたことが体系的に整理された感覚がある。

すっきりしたというか。

理論と実践、どちらも欠けちゃいけないってことを実感した一冊だった。

新型コロナウイルス対応で、子どもたちとの出会いはまだしばらくお預けになってしまったけれど、同僚の先生とのコミュニケーションの中とか、できるところからまた実践知を積み重ねて、向上しつつ、子どもたちとの出会いを待ちたい。

41冊目「あなたの授業が子どもと世界を変える エンパワーメントの力」 243

今年度(2019年度)最後、41冊目の読了本はこちら。

 

 amazonで注文したこの本が届いてから、貪るように読んだ。

「教師とは?」という問いは、この半年、自分の中をぐるぐると相変わらず回っている。

おそらくその問いに絶対的な答えはない。

なぜなら、時代が変われば求められる教師像も変わっていくから。

そんな教師に必要な力もこの先どう変化するかわからない。

でも、そんな中でも結構普遍的に大事で、理想だなあと思うことが、この本に書かれていた。

何より、この本を貪るように読んだぼくは、確実にこの本にエンパワーされた。

 

読み始めて、これまでの自分の授業をふり返った。

今まで本当の意味で子どもたちの興味関心を大事にして、授業を継続できたことがない。

そこには、大人側の都合がいつも見え隠れしていて、「時間がない」「カリキュラムが…」「本当に指導事項を網羅できるのか…」と何度思ったことか。

その時点で、子どもたちの本当の姿は、霞んで見えなくなる。

でも、この本を読んで、もし本当に一年間継続して、子どもたちの興味関心から出発した実践をやっていけたら、子どもたちはどんな変化を見せてくれるのか、そんなことを考えてワクワクしている自分がいた。

読んでて、共感できる部分が多かったのだけれど、「なんで共感できるのか?」考えてみると、「作家の時間」でやってるサイクルと重なることが多いからだと気付いた。

「作家の時間」でやっていることを、他の授業にも汎用的に拡張していったのが、この本に書かれてある授業のように思う!

そして、前回の『「未来の学び」をデザインする』を読んだときにも感じた「何かがつながりそうな感じ」はこの本でも継続的に感じていた。

この「何か」って、理論では得られないものじゃないのかなあ、そんな気がする。

実践を継続してその「実感」からでないと「何か」ははっきりと言語化できないんじゃないだろうか。

そのためには、子どもたちをどこまでもそのありのままの姿を「見る」ことができるかにかかってる。

そこにひたすらに真摯に向き合えるかどうか。

年始のエデュシークから、ずっとつながってること。

今年、一年かけて大事にしたいこと。

 

子どもたちの興味関心、トライ&エラーを本当に大事にしたとき、授業計画というもの(毎時間何をして、何を学ぶかを時間ごとに明確にしたもの)は、実は、その都度修正を求められて、逆にストレスフルな状況を生み出すのではないか。

もちろん、だからと言って、授業準備をする必要がないといっているわけではない。

ただ、その計画がこちら側の手にある以上、それはその時点ですでに子どもたちの手を離れてしまっているという当たり前の事実。

子どもたちの興味関心は、そこに合う子だけに生まれ、それ以外の子にとっては「やらされている」の域を出ない。

だから、オーナーシップを持てず、当事者意識のないまま、学習を「強いられる」ことになる。

授業計画を含めて、教室の中で、子どもたちをもっと「つくり手」にできないか、そんな視点での試行錯誤が、もっともっと必要なんだろうな。

そんな授業を考える上で、本書に出て来る「LAUNCH」というデザインサイクルは汎用性があっていいなあと思った。

これまで、国語で単元構想しての授業を研究してきたけれど、その土台は残しつつ、学習計画表を時系列の一方向なものでなくて、チェックリストを活かした「学びの地図」(ルートは自分で選べる!)として、子どもたちと作ることができたら、もっと自由にその子のペースで学べるのではないか。

 

つまり、教室にもっともっと「自己選択」と「自己決定」の場面を増やしていきたい!

それが子どもたち一人一人のオーナーシップを引き出し、どんどんエンパワーされた子どもたちは、自分の学びに主体的に関わっていくようになるんじゃないか。

自分の教室でどこまで実現できるか。

これも一歩ずつ。

小さく始めて、ふり返って、をぐるぐる回す。

40冊目『「未来の学び」をデザインする』 242

本年度40冊目の読了本はこちら。

 

 しばらく前に買って途中まで読み進めていたのだけれど、他の本に興味が移ってしまってほったらかしてたところを、再び一から読んだ。

タイトルにあるように、「未来の学び」について、「空間」「活動」「共同体」という3つの視点から書かれてある本だ。

 

やっぱり、これまで自分はもちろん、日本の教育って、学校での学びと学校外での学びを分けて扱いすぎてきたんだなあと痛感した。

実は、学校外での学びに、とてもたくさんのヒントが隠されていたのに、それを「学び」とさえ見ていなかったところあるよなあ。

「遊び」と「学び」も分けて考えてた。

でも、そうじゃないよなあってこの本読んですごく思った。

「教える」「教えられる」でもないし、「評価する」「評価される」って関係も違う。

みん職の高橋先生の講座で教わったインストラクショナルデザインとか構成主義とかが、すごく自分の中でしっくりくることが多くなってきたここ最近。

今までの色々な断片が、自分の中でつながりそうな、そんな予感。

まだ、はっきりつながって言語化できるわけではないけれど、この予感のしっぽを掴みたい。

 

本文中の「鉄腕アトムを実現させたい」のトピックで書かれていたことから、MC型教師とも言われている沼田先生(ぬまっち)のアナザーゴールという手法を思い出した。

大きなビジョンを立てて、そこに突き進んでいく過程で得られる周辺知識やスキルが実はたくさんあるんだと思う。

そして、もちろんビジョンの実現も本気で目指すが、結果として実現できなくてもそれはそれで、構わないんだと思う。

その過程で得られたものに十分価値があるから。

ムーンショットだ。

 

本文中に、「Lifelong Kindergarden(生涯幼稚園)」という言葉が出てくる。

意味は、幼稚園児の様に楽しみながら生涯様々なことを学んでいくというもの。

学級経営で大事にしたいことに組み込んでいきたいマインドだなって思った。

 

Build to thinkの考え方は、授業への応用を意識していけたらいい。

物を作って、他者の目にさらして、ふり返って考えるのサイクル。

この辺は、以前に読んだ「直感と論理をつなぐ思考法」の中に出てくるVAKモデルなんかともリンクする。

 

また、「空間」でいえば、新年度から校内の環境を少しずつ変えていくことにもチャレンジしていきたいなあと思う。

特に「オープンスペース」の活用。

たとえば、廊下にテーブルとイスを置いて、だれでも使えるようにしておいたら、いろんな学年の子が混じって何かする文化が生まれるのではないだろうか…とか。

もちろん、空間を整えたからといって、それだけじゃあ、文化は育たないと思う。

1つの手立てとして、強制的にでもオープンスペースを体験してみることもありだ。

体験してみる(プロトタイプ)ことで、その良さに気づくきっかけになるし、改善点が見えたら、それを修正していくことで、当事者になっていくことができるから。

そのあたり、いかにして提案して周りを巻き込んでいけるのか、が重要になってくるだろうなあ。

空間があって、そこに、活動があり、共同体が生まれ、それが文化になっていくんだろう。

「活動」と「空間」と「共同体」はそれぞれ独立していなくて、相互に関わり合っているということ。

麹町中学校や桜岡中学校なんかも、こういう環境デザインをうまく生かしてるのかな。

「活動」「空間」「共同体」、どこから手をつけていくかによって、そのプロセスはいろいろと変わってくるんだろうけれど、「空間」をデザインすることの心地よい強制力は結構あるんじゃないだろうか。

「空間」をデザインすることで、必然的に授業も変わらざるを得ないって側面もあるように思う。

相互に関わり合っているなら、そうなるはず。

今年度、教室リフォームを継続してきて、そういう環境が学習に及ぼす影響みたいなものに、これまで以上に敏感になってきたように思う。

もっと「学習」とどうつなげていけるのかを意識して、教室を見ていきたい。

前回の記事で読了した哲学対話の本との関連で言うなら、「サークル(円形)」の持つ空間としての力も大きいなあと感じた。

クラスにうまく取り入れていきたい。

取り入れるきっかけぐらいは、ぼくが作ってもいいかなあと思うけれど、そこから先は子どもたちでスクラップ&ビルドを繰り返し、共同修正していけたらいいなあ。

空間は、そこを使う人が思わぬ使い方を見つけることにもつながるから。

ぼくは、今年度そういう視点で教室リフォームを見ていなかった。

できあがったものに満足感を抱いている自分がいて、それはそれで悪い事じゃないとは思うんだけれど、もっとできたあとの使い方こそ、もっと目を向けるべきことだったなあと今は思う。

それが、一人一人の安心安全な居場所作りにも直結する。

 

活動面で思ったことで言うと、「情動的変化をいかに授業中、子どもたちの中に生む教材や授業を構成するか」の重要性をすごく感じた。

でも、ここでその教材なり授業を、教師が全部準備してしまったらあまりよろしくない。

そこで、学びのオーナーシップを子どもたちに手渡すのだ。

教材は子どもたちが選んで決めるし、授業の方法、というか、学習の方法も子どもたちが選んで決める。

そこを大事に授業をデザインできるようにしたい。

 

「共同体」についてで言えば、「正統的周辺参加論」がとても興味深い考え方だった。

『学び合い』なんかは、この理論をうまく教室の中で利用しているから成立しているところもあるのかもしれない。

クラスや学校の中で、いかにして、正統的周辺参加論の環境を生み出し、共同体を形成していけるかも、子どもたちの学びの大きなカギになる。

そして、共同体の形成には「言語と歴史の共有」が重要というのには、ものすごく共感した。

オンライン学習会で新しいメンバーが入った時に、このあたりのことを意識して、共有していかないと、共同体がうまく機能していかなくなる可能性がある。

転校してきた子にしてもそうだ。

 

なんか全然まとまってない感じにしかならんかったけど、まあ、いいや。

少しずつつながりそうな感じが強くなってきている。

んー、でも理論だけで頭でっかちは良くないから、そこに関しては、実践をして、目の前の子どもたちをよく見て、その間にあることをしっかりと考えて試して、そうやってくり返していこう。