40冊目『「未来の学び」をデザインする』 242
本年度40冊目の読了本はこちら。
しばらく前に買って途中まで読み進めていたのだけれど、他の本に興味が移ってしまってほったらかしてたところを、再び一から読んだ。
タイトルにあるように、「未来の学び」について、「空間」「活動」「共同体」という3つの視点から書かれてある本だ。
やっぱり、これまで自分はもちろん、日本の教育って、学校での学びと学校外での学びを分けて扱いすぎてきたんだなあと痛感した。
実は、学校外での学びに、とてもたくさんのヒントが隠されていたのに、それを「学び」とさえ見ていなかったところあるよなあ。
「遊び」と「学び」も分けて考えてた。
でも、そうじゃないよなあってこの本読んですごく思った。
「教える」「教えられる」でもないし、「評価する」「評価される」って関係も違う。
みん職の高橋先生の講座で教わったインストラクショナルデザインとか構成主義とかが、すごく自分の中でしっくりくることが多くなってきたここ最近。
今までの色々な断片が、自分の中でつながりそうな、そんな予感。
まだ、はっきりつながって言語化できるわけではないけれど、この予感のしっぽを掴みたい。
本文中の「鉄腕アトムを実現させたい」のトピックで書かれていたことから、MC型教師とも言われている沼田先生(ぬまっち)のアナザーゴールという手法を思い出した。
大きなビジョンを立てて、そこに突き進んでいく過程で得られる周辺知識やスキルが実はたくさんあるんだと思う。
そして、もちろんビジョンの実現も本気で目指すが、結果として実現できなくてもそれはそれで、構わないんだと思う。
その過程で得られたものに十分価値があるから。
ムーンショットだ。
本文中に、「Lifelong Kindergarden(生涯幼稚園)」という言葉が出てくる。
意味は、幼稚園児の様に楽しみながら生涯様々なことを学んでいくというもの。
学級経営で大事にしたいことに組み込んでいきたいマインドだなって思った。
Build to thinkの考え方は、授業への応用を意識していけたらいい。
物を作って、他者の目にさらして、ふり返って考えるのサイクル。
この辺は、以前に読んだ「直感と論理をつなぐ思考法」の中に出てくるVAKモデルなんかともリンクする。
また、「空間」でいえば、新年度から校内の環境を少しずつ変えていくことにもチャレンジしていきたいなあと思う。
特に「オープンスペース」の活用。
たとえば、廊下にテーブルとイスを置いて、だれでも使えるようにしておいたら、いろんな学年の子が混じって何かする文化が生まれるのではないだろうか…とか。
もちろん、空間を整えたからといって、それだけじゃあ、文化は育たないと思う。
1つの手立てとして、強制的にでもオープンスペースを体験してみることもありだ。
体験してみる(プロトタイプ)ことで、その良さに気づくきっかけになるし、改善点が見えたら、それを修正していくことで、当事者になっていくことができるから。
そのあたり、いかにして提案して周りを巻き込んでいけるのか、が重要になってくるだろうなあ。
空間があって、そこに、活動があり、共同体が生まれ、それが文化になっていくんだろう。
「活動」と「空間」と「共同体」はそれぞれ独立していなくて、相互に関わり合っているということ。
麹町中学校や桜岡中学校なんかも、こういう環境デザインをうまく生かしてるのかな。
「活動」「空間」「共同体」、どこから手をつけていくかによって、そのプロセスはいろいろと変わってくるんだろうけれど、「空間」をデザインすることの心地よい強制力は結構あるんじゃないだろうか。
「空間」をデザインすることで、必然的に授業も変わらざるを得ないって側面もあるように思う。
相互に関わり合っているなら、そうなるはず。
今年度、教室リフォームを継続してきて、そういう環境が学習に及ぼす影響みたいなものに、これまで以上に敏感になってきたように思う。
もっと「学習」とどうつなげていけるのかを意識して、教室を見ていきたい。
前回の記事で読了した哲学対話の本との関連で言うなら、「サークル(円形)」の持つ空間としての力も大きいなあと感じた。
クラスにうまく取り入れていきたい。
取り入れるきっかけぐらいは、ぼくが作ってもいいかなあと思うけれど、そこから先は子どもたちでスクラップ&ビルドを繰り返し、共同修正していけたらいいなあ。
空間は、そこを使う人が思わぬ使い方を見つけることにもつながるから。
ぼくは、今年度そういう視点で教室リフォームを見ていなかった。
できあがったものに満足感を抱いている自分がいて、それはそれで悪い事じゃないとは思うんだけれど、もっとできたあとの使い方こそ、もっと目を向けるべきことだったなあと今は思う。
それが、一人一人の安心安全な居場所作りにも直結する。
活動面で思ったことで言うと、「情動的変化をいかに授業中、子どもたちの中に生む教材や授業を構成するか」の重要性をすごく感じた。
でも、ここでその教材なり授業を、教師が全部準備してしまったらあまりよろしくない。
そこで、学びのオーナーシップを子どもたちに手渡すのだ。
教材は子どもたちが選んで決めるし、授業の方法、というか、学習の方法も子どもたちが選んで決める。
そこを大事に授業をデザインできるようにしたい。
「共同体」についてで言えば、「正統的周辺参加論」がとても興味深い考え方だった。
『学び合い』なんかは、この理論をうまく教室の中で利用しているから成立しているところもあるのかもしれない。
クラスや学校の中で、いかにして、正統的周辺参加論の環境を生み出し、共同体を形成していけるかも、子どもたちの学びの大きなカギになる。
そして、共同体の形成には「言語と歴史の共有」が重要というのには、ものすごく共感した。
オンライン学習会で新しいメンバーが入った時に、このあたりのことを意識して、共有していかないと、共同体がうまく機能していかなくなる可能性がある。
転校してきた子にしてもそうだ。
なんか全然まとまってない感じにしかならんかったけど、まあ、いいや。
少しずつつながりそうな感じが強くなってきている。
んー、でも理論だけで頭でっかちは良くないから、そこに関しては、実践をして、目の前の子どもたちをよく見て、その間にあることをしっかりと考えて試して、そうやってくり返していこう。