動き出した夏。252
31日で、1学期が終わった。
最初からペースがつかめず、最後までペースがつかめなかった1学期だったなあと思う。
だれが悪いというわけではないが、なぜか焦ってしまうような環境、ピリピリした雰囲気が学校全体を覆っていて、誰もが余裕のない中で、もがき続けた。
1学期が終わった今、ふり返ってみれば、「結構頑張ったんじゃないか自分」と思える自分がいる。
と同時に、突っ走っている最中に、自分をメタ認知することの難しさを感じた。
続けていたリフレクションが苦しかったのは、そんな枠組みの中からのリフレクションに過ぎなかったからなのかもしれないなと今では思う。
例えるなら、水中でおぼれているのに、「どうやったら上手に泳げるのか」と息を止めながら、考えているようなものかもしれない。
大事なのは、水面に顔を出して息をすることだった。
このタイミングで夏休みに入って、こうして少し1学期の自分を俯瞰してみることができて良かった。
さて、夏休みに突入してやっとゆっくりできる…とはならない。
自分で、この夏学びたいと思ったことがどんどん動き出しているからだ。
その一つ一つが、継続的な学びの場で、かなりアウトプットが多い。
でも、ワクワクしている自分がいる。
この夏の学びをどうやって2学期からの現場での実践に生かしていけるのか。
思えば、昨夏から今の状況に至る変化が起こり出した。
自分の中で、昨夏のきっかけが強烈なインパクトとして自分の中にある。
その残像が、今年の夏をまた「いいものにしたい」という自分の中のモチベーションにつながっている。
「学ぶ」とは、「私たちにとって意義のある、つまり、効果的なアクションを取れる能力を高めるためのプロセス」。
人は、望む姿があって、そこに近づこうとして学習する。
じゃあ、自分の望む姿って何だろう。
特に、ここ一年ずっと考えている。
「学校において、子どもたちが安心安全の中で自己選択・自己決定の経験を積み重ね、クラスづくりや学びに対してオーナーシップを持って過ごせる」
そんなビジョンはある。
「教える」ではなくて「ともにつくる」人として、伴走者として在りたいという望みもある。
まだまだ解像度が低いなあと思う。
けど、一年前と比べて、ずいぶん納得して言語化できるようになった。
これをいかに自分の言葉で語れるようになるか、借りてきた言葉ではなく。
これらのビジョンに向けて、その道中も楽しみながらこの夏を過ごしたい。
今年も夏が、動き出した。