面白がる。 223
「真面目過ぎへん?大丈夫か?」
私が昨年末にお世話になっている3人に言われた言葉だ。
1人目は、大学の一つ上の先輩。
2人目は、前の職場の同僚の先生。
3人目は、父。
これは、すごく貴重な指摘だなあと、年明け早々、何度も自分の中で反芻している。
昨夏、learn × creationに参加してから間違いなく、それまでになかった視野が広がった。
みんなの職員室オンラインに参加したり、それとは別のzoom会にも継続的に参加したり、その他の学習会にも積極的に足を運んだ。
それらを通して自分の中に入ってくるものはどれも新鮮で、恥ずかしい話、これまで自分の意識の上に上がってきたことのないものばかりだった。
で、そうした場に参加すればするほど、周りがみんなすごい人のように見えて、勝手に「自分は勉強不足だ。もっと学んで自分をアップデートしなきゃ!!」と自分を追い込んでいたように思う。
まあ、それも大事な感覚だし、向上心は常に持っていこうと思っているが、やり過ぎはよくないよなあってことだ。
あと、周りと自分をつい比べるオールドタイプな思考も良くない。
とはいえ、染み付いているクセはなかなか抜けないだろうと思うので、こうして、振り返ってメタ認知することを増やしていければいい。
ここ半年ほどは、足を運ぶ場所も「教育」、買う本も「教育」、見るテレビや動画も「教育」、そんな感じ。
だから、何でも「教育」という視点で世界を見ている自分がいた。
そんな状態なので、先に述べた3人は私を見て、最初の言葉を言ってくれたんだろう。
特に、先輩と同僚の先生からは、昔から「にょんくん、おもろいなあ!そういう発想ってどっからくんの?」みたいなことをよく言われていた。
当時を振り返ってみると、今よりはどっちかって言うと、教育とは一見何の関係もないようなものから、着想を得て、それを実践に落とし込んだらすることが多かった。
それに、そうして関係ないものを結びつけるのが楽しくて仕方なかった。
関係ないものを結びつけることの面白さに出会ったのは、大学入試勉強の時まで遡るが、それは長くなるので、やめておく。
最近は「教育」という視点から世界を見ることが多くなっていた。
それまでは、この世界の様々な事象を「教育」に落とし込めるかを試していた。
そして、ここに来て思う。
「ああ、どっちも大事やなあ。」って。
どっちにも多少なりとも振り切った経験があったからこそ、得られた実感。
それは字面だけで理解するのとは違う、腹落ちした感覚。
一つのことにどっぷり浸るのも大事だけど、そこにだけ固執することはやはり良くない。
深めることと広げること。
真面目なことと面白がること。
教育で世界を考えることと世界で教育を考えること。
バランスの取り方が下手くそな自分としては、常に意識していきたいと思うことだ。
その辺を悩みながら行ったり来たりしてきた半年を経て、そして、これまでの経験も踏まえて、今年以降、目指したい自分の方向性が朧げながら見えてきたような感覚がある。
その感覚が正しいかどうかはわからないけど、それでいい。
そもそも正しさなんて人の数だけあるし、正しいかどうかでジャッジするのはもう結構。
(とか言うて、正しさに振り回されることはこれからもあるやろうけど)
今の自分は、少なくとも思い描いていることをこれから進めていくことに、ワクワクしている。
だから、それでいい。
面白がろう、自分を。
面白がろう、世界を。