メロディ。 222
HAPPY NEW YEAR!!
…ゆうて、書くの忘れてた、大事な大事なにょん家の忘年会について。
まあ、忘年会29日やって、翌日から奥さんの実家、広島にやって来たから書く間なかったっちゃあなかってんけど。
昨年12月29日、にょん家の忘年会がありました。
最寄駅から徒歩十分程の距離にある居酒屋が会場。
実家に両親を迎えに行って、みんな揃って忘年会スタート。
昨年のことをわいわい話しながら、宴は進んでいきました。
私の前には、私の父。
私の横には、妻。
妻の前には、私の母。
そんな隊形です。
お酒が入って盛り上がってくると、私は父との話に没頭していきました。
これからの教育の話、今の仕事の話、自分が感じていること・思っていること、色々話しました。
大人になればなるほど明確に感じるようになった、メンターとしての父、そして母。
色々学びの場は広がっているけれども、結局この人たちはいつも変わらず私にとって最強のコーチだなあと思わされた時間でした。
というのも、二人とも、聴くのがうまいを通り越して、気が付いたらしゃべらされてるような感覚です。
一方的に、「うんうん」と受け身で聞いてるわけではない。
ときに、自分でも考えてもいなかったような質問をぶつけてきて、すごく考えさせられたりもしました。
だから、両親との対話はいつも刺激的で、新たな気づきがあったり、もやもやしていたことが整理されたりして、いい時間です。
気付けば、時間は2時間半を過ぎ、1次会はお開きになりました。
この時点で、時刻は9時頃…かと思いきや、余裕で7時半。
お腹はいっぱい。
いやいや、待ってくれ。
いくらええ時間を過ごしたとて、早すぎるやないか。
こんなん、大学時代、サッカーサークル終わりに5時からべろべろになるまで飲んで、「え!?まだ7時!?」とかゆうて悦に浸ってたんと変わらんやないか。
とりあえず、「どうしよか?」とか、ゆるーくにごしながら、年末の街を徘徊しました。
選択肢は、二つでした。
①もう一軒どっかで飲んでから、カラオケ。
②そのままカラオケ。
なんとなく①の選択肢の流れで、店を探していたものの、なかなかいい店見つからず。
さすが年末。
どこもいっぱい。
空いてるのは、チャラいキャッチの兄ちゃんが勧めてくる店だけ。
「どうしよう」と悩んでいたら、時間は8時過ぎ。
このまま、だらだら探し続けて一軒挟んでも、カラオケが遅くなるだけ。
そう、にょん家では、飲んだらカラオケが必須行事なのでした。
というのも、母も父も私もカラオケ大好きだからです。
特に、母に至っては、飲み始めて30分もすれば「今日は、この後カラオケやな。」とかなりの確率で口にするのでした。
うちの妻はそれも見越して、スマホでカラオケ練習をしていたぐらいです。(健気)
そんなわけで、②の選択肢を選ぶことにしました。
一次会からの直カラオケです。
2時間コースで飲み放題。
私達は力の限り歌いました。
みんなええ感じでした。
途中で急に採点DXが始まりました。
父の仕業でした。
すぐに点数をつけたがるのです。
自分の実力を見える化したいと思っている節があります。
歌というものを数値化しようという浅はかな営みです。
でも、だれもそれに異を唱える者はいません。
母と妻は、はなから採点結果など気にしていないからです。
私は、父に負けるなどと露ほども思っていないからです。
そんなわけでここから採点がスタートしました。
妻はシャイなところが出て、ことごとく私をデュエットに誘います。
だから、正確な点数が出ません。
それが妻の狙いなのかも知れません。
母は、ボリュームが異常に小さいです。
1人だけ別のマイクを使っているのか、それともマイクの電源を入れていないのかと思うぐらいのボリュームです。
父は、異様にビブラートをかけます。
採点結果でのビブラート回数が他の追随を許さない突出加減です。
私は、表現力の項目がいつも異常に低く点数が伸びません。
各自がそれぞれの点数に一喜一憂しつつ、カラオケはそれなりに盛り上がりました。
そして、残り時間も終盤に差し掛かったころ、父と母がデュエットをしました。
玉置浩二の「メロディ」でした。
その歌自体はこれまでにも父や母が歌っているのは聞いたことがありました。
でも、二人で一緒に歌っているのを見るのは、この日が初めてでした。
歌が始まりました。
歌が始まっても大して役割分担が決まっているわけでもないし、きれいにはもるわけでもありません。
どっちかというと、終盤に来て、「なんでまたこの曲選んだん?」と思ってしまうような二人の歌唱でした。
全然ハモリはキレイじゃないし、息切れはしてるし、メロディはずれてるし。
でも、私は二人の歌から目が、耳が、離れませんでした。
それがなぜかはいまだにうまく言葉にできません。
でも、二人が二人で歩んできた二人の時間がその歌に表れていたとしか言いようがないくらい、「しっくり」きていたんです。
それは、歌のうまさとか声の美しさとか、そういったテクニック的な次元を遥かに超えたもののように私には感じられました。
感動とかではないけれど、ただただ聞き入ってしまう、そんな歌でした。
もしかしたら、それは息子である私だけにそう聞こえただけかもしれないのですが、私には、それで十分でした。
年末に、不揃いだけれど、最高の一曲を聞いた気持ちにさせられました。
そして、こんな歌を歌える人生っていったいどんな人生なのか、そう思わずにはいられませんでした。
私には、というか、世界中の誰も、父と母のこの時の「メロディ」を超える歌を歌える人はいないと思います。
でも、私には私なりの「メロディ」が歌えるような人生を歩みたいなと心底思いました。
その「メロディ」への道筋はまだ見えませんが、きっと近道はなくて、コツコツやっていくしかないんだろうなあと改めて思うのでした。
いつかこの時の父と母の「メロディ」と並ぶ歌が歌えた時には、きっと採点以上の喜びがあるんだろうと思います。