小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

あの日に立つ。 64

今日は私にとってエモい一日だった。

今年度発行を続けてきた学級通信が323号になる。

以前、300号達成について記事に書いた。

 

yamanyo.hatenablog.jp

 

教員生活1、2年目。

職場の先輩からは、「学級通信は出した方がいいよ!」と言われていた。

だから、言われた通り、出すことにした。

しかし、何を書けばいいのかわからない。

どう書けばいいのかわからない。

そんな状態で、自己紹介から始まる学級通信を

半ば見切り発車のような勢いで発行し始めた。

そんな学級通信がうまくいくわけもなく、

第1号発行後、日々の仕事に追われていたこともあり、

約2か月、発行できず。

保護者から電話があり、

「先生、学級通信って出されてます?」

と半分クレームのような連絡をもらったこともあった。

 

そんな中、3年目のちょうど今頃、

大学時代、毎日のようにつるんでいた先輩と久しぶりに飲みに行った。

先輩も小学校の教員をしていた。

仕事帰りに合流した先輩と二人で飲み始めた。

話題は自然と、互いの仕事の話に。

そんなとき、先輩がおもむろに自分のリュックの中から

タウンページのようなかたまりを出してきた。

それは、先輩が、その年に発行した学級通信の束だった。

少し回りかけていた酔いも吹き飛んだ。

 

なんじゃこりゃあ!

松田優作もびっくりである。

ページを適当にめくって、中を見る。

どの号も先輩の得意なイラスト入りで、

とてもわかりやすく、面白かった。

 

大学時代、一緒にバカをやっていた先輩。

久々に会ったとはいえ、そんな大学時代の感覚のままいた私。

でも、先輩はそこにはいなかった。

何だか一人置いてけぼりを食らったような気になった。

ただただ圧倒された。

めくったページごとに、横でうれしそうに補足説明をしてくれる先輩は、

とても、とても楽しそうだった。

 

それに比べて自分はどうだ。

出すと宣言した学級通信が年間10枚にも到達していない。

恥ずかしい。情けない。

 

そんな私の気持ちを知ってか知らずか、先輩は確かに、言った。

 

「にょん、一回だまされたと思って、とりあえず100号出してみ。

 出してみたら、見えるものがあるから。」

 

この先輩がそこまで言うなら…。

 私は、学級通信を100号出してやる!と決意をした。

 

そして、翌年の4月から意識を変えた。

絶対に書く。下手でも書く。

 

そう決めてしまえば、

人間ってそれを達成するために動き始める生き物のようだ。

その年、決意に違わず、年間発行数100号を超えた。

 

人生で初めて100号を超えて発行してみて、確かに見えたものがあった。

 

それは、子どもたちの顔だった。

 

発行する前よりも明らかに子どもたちがよく見えるようになっていた。

それは、前よりも明らかに子どもたちをよく見るようになったからだった。

 

よく観察しないと、書くことに困る。

でも、観察をすれば、書くことはいくらでも見つかった。

そして、書いたら、必ず子どもたちから反応があった。

だから書くことが楽しくなった。

 

あれから10年。

今では、書くことに困るどころか、

書くことがありすぎて、追い付かない日々だ。

 

でも、あの時の先輩がたたき出した323号というバケモノのような号数には、

とてもじゃないが、たどり着けそうになかった。

わかっている。

号数が全てじゃない。

でも、先輩に憧れて、始めた学級通信。

だから、一度は、先輩と同じ景色が見てみたかった。

 

そして、今日。

323号発行。

あの日に立てた。

あの日の先輩と肩を並べることができた。

さすがに感慨深い。エモい。

でも、同時に自分が思い知らされる事実。

今日の私は、10年前の先輩だ。

この境地に、先輩は10年も前にすでに立っていたんだ。

まるでアキレスとカメのよう。

 

でも、やってやれないことはないんだ。

そして、ここからは、先輩すら経験していない領域。

どこまでいけるか。

最後の一日まで、自分のペースで続けるだけだ。

やることはいつだってシンプルだ。

 

今日のことは、先輩にもLINEをした。

先輩は「未知の領域へ行ってらっしゃい」と送り出してくれた。

 

ゴールしてみて、見えたのは、次のコースだった。

まさに人生だなあと思う。

誠実に、謙虚に、一生懸命。

続けよう。ただ続けよう。

次にふり返った時、どんな景色が見えるのか。