小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

学級通信論 29

2019年のTo Do Listに書いた項目の一つに、

「今年度(3月末)中に、学級通信300号を達成する。」

と書いた。

現在、300号まで残り約20号。

残りの日数から考えると達成できそうだ。

 

毎年学級通信を発行するようになってから10年以上たつが、

基本的に不定期発行をベースとしている。

ペースを決め、「毎日発行します」とか宣言してしまうと、

それに縛られて不自由な通信になる予感があるからだ。

だから、出さない日もあれば、一日に3枚出したりする日もある。

まあ、でも基本的に今のところ、大体毎日発行している。

 

原動力は、やっぱり読んでくれる子どもたちや保護者の方の反応だ。

「にょん先生、今日は何枚~?」

「今日はないよー。」

「ええ~!?」

こんなやりとりがほぼ毎日繰り返される。

うれしい悲鳴だ。

子どもたちはとても楽しみにしてくれているようだ。

 

「にょん先生、今日は何枚~?」

「今日は1枚~。」

「ええ~!?少ない!!5枚くらい出してほしい!」

 

いや、どないやねん(笑)

手首死ぬわ!!

 

「全部集めて、ファイリングしてます!」

「娘の嫁入り道具に学級通信全号持たせようと思ってます。」

「家で学校のことを話してくれるようになりました。」

「面白くて、職場にも持って行って後輩と読んで笑ってます。」

そんな風に言ってくれる保護者の方も毎年いる。

発行者冥利に尽きるなあと思う。

 

学級通信は必ず手書き。

パソコンで作る気にはどうしてもならない。

手書きならではの温度や味はやはり大きな魅力だ。

レイアウトの自由度も手書きだからこそ。

 

「学級通信の良さは?」と言われれば、たくさんある。

時間を割いてでも書くだけのメリットは多いと思っている。

・保護者に子どもたちの学校の様子を伝えることができる。

・これまでの実践の記録として、いつでも見返すことができる。

・成績表の所見を書くときに、参考になりまくる。

・家庭での親子の会話のきっかけになる(特に高学年)。

・クラスの目指すべきビジョンを共有することができる。などなど

 

でも、私は、

「子どもたち一人ひとりをクラスの主人公にすることができる」

ことじゃないか、とひそかに思っている。

 

少し話が逸れるが、

今から8年くらい前(?)に、京都で開催されている音楽イベント

「BOROフェスタ」に行ったことがある。

当時売れ始めていたクリープハイプなんかが出演していた。

 

その中で一番印象に残っているのは、

メインステージで演奏していたどのバンドでもなく、

地下のめちゃくちゃ小さいステージで泥臭く歌っていた初見のバンド、

忘れらんねえよ」だった。

 

歌がうまいわけでも、演奏が飛びぬけてうまいわけでもなかったと思う。

でも、一言で言うなら、とてもとてもエモかった。

なんだかわからないが、ボーカル柴田の声を聴いていると、

その時間が、その空間が、他人事のものではなく、

限りなく自分事に感じられたのだ。

その歌は、限りなく自分に向けて歌われているように感じた。

きっとあの場にいた人はみんな同じ思いを抱いていたんじゃないだろうか、

そんな風にすら思う。

あの瞬間、間違いなくこの世界の主人公は自分だった。

あの時の、この世界の中心は自分の人生なんだ感は衝撃だった。

自分のことをそんな風に感じたことは今まで一度もなかった。

 

話は戻る。

私は、学級通信には、あのときの「忘れらんねえよ」の歌と

同じ力があると信じている。

それは、クラスの子どもたち一人一人を主人公にする力だ。

圧倒的に自分の人生の主人公は自分だと思わせる力だ。

子どもたちに、

クラスというものは、一人一人の居場所であり、

そこでは毎日どんな映画よりもまぶしくてリアルなドラマが起こっていて、

その中心はいつだってあなたたち一人一人なんだと伝える力だ。

 

この仕事をしていて大変なこともある。

つらいことだってある。

うまくいかないことも、呆然とすることもたくさん、ある。

 

それでも、この仕事が好きだし、

学級通信は、いろんな人をつないでくれる。

私にとっては、なくてはならないものだ。

これからも大事にしていきたい。

学級通信を自分の一つの軸として、

これからも子どもたちの成長を支えていきたい。