小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

具体と抽象 24

先週の金曜日、新年会があった。

前の職場で仲良くしていた後輩二人と、先輩一人、私を含め、

4人での新年会だった。

 

後輩の1人が予約してくれた京橋のお店で待ち合わせ。

ビアカンチキンで人気のお店だそう。

 

予定時刻の7時を少し回ったころ、4人全員揃って乾杯。

のどもお腹も少し落ち着いたところで、互いに近況報告。

後輩一人を除いて、3人は同職である。

同職ではない後輩は、数年前に教師を辞めた。

 

彼が生まれた時から信仰していた宗教の方で、

本格的に仕事がしたいというのが退職の理由だ。

 

しかし、同職でなくなっても、会えばあの頃と何も変わらない。

バカ話をして、大笑いして、昔と同じだ。

 

そんな後輩の彼は、青年部のような組織で、現在、

多くの後輩を指導する立場にあるのだという。

連日、彼のもとを多くの後輩が訪れ、

悩みを相談するのだそうだ。

 

そんな後輩たちに、「言葉で何か応えてやらねばならない。」

彼はそんなことを言っていた。

よりよく生きていくための道しるべになるような言葉を。

でも、自分にそんな大役が務まるのかと。

 

ふと思った。

彼はなぜそんな大役を任されたんだろう。

きっとそこには任せられただけの理由があるに違いない。

 

彼と話していて思うのが、日常の様々なトラブルや悩みに向かい合った時、

向き合い方に芯のようなものがあることだ。

それは、彼の態度だったり、言葉だったり、仕草だったり、

それらから総合的に感じることだ。

きっと日常生活で起こる様々な具体的事象を、

信仰を通して、抽象化し、それを教えと照らし合わせることを

ずっと積み重ねてきたんだ。

そうすることで、生きていく中で、

自分の中での信仰が強化され、

さらに具体を信仰の中で抽象化し、自分の中に落とし込むという

サイクルが積み重なっていくんだろう。

 

それは、彼がこれまでの人生の中で数えきれないぐらい

くり返してきたことなんだろう。

だから、現在多くの後輩を指導・助言する立場にいるのだろう。

だから、きっと「良いことを言おう。」と気負わなくても、

相談を聞いて、素直に思ったことを言葉にすればいいんじゃないだろうか。

それが、後輩たちには明日をよりよく生きるきっかけになるんじゃないだろうか。

彼には、そう伝えた。

 

彼の信仰の話を聞いていて、「具体」や「抽象」なんて言葉が浮かんだのは、

きっと、今読んでいる最中の「メモの魔力」という本の影響なんだと思う。

 

彼は、信仰というものを通して、日常の様々な悩みや困難などの「具体」を

「抽象化」し、それを教えと結び付けて乗り越えているんだと思う。

そういう意味では、信仰というものは、彼にとって極めて汎用性の高い

人生を生きていくためのツールなんだろう。

 

私には、信仰がない。

じゃあ、どうやって自分のこれから生きていく道に、

自分自身で芯を持つことができるんだろう。

 

きっと、学び続けるしかないんだろう。

直観的にそう思う。

多くを見て、

多くを聴いて、

多くを読んで、

多くを食べて、

多くを話して、

多くを書いて。

 

様々な具体をインプットし、

それを自分にできる方法で、手段でアウトプットし続ける。

 

その蓄積が、きっと自分の芯を作っていくんだろう。

 

しかし、これはあくまで私の仮説。

この仮説が正しいのかどうか、

それは、私のこれからの残りの人生をかけて証明していくしかないんだろう。

 

やるしかない。

 

そんなことを思った新年会だった。