36冊目「流動型『学び合い』の授業づくり」 231
今年度36冊目の読了はこちら。
発売前から、読もうと思っていた一冊。
先日、一部だけだがオンライン学習会で読書会をした。
そのまま、続きを一人で読み進め、今しがた読了。
易しい言葉で、わかりやすく、すいすい読めた。
『学び合い』の授業が、一時間から複数時間、単元、教科横断型…と、
なぜそんな風に進化していったのかが、クラスのエピソードと合わせて書かれていた。
もちろん、それらの実践をどう進めていくのか、
いわゆる「HOW TO」の部分もとても勉強になったのだけれど、
ぼくが刺さったのは、そこではなくて、やっぱり「在り方」に関わるところ。
今年度が始まって、夏ごろから特に、ずっと自分の中にあるキーワード。
そこに触れる部分がやはりひっかかる。
今の自分は、きっとそういう部分をなんとかしたい、しなければ、
というモードなんだと思う。
①「一人も見捨てない」
『学び合い』を知ってから、この言葉は何度も目に、耳にしてきた。
でも、言葉に共感することと、それをわかって、日々実践することとの間には、
ものすごく大きな壁があると思っている。
言葉を知って、分かった気になるのは本当に簡単だ。
そして、その言葉の定義や輪郭があいまいなことにも気づかないで、
「自分もそう思ってやっているし、様々な工夫や努力をしてる。」
そう自分に言い聞かせて、思考停止してしまっていないか。
僕自身、著者の「一人も見捨てない」という覚悟に触れた時、ドキッとした。
その、「ドキッ」は、きっと自分の浅はかな部分に自分自身、罪悪感を感じている部分があるからだと思う。
日々の実践の中で、「努力」という言葉で簡単に片づけて、
見ようとしてこなかった子どもたちの姿があるんじゃないのか。
何となくどこかでわかってはいるけど、
無意識に見えないものとして片付けてしまっているもの。
もちろん、人間だから、そういう弱さは誰だってある。
だからこそ、そういう部分もふり返って、向き合っていかなければいけない。
②「見ようとするようにしか見えない」
人は、だれでも自分が「見たいように見る」生き物だ。
その時の自分という人間のフィルターを通してしか、世界を見ることはできない。
何のフィルターも通さずに、世界を見ることができる人など、
きっとこの世に存在しない。
だからこそ、自分がどんなフィルターを通して、世界を見ているのかに、
できるだけ自覚的でなければいけないと思う。
ここを忘れてしまうと、目の前の子どもたちの姿を、
自分の実践に都合がいいようにとらえてしまう可能性がある。
誰しも、自分の実践に効果があると思いたい側面がある。
その側面によるフィルターに自覚的でないと、
子どもたちの本当の姿は見えない。
③結果としての流動型『学び合い』
高橋先生は、1時間での『学び合い』を実践しているときから、
この本でいう現在の最終形「流動型『学び合い』」の姿を
思い描いていたわけではない。
ひたすらに、目の前の子どもたちと向き合い、
実践研究を積み重ね、自分をアップデートし続けた結果、
この「流動型『学び合い』」にたどり着いた。
これ、今書きながら、全然ジャンルの違う日食なつこの
一昨年の「sing wellツアー」のことを思い出している。
あのツアーでの彼女は、変化させたくない大切なことを
ブレずに自分の軸にしていくために、
変わることを恐れない、ように僕には見えた。
そんな彼女の姿と、高橋先生の歩んできた道のりが自分の中で重なった。
「変えないために、変わる」
これって、すごく大切なことなんじゃないだろうか。
「変わるからこそ、変わらないでいられる」とも言える。
目の前の子どもたちの姿をひたすらに見つめ続けてきて、
流動型『学び合い』にたどり着いた。
だから、この行程を同じようになぞったとしても、
高橋先生のようにはきっといかないと思う。
ぼくは、高橋先生ではないし、
クラスの子どもたちも高橋先生のクラスの子とは違う。
やっぱりきれいな道筋なんてなくて、
行き止まりだったり、回り道だったり、
そんなものを数えきれないくらい経験して、
悩んで、迷って、焦って、絶望して、振出しに戻って、
そんなことを経て、それぞれに、
それぞれの実践を作っていくしかないんだろうなあと思う。
それは、絶望でもあり、希望でもある。
本の構成上、一時間→複数時間→単元→教科横断→流動型と、
一方向に進んでいっているように読んでしまうけれど、
きっと行ったり来たり、飛んだり戻ったり、
そういうことが無数にあったんだろうなあと思う。
本書の最後に、「問い作り」の授業が出てきたのも、面白かった。
終わりはない。
目の前の子どもたちは日々変わるし、
日々変わるものに、「絶対解」なんてない。
それが面白さだし、難しさだ。
40歳まで、あと4年。
自分が40歳になった時に、振り返ったらどんな道ができているのか。
子どもたちの姿から、考え続け、実践を重ねていける自分でありたい。