今日を忘れない。 190
けテぶれを始めて3週間が過ぎようとしている。
一人一人を見ていると、上がったり下がったり、ノートに子どもたちの葛藤や、やる気、様々な思いが透けて見える。
教師から一律の宿題を出していたころには、気付けなかったことだ。
毎朝の宿題交流会に加え、学級通信でのけテぶれ紹介の地道な効果なのか、一昨日・昨日・今日のここ3日間ほど、子どもたちのけテぶれが全体的に見て、爆発的に成長を遂げた。
本当に示し合わせたかのように、ブーストがかかった印象だ。
トップランナーたちは、互いに自分に合ったけテぶれを開発し始めた。
タ→この時間内にやり切る
い→意味調べ
ま→まとめ
ふ→ふり返り
次→次からは
前→前に比べて
だ→だから
などなど、そのアレンジが多岐にわたってきた。
基本的な「けテぶれ」のサイクルは崩さずに、そこに+αしてきている。
そんなトップランナーたちの姿に刺激を受け、中位層の子どもたちもアレンジをし、自分なりに学びの海の上手な泳ぎ方を探り始めた。
しかし、1学期から学習習慣の定着がなかなか進まなかったクラスの男の子、A君は、そんな流れになかなか乗れず、おさぼりが続く日々だった。
担任として、どこでどう声をかけるべきか。
宿題ではない。
どこまでいってもやるのは自分自身。
提唱者の葛原先生も言っていたが、「信じて、任せて、認める」のスタンスだ。
これが、苦しい。
ついつい口を出してしまいそうになる自分がたびたび前に出てくる。
自分が今までいかに信じて任せてこなかったのかを表しているようで、なかなかきつい。
待っているだけなのに。
「それは、信じるという体のいい言葉で自分を正当化しているだけで、本当は何も手を打たずに楽をしているだけなんじゃないのか」
そんな言葉が心の中に現れては消えた。
でも、待った。
いつ、どのタイミングで学びの海を泳ぎ始めるかは、子どもたち一人ひとり違う。
だから、時間がかかる子もいる。
でも、大事なのは、その子が自分自身の意思で泳ぎ始めることだ。
こちらからのアクションで動き始めたとしても、それなら、これまでの宿題となんらかわらない。
「子どもたちの中には、本来的に自分で学習していく力がある。」
念仏のように、それを心の中で言い聞かせて、3週間が経つ。
そしたら、一昨日。
ついに、彼が泳ぎ始めた。
それは、2学期に入って、3回目の小テストを返した後だった。
まわりの友だちがテストの分析をしたり、なおしをしている中、A君が、おもむろに漢字ノートとドリルを取り出し、猛烈に漢字を書き始めたのだ。
しかし、この時、あまり授業時間は残されていなかったので、すぐにチャイムが鳴ってしまった。
せっかくのやる気に水を差すようなタイミングのチャイムに内心腹が立った。
でも、A君が自分で動き出したんだ。
それは大きな大きな一歩のはずだ。
それをまずは喜ぼう。
そんなことを考えていたら、A君がすぐ横に来ていた。
彼は、私にこう言った。
「先生、ケテぶれって、何ページやってきてもいいん?」
耳を疑った。
でも、うれしさが必要以上に顔に出ないように、冷静に穏やかに返事した。つもりだ。
「もちろん。自分のタイミングで必要やったら、必要な分だけやっておいで。」
すると、彼は何か決意したように、黙って自分の席に帰っていった。
その時から次の日まで、心の中はずっとそわそわしていた。
A君は、あのまま家で漢字をやってくるだろうか。
いや、どっちにしてもスタンスは変えない。
「信じて、任せて、認める」それ一択。
そう言い聞かせ、次の日を迎えた。
教室に行くと、ちょうどA君が提出ボックスに漢字ノートを出すところだった!
私は嬉しくて嬉しくて、すぐにそのノートを見た。
ノートには、2ページにわたってけテぶれが書かれていた。
けテぶれの「け」には、
「次のテストで半分以上取る。」「次のテストで50点以上取る」と2回書かれていた。
すぐに、丸つけをして、コメントを書き込み、A君に返した。
休み時間、A君が私のところへ来て、半分独り言のように、でも、きっと聞いてほしいんだろうなあって雰囲気で話してくれた。
「ああ、俺的には結構頑張ってきたつもりやねんけど、これで、次のテスト半分いかんかったら、どうしよう。」
A君がテストの点数を気にするなんて、初めてのことだった。
自分が努力しているから、結果を出したいと願う当然の人間心理だ。
「点数は気になるよなあ。でも、それってA君が努力してるから感じることで、そんな風に感じられる取り組み方をしてることがすごいことやん。だって、先生何も言ってないのに、サボりそうになる自分の心に勝って自分でやってきたんやろ?それってなかなかできることじゃないよ。すごいことやで。結構頑張ったどころか、めっちゃ頑張ったと先生は思うよ。きっとこの努力は、この先につながっていくよ。間違えても、もう一回チャレンジすればいい。」
すると、A君は、席に戻り、返したノートを開いて、また漢字をやり始めた。
ちょっとハイペースで心配にもなるが、彼が自分で選んでそうしているなら、静かに見守ろう。
きっとこれから先も、このままずっと上り調子で行くわけではないだろう。
A君だけじゃない。
みんなそうだ。
でも、それでいい。
そうやって、良いも悪いも自分の意志で経験するからこそ、ふり返りに大きな価値があるし、友だちの存在もより大切になる。
「信じて、任せて、認める」が、少しはできたのかな。
今は、少しそのうれしさに浸ろう。
それぐらいなら、ばちは当たらないはずだ。