小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

Educators Seeking Vol.4① 226

1月5日に参加した「Educators Seeking Vol.4」のことを忘れないうちに(忘れられるわけがないけれど)、記録しておこうと思います。

 

この日は、3人が登壇。

一人目がとっくん。

二人目が葛原さん。

三人目が若松さん。

 

テーマは「子どもの姿から考える授業づくりとは?」でした。

 

三人の話を聞く前から、いや、何なら会場にたどり着くまでの電車の中でも、自分の頭の中でこの問いがぐるぐると渦を巻いていました。

 

で、「これだ!」って答えは出ないまま、会場に到着。

今までオンラインでしか顔を合わせたことがない先生たちとたくさん「はじめまして」ができて、とてもうれしかったです。

やっぱりFace to Faceっていいなあって感じました。

会のテーマの一つに「越境」ってあったんですけど、オンラインとオフラインも、こうやって「越境」していけたらいいなあと思いました。

 

さてさて、本編。

トップバッターは、とっくん。

キーワードは「わからないものをわからないままにわかろうとする」でした。

これ、話してくれたとっくん本人も、「ようわかんないっすよね?」って言ってましたが、少なくともぼくには、すごく感じるものが、伝わるものがあって、このキーワードだけで、グッと話に引き込まれていました。

きっと、ここまで教員としての経験を積んできて、昨夏からの学びで、自身の教育観が揺さぶられ続けてきた今だからこそ、その言葉に反応したんだろうなあと思います。

とっくんの圧倒的な内省力に震えました。

最後に、「泥臭くやっていくしかない」って言葉がありましたが、本当にその通りだなと。

答えは、自分の世界の外側になんてなくて、自分と目の前の子どもたちから見つけていくしかないんだよなということを改めて強く感じました。

それこそ、絶対解ではない、自分の中での最適解を問い続けていくだけ。

それを、積み重ねて、積み重ねて、わずかずつでも進もうとする、そんなとっくんの姿に、自分のこれまでをふり返らざるを得ませんでした。

また、ふり返りを確実に「書く」ことで、圧倒的な量の「視える化」を実践していました。

これがあるからこそ、子どもの姿を見る「質」が上がっていくんだろうなあと思いました。

そして、そうした少しでもクリアに子どもの姿を見ようとすることこそが、この日のテーマである「子どもの姿から考える授業づくりとは?」の問いの一つの答えなんではないだろうか、そんなことを考えたのでした。

 

「子どもの姿を見る」

言葉にすると、たったこれだけだけれど、それを本気で徹底してやっているのか、「見る」とはどういうことなのか、そんな本質に迫るような話でした。

 

「そこにはそこの現実があるだけ」

とっくんの話の最後にあった言葉です。

 

「ぼくは、こうしてきました。で、あなたは、どうしますか?」

そう問われている気がしました。

 

ぼくはぼくなりに、もう一度、まっさらなところから始めるつもりで、日々のふり返りを積み重ね、まずは、子どもたちの姿を本当の意味で「見る」ことから始めようと思いました。

 

 

とりあえず、思いつくままに書きなぐりました。

葛原さんと若松さんのお話で感じたことや、お三方の話から感じたつながりなんかについてもぼちぼち書いていこうと思います。

 

まずは、ここでいったんお開きにして、明日の始業式に向けて、エネルギーを貯めようと思います。

 

あっち向いてホイ② 225

前回の記事の続き。

 

義兄の娘ちゃんたちとのあっち向いてホイは続きます。

「もう一回!!」をもう何回言えば飽きてくれるのか。

そんな祈りが届くはずもなく、無限にあっち向いてホイは続きます。

さすがに疲れてきて、「じゃあ、今から先に5回勝った方の優勝な!」と提案しました。

快くOKしてくれたので、初めて見えた希望の光に少しほっとして、順調に勝っていきました。

そして、5連勝。

「やったー!!お兄ちゃんの勝ちー!!おしまーい。」

 

「強いねー、お兄ちゃん!」と無邪気にほめてくれる娘ちゃんたち。

そんな姿を見ていると、わずかながら罪悪感が芽生えます。

「もうちょっと相手してあげてもよかったかもなあ。悪いことしたかなあ。」

変わらず無邪気に笑っている娘ちゃんたちを見ていて、そんなことを思いました。

まあ、でも、どっかで区切らんと、キリないし。

さてさて、家から持ってきた本でも読もうかな。

そう思って、カバンの中の本に手を伸ばしかけた時…。

 

「あっち向いてホイしよー!!」

 

ん…?

おかしいな、さっき確か私が5連勝したことで、勝負は幕を閉じたんじゃなかったっけ?

でも、娘ちゃんたちは何の曇りもない無邪気な笑顔で待っています。

 

笑顔に負けて、再びあっち向いてホイタイムに突入。

しかし、じゃんけんで絶対にチョキしか出さないお姉ちゃんと、パーしか出さない妹ちゃん。

そして、当然二人ともそんな自分の癖に気づいていません。

んー、これは苦しい。

勝ち続けるのも苦しいし、負け続ける演技をするのも先の見えない真っ暗闇です。

しばらく適当に対戦した後、提案しました。

 

「じゃあ、今からさっきと一緒で、5回先に勝った方が優勝な!」

 

「うん!わかった!」と無邪気に承諾する娘ちゃんたち。

そして、無慈悲に5連勝して、決着がつきました。

 

「やったー!またお兄ちゃんの勝ちー!!おしまーい!!」

 

すると、また…。

 

「お兄ちゃん強いねー!!何でそんなに強いの!?すごーい。」

と無邪気にほめてくれる娘ちゃんたち。

 

さて、今度こそ本でも読んでちょっと休憩しようかなー。

…と思ったら、

 

「あっち向いてホイしよー!!」

 

 

 

 

え、私って人生ループしてます?

 

 

 

 

子どもたちの同じ遊びくり返すパワーに圧倒されてしまいました。

いやー、世のお父さん・お母さんたちを心の底から尊敬しました。

あっち向いてホイ① 224

年明け2日まで、妻の実家がある広島に

帰省していた。

晦日には、義兄の家族も合流して、賑やかな年末年始になった。

 

元日の夕方。

義兄の奥さんから話しかけられた。

「ねえねえ、にょんくん。うちの娘たちとあっち向いてホイしてあげて。指差した方についつい向いちゃって、それが爆笑なんよ。」

そんなに言われちゃあ、やるしかない。

横で何となく「あっち向いてホイ」というキーワードを耳にしたのだろう。

こちらから誘うまでもなく、小学2年生のお姉ちゃんと幼稚園年長の妹が勝負を挑んできた。

「私とやって!」と譲らない2人を宥めすかし、まずは妹とすることにした。

 

さてさて、義兄の奥さんの言う、あっち向いてホイの弱さとはいかなるものなのか…。

 

2人「最初はグー!じゃんけん、ほい!」

妹「あっち向いてホイ!」

私(セーフ!)

2人「最初はグー!じゃんけん、ほい!」

妹「あっち向いてホイ!」

私(セーフ!)

2人「最初はグー!じゃんけん、ほい!」

妹「あっち向いてホイ!」

私(セーフ!)

 

…いや、俺そもそもじゃんけんどんだけ弱いねん!!

 

義兄の娘さんたちのあっち向いてホイの弱さを検証しようにも、そこまでたどり着かんやないか!!

義兄の奥さん、横で見てて、想定とは違うとこで爆笑。

「ちょっくら相手してやりますか。」くらいに思ってた俺、ダサ。

その後も、マジで5回ぐらい連続でじゃんけんに負けてしまった。

でも、その後のあっち向いてホイがワンパターン過ぎて、全く引っ掛からへんから、ひたすらじゃんけんに負けて、あっち向いてホイだけかわすっていう地獄みたいなゲームになってしまった。

千鳥のノブがあの場におったら、きっと

 

「それの何が楽しいんじゃ!!時間に限りがあるて知っとるんか!!」

 

とかゆうてたやろなあ。

 

この後、相手を変えて姉ちゃんもと対戦したけど、やっぱり俺、じゃんけんだけ異様に弱かった。

 

しかし、ここから後半戦。

いよいよ巻き返しが始まる。(遅いわ。)

面白がる。 223

「真面目過ぎへん?大丈夫か?」

 

私が昨年末にお世話になっている3人に言われた言葉だ。

1人目は、大学の一つ上の先輩。

2人目は、前の職場の同僚の先生。

3人目は、父。

 

これは、すごく貴重な指摘だなあと、年明け早々、何度も自分の中で反芻している。

 

昨夏、learn × creationに参加してから間違いなく、それまでになかった視野が広がった。

みんなの職員室オンラインに参加したり、それとは別のzoom会にも継続的に参加したり、その他の学習会にも積極的に足を運んだ。

それらを通して自分の中に入ってくるものはどれも新鮮で、恥ずかしい話、これまで自分の意識の上に上がってきたことのないものばかりだった。

で、そうした場に参加すればするほど、周りがみんなすごい人のように見えて、勝手に「自分は勉強不足だ。もっと学んで自分をアップデートしなきゃ!!」と自分を追い込んでいたように思う。

まあ、それも大事な感覚だし、向上心は常に持っていこうと思っているが、やり過ぎはよくないよなあってことだ。

あと、周りと自分をつい比べるオールドタイプな思考も良くない。

とはいえ、染み付いているクセはなかなか抜けないだろうと思うので、こうして、振り返ってメタ認知することを増やしていければいい。

 

ここ半年ほどは、足を運ぶ場所も「教育」、買う本も「教育」、見るテレビや動画も「教育」、そんな感じ。

だから、何でも「教育」という視点で世界を見ている自分がいた。

 

そんな状態なので、先に述べた3人は私を見て、最初の言葉を言ってくれたんだろう。

特に、先輩と同僚の先生からは、昔から「にょんくん、おもろいなあ!そういう発想ってどっからくんの?」みたいなことをよく言われていた。

当時を振り返ってみると、今よりはどっちかって言うと、教育とは一見何の関係もないようなものから、着想を得て、それを実践に落とし込んだらすることが多かった。

それに、そうして関係ないものを結びつけるのが楽しくて仕方なかった。

関係ないものを結びつけることの面白さに出会ったのは、大学入試勉強の時まで遡るが、それは長くなるので、やめておく。

 

最近は「教育」という視点から世界を見ることが多くなっていた。

それまでは、この世界の様々な事象を「教育」に落とし込めるかを試していた。

 

そして、ここに来て思う。

「ああ、どっちも大事やなあ。」って。

どっちにも多少なりとも振り切った経験があったからこそ、得られた実感。

それは字面だけで理解するのとは違う、腹落ちした感覚。

 

一つのことにどっぷり浸るのも大事だけど、そこにだけ固執することはやはり良くない。

深めることと広げること。

真面目なことと面白がること。

教育で世界を考えることと世界で教育を考えること。

バランスの取り方が下手くそな自分としては、常に意識していきたいと思うことだ。

 

その辺を悩みながら行ったり来たりしてきた半年を経て、そして、これまでの経験も踏まえて、今年以降、目指したい自分の方向性が朧げながら見えてきたような感覚がある。

その感覚が正しいかどうかはわからないけど、それでいい。

そもそも正しさなんて人の数だけあるし、正しいかどうかでジャッジするのはもう結構。

(とか言うて、正しさに振り回されることはこれからもあるやろうけど)

今の自分は、少なくとも思い描いていることをこれから進めていくことに、ワクワクしている。

だから、それでいい。

面白がろう、自分を。

面白がろう、世界を。

メロディ。 222

HAPPY NEW YEAR!!

…ゆうて、書くの忘れてた、大事な大事なにょん家の忘年会について。

まあ、忘年会29日やって、翌日から奥さんの実家、広島にやって来たから書く間なかったっちゃあなかってんけど。

 

昨年12月29日、にょん家の忘年会がありました。

最寄駅から徒歩十分程の距離にある居酒屋が会場。

実家に両親を迎えに行って、みんな揃って忘年会スタート。

昨年のことをわいわい話しながら、宴は進んでいきました。

私の前には、私の父。

私の横には、妻。

妻の前には、私の母。

そんな隊形です。

 

お酒が入って盛り上がってくると、私は父との話に没頭していきました。

これからの教育の話、今の仕事の話、自分が感じていること・思っていること、色々話しました。

大人になればなるほど明確に感じるようになった、メンターとしての父、そして母。

色々学びの場は広がっているけれども、結局この人たちはいつも変わらず私にとって最強のコーチだなあと思わされた時間でした。

というのも、二人とも、聴くのがうまいを通り越して、気が付いたらしゃべらされてるような感覚です。

一方的に、「うんうん」と受け身で聞いてるわけではない。

ときに、自分でも考えてもいなかったような質問をぶつけてきて、すごく考えさせられたりもしました。

だから、両親との対話はいつも刺激的で、新たな気づきがあったり、もやもやしていたことが整理されたりして、いい時間です。

気付けば、時間は2時間半を過ぎ、1次会はお開きになりました。

 

この時点で、時刻は9時頃…かと思いきや、余裕で7時半。

お腹はいっぱい。

いやいや、待ってくれ。

いくらええ時間を過ごしたとて、早すぎるやないか。

こんなん、大学時代、サッカーサークル終わりに5時からべろべろになるまで飲んで、「え!?まだ7時!?」とかゆうて悦に浸ってたんと変わらんやないか。

 

とりあえず、「どうしよか?」とか、ゆるーくにごしながら、年末の街を徘徊しました。

選択肢は、二つでした。

①もう一軒どっかで飲んでから、カラオケ。

②そのままカラオケ。

 

なんとなく①の選択肢の流れで、店を探していたものの、なかなかいい店見つからず。

さすが年末。

どこもいっぱい。

空いてるのは、チャラいキャッチの兄ちゃんが勧めてくる店だけ。

「どうしよう」と悩んでいたら、時間は8時過ぎ。

このまま、だらだら探し続けて一軒挟んでも、カラオケが遅くなるだけ。

そう、にょん家では、飲んだらカラオケが必須行事なのでした。

というのも、母も父も私もカラオケ大好きだからです。

特に、母に至っては、飲み始めて30分もすれば「今日は、この後カラオケやな。」とかなりの確率で口にするのでした。

うちの妻はそれも見越して、スマホでカラオケ練習をしていたぐらいです。(健気)

 

そんなわけで、②の選択肢を選ぶことにしました。

一次会からの直カラオケです。

2時間コースで飲み放題。

私達は力の限り歌いました。

みんなええ感じでした。

途中で急に採点DXが始まりました。

父の仕業でした。

すぐに点数をつけたがるのです。

自分の実力を見える化したいと思っている節があります。

歌というものを数値化しようという浅はかな営みです。

でも、だれもそれに異を唱える者はいません。

母と妻は、はなから採点結果など気にしていないからです。

私は、父に負けるなどと露ほども思っていないからです。

そんなわけでここから採点がスタートしました。

妻はシャイなところが出て、ことごとく私をデュエットに誘います。

だから、正確な点数が出ません。

それが妻の狙いなのかも知れません。

母は、ボリュームが異常に小さいです。

1人だけ別のマイクを使っているのか、それともマイクの電源を入れていないのかと思うぐらいのボリュームです。

父は、異様にビブラートをかけます。

採点結果でのビブラート回数が他の追随を許さない突出加減です。

私は、表現力の項目がいつも異常に低く点数が伸びません。

 

各自がそれぞれの点数に一喜一憂しつつ、カラオケはそれなりに盛り上がりました。

そして、残り時間も終盤に差し掛かったころ、父と母がデュエットをしました。

玉置浩二の「メロディ」でした。

その歌自体はこれまでにも父や母が歌っているのは聞いたことがありました。

でも、二人で一緒に歌っているのを見るのは、この日が初めてでした。

 

歌が始まりました。

歌が始まっても大して役割分担が決まっているわけでもないし、きれいにはもるわけでもありません。

どっちかというと、終盤に来て、「なんでまたこの曲選んだん?」と思ってしまうような二人の歌唱でした。

全然ハモリはキレイじゃないし、息切れはしてるし、メロディはずれてるし。

でも、私は二人の歌から目が、耳が、離れませんでした。

それがなぜかはいまだにうまく言葉にできません。

でも、二人が二人で歩んできた二人の時間がその歌に表れていたとしか言いようがないくらい、「しっくり」きていたんです。

それは、歌のうまさとか声の美しさとか、そういったテクニック的な次元を遥かに超えたもののように私には感じられました。

感動とかではないけれど、ただただ聞き入ってしまう、そんな歌でした。

もしかしたら、それは息子である私だけにそう聞こえただけかもしれないのですが、私には、それで十分でした。

年末に、不揃いだけれど、最高の一曲を聞いた気持ちにさせられました。

そして、こんな歌を歌える人生っていったいどんな人生なのか、そう思わずにはいられませんでした。

私には、というか、世界中の誰も、父と母のこの時の「メロディ」を超える歌を歌える人はいないと思います。

でも、私には私なりの「メロディ」が歌えるような人生を歩みたいなと心底思いました。

その「メロディ」への道筋はまだ見えませんが、きっと近道はなくて、コツコツやっていくしかないんだろうなあと改めて思うのでした。

 

いつかこの時の父と母の「メロディ」と並ぶ歌が歌えた時には、きっと採点以上の喜びがあるんだろうと思います。

2019をふり返る。 221

あと、15分ほどで2019年が終わる。

このぎりっぎりの今年度のうちに、今年のふり返りをしておこう。

でないと、明日からの2020年をすっきりとスタートできない気がする。

 

2019年のスタートは、このブログからだった。

インプットだけでなく、アウトプットをもっとしていこうということで始めたこのブログ。

誰に見せるわけでもなく、ただただ自分のふり返りのために書いてきた。

けれど、そんなブログをちょこちょこ読んでくれるもの好きな人も現れて、それはそれでまたすごく書くモチベーションになったりもした。

本当にありがとうございました。

 

今年度は、この記事を入れて221記事を書くことができた。

どうなんだろう。

多いか少ないかはどうでもいい。

自分の中でどれだけアウトプットできたかという実感だ。

それでいうと、まだまだだなあと思う。

特に後半は失速した。

生活リズムの乱れがその大きな要因だ。

一日をデザインし、その通りに生活をすることは、一日であればそれほど難しくはない。

だが、これが毎日となれば、途端に難易度が上がる。

習慣化すること、継続することの難しさを痛感した一年だった。

 

さてさて、このブログを始めて2本目の記事でTo Do List 2019なるものを作った。

1つずつふり返っていく。

①学級通信300号突破。

→2学期終了現在で278号。残り28号。まあ、間違いなくクリアすると思う。

 でも、ここまで数年間、これぐらいのペースで書いてきて、次年度からは少し号数を減らして、その分の時間を別のことに使おうと思う。

 そう思えたのも、ここまで圧倒的な量を書いてきたからこそだと思う。

②クラスの子どもたちの自治力アップ

→4月と比べると、格段に上がったと思う。けれど、完成はない。

 まだまだ引き続き、自治力を上げる取り組みを続けていきたい。

③ギターの上達。

→上達はした。けど、まだまだ楽譜見まくってるし、そういう意味ではまだまだ。

 そして、ギターソロとか全然無理!!もっと修行せねば!

④作詞作曲。

→作詞はできた。あとは作曲。これは、来年度チャレンジしたい。

⑤米津玄師を生で見る。

→残念。見れず。来年こそは。

⑥研究授業2本。

→できた!というか2本目2月!!やって終わりにならないようにしたい。

⑦絵をもっと上手に書けるようになる。

→んー、うまくなった実感なし。というか、あまり絵を描く時間自体取れなかった。

消しゴムはんこリニューアル。

→×

⑨体重を75kg台にキープ。

→×。現在81kg。煩悩の塊か。

⑩お酒飲んで記憶飛ばさない。

→自分的には85点。奥さん的には多分50点。

⑪忘れ物、落とし物を減らす。

→ばっちりでしょう!!成長した!!

⑫レディクレに行く。

→行けんカッター!!!

⑬瀬戸内芸術祭に行く

→行った!!

⑭年間読書100冊

→50冊ぐらいかなー。読書記録も最近かけてない。んー、来年こそは!!

⑮奥さんをキレさせない。

→いやー、キレさせてしまったこと数回。うん、反省。

 

というわけで、できたこともできなかったこともあるけど、

全部受け入れて、受け止めて、

ここから先は、また明日からの2020年で!!

 

それでは、みなさん良いお年を!!

クリスマスって何ですか? 220

24日が終業式であることは、前回の記事で書いた。

24日はクリスマスイブである。

しかし、私の体は寝不足でボロボロだった。

スイミンダイジ。

4時ごろ、時間休を出して帰宅した。

妻は私より先に帰ってゆっくりしていた。

寝不足と2学期が無事終わった安心感で、家に帰ると猛烈な睡魔に襲われた。

そこで、私は仮眠を取ることにした。

イブだが、特に予定はない。

妻とは、晩御飯をどこかに食べに行こうかとは話をしていた。

その夜まではまだ時間がある。

アラームをセットして、仮眠を取った。

 

目が覚めた。

寝ぼけ眼で横を見る。

妻がいた。

妻はパンを食べていた。

時計を見る。

時刻は7時半を回っていた。

どうやらアラームに気づかず、寝すぎてしまったようだ。

起きて妻に言う。

「あれ、パン食べたん?」

その一言は、妻の地雷を踏んだ。

 

妻から言わせれば、「どんだけ仮眠するねん。にょんが起きるのを待ってたのに、一向に起きへんから、小腹すいてパン食べたら、何それ、パン食べたらあかんの?」

 

そういうことらしい。

んー、難しい。

妻の機嫌を気にしつつ、少し遅めのご飯を食べに出かけた。

ちょくちょく行く料理屋さんへ行く。

席について乾杯をして、互いの2学期を労った。

妻は、大好きな白子ポン酢を食べたあたりからすっかり機嫌が直った。

白子様様である。

白子は偉大なり。

 

食べながら、クリスマスの話をする。

 

私「明日何する?」

妻「なんかしたいことある?」

私「んー、特にないなあ。あなたは?」

妻「んー、これといってはないかなあ。え、行きたいところとかは?」

私「んー、そうやなあ。なんやろ。あなたは?」

妻「んー、特には。そうやなあ。」

 

いや、どこがクリスマスやねん!!!

クリスマスの「ク」字もないやないか。

 

そう、二人して、年々「クリスマス」っていう意識が薄れてきているのである。

まあ、それはそれでいいんですけどね。

 

話の続き。

 

私「あ、じゃあ、あそこは?あの帰れマンデーでやってたとこ。」

妻「ああ、京都の舟屋のとこやろ。なんやったっけ?油屋やっけ?」

私「そうそう!そこそこ!奥伊根温泉!あそこいいんちゃう?」

妻「うん、いい!でも、空いてへんのちゃう?調べてみて。」

私「うん。…あ。空いてるで?あと4部屋やけど。」

妻「うそ。ほんまに行く?」

私「行く。」

 

ということで、そのまま宿を予約し、急遽クリスマスに奥伊根温泉に行くことに。

いやー、行き当たりばったりやわー。

計画性の「け」の字もない。

でも、こういうのが好きやったりする。

 

翌日、サンタクロースもキリストも全く関係ないけど、「クリスマスって何ですか?」ってクリスマスを満喫してきました。

 

舟屋の景色が素晴らしかったり、

海鮮丼が美味しすぎたり、

トンビが食べ物を狙いすぎていたり、

遊覧船の上空でトンビが食べ物を狙いすぎていたり、

旅館の鰤がでかすぎたり、美味しすぎたり、

スナック夕子が居心地よすぎたり、

翌朝のお味噌汁が美味しすぎたり、

SAで買った栗の砂糖まぶしたやつが美味しすぎたり、

そんな旅。

 

つまり、食べてばっかり。

年末年始の暴飲暴食に歯止めをかけられず、毎年過ごしてしまうのを何とかしたいなあと思いつつ、ほんまに何とかしたいと思ってるのか怪しいぐらい今年もまた同じことをくり返してしまった。

 

でも、奥伊根、ええとこやったなあ。

思いつきでも、行って良かった。