小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

2学期終了。 219

12月24日、2学期が終了した。

昨年までは、12月23日が天皇誕生日だったので、2学期も大体22日とかに終わっていた。

インフルエンザもわずかだがその威力を発揮し、うちのクラスの子たちを襲った。

全員揃って終業式を迎えられなかったのが唯一残念なことだ。

まあ、仕方ない。

むしろ、ここまでよく頑張った。

他の学年の先生にも「5年生、ほんまに元気ですよね!」と言われるくらい、うちの学年は元気だった。

出席簿なんか、毎月、書き込むことがほとんどなくて、担任としてはほんま感謝感謝。

ここまで頑張ってきた疲れが出たのかもしれない。

欠席の子には、放課後直接成績表を届けにいって少し話すことができたから良かった。

 

終業式は、朝の打ち合わせの後、体育館に全学年が集まり、校歌を歌って、校長先生の話があって、生徒指導の先生から話があって、で解散。

各クラスで宿題を配って、成績表を配って、少し話して、登校班の集会をして、集団下校で昼頃さようなら。

毎年変わらない流れ。

これも、まあ、本質から考えて必要かどうか検討の余地あるよなあと思ったり。

 

今年は、終業式での生徒指導の話が担当になっていた。

すっかり担当であることを忘れていた私は、前日、短時間で他の担当の先生と打ち合わせをして、内容を決めた。

テーマは「早寝早起き朝ご飯」。

冬休みってやっぱリズム崩れますもんね。

他にも「お金の使い方」ってのも候補にあったけど、体育館に集まって今か今かと冬休みを楽しみにしてうきうきしている子どもたちに長い話は厳禁。(日常的にもやけど)

だから、テーマは一つに絞って、コンパクトに。

あと、普通にだらだら話しても、誰も聞いちゃいない。

それじゃあ、お互いにとってすごく無駄な時間なので、考えて、歌を作った。

流れは、以下の通り。

 

①冬休みみんなに気を付けてほしいこと、歌にしてきました。聞いてください。

②タイトル「まずいな」って歌の1番をサビまで歌う。

③サビ終わりで歌をさえぎる。「いい歌やけど、情報が多い。ぼくも歌をつくってきたからそれを聞いてほしい。」と言い、2曲目を歌い出す。

④タイトル「早寝早起き朝ご飯」(そのまんまやないか)

⑤簡単すぎるので、子どもたちも一緒に合唱。

⑥終わり。

 

ちなみに、2曲とも元歌は「パプリカ」。

1曲目の「まずいな」は「パプリカ」と韻を踏んだ。

子どもたち、誰も気づいてないけど。

2曲目の「早寝早起き朝ご飯」は、「パプリカ」のメロディに合わせて、ひたすらに「早寝早起き朝ご飯」と連呼するだけの歌。

子どもたちにめちゃウケた。

低学年なんかめちゃくちゃ歌ってくれてたし。

ちょっとおもしろがることを挟むだけで、日常は驚くほど色鮮やかになる。

忘れたらあかん感覚やなあと改めて感じた。

 

ちょっと笑って終業式を終え、子どもたちと教室に帰る。

で、先に手紙やら宿題やら配ってしまって、成績表を手渡していく。

廊下に机を出して、そこに一人ずつ呼んで渡していく。

今学期こそは、一人一人コンパクトに話して渡していこうと心に決めていた。

子どもたちにもそう話していた。

でも、やっぱり予定より時間がかかってしまった。

んー、もっと話すことをしっかりと絞ってないとなあ。

時間かけりゃいいってもんでもないもんなあ。

反省反省。

「コンパクトゆうてて、結局長なってるやん。」と子どもらにツッコまれた。

 

「そんなことないって…と言い切れないのが俺の弱点。タイムイズマネー。胸に刻め。」

とか、ぺこぱみたいに切り返せばよかった。

 

でもまあ、なんだかんだで無事、穏やかに終業式は終了した。

子どもたちも笑顔で帰ってくれたので、ようやくホッと一息。

放課後も残っていた事務仕事をしながら、成績表に関する問い合わせはないか待っていたけど、なかった。(その後も何もなかった)

 

夏に、新たな学びの場の扉を開けて、学んだことを実践に取り入れていこうとチャレンジして、奮闘して、いっぱい失敗もした2学期だった。

慌ただしかったし、うまくいくことばかりではなかったけど、すごくワクワクできたし、今まで考えていたものよりはるかに多くの可能性を感じた2学期だった。

感じた可能性をそのままフェードアウトさせることなく、実践を積み重ねて、それを分析して、改善して…のサイクルをどんどん回していく3学期にしていけたらと思う。

いつも子どもたちの姿から出発することを忘れずにやっていこう。

それぞれの現実に思いを馳せる。 218

昨日は丸一日、お楽しみ会だった。

運動会明けに企画会議をして決定し、担当を決めて、それぞれ準備を進めてきた。

私は、ほぼほぼノータッチ。

たまに、「先生、こんなことしたいんやけど、○○貸してほしい。」みたいな要請に応えるだけ。

当日は、子どもたち一人一人の様子を見ながら、自分も参加して、楽しんだ。

 

それは、4時間目のことだった。

体育館で二つ目のお楽しみ会のプログラムをしようとした時だった。

Aくんが、体育座りで顔をうずめて泣いている。

様子を見に行くと、周りの子が状況を教えてくれた。

どうやら、何かとお互いもめることの多いBくんにきついことを言われたのが原因らしい。

BくんはBくんで、自分の立場が何となく悪いような雰囲気を感じ取っていたのだろう。

すでに、投げやり・ふてくされモードに突入しかかっていた。

Aくんは、泣いている時は全く話が通じないので、とりあえず、Bくんに話を聞くことにした。

体育館の端へ、Bくんを連れていく。

Bくんは、警戒心MAX。

年度当初から(というか、もっと前かららしいが)大人に対して反抗的かつ挑発的な言動が多く、他の学年の先生からもたびたび名前が出てくる子だ。

基本、大人への信用があまりない。

それは、彼自身というか、彼を取り巻く環境(大人)がそうさせている部分が大きいのではないか、そう思ってきた。

事情を聴き始めると、予想通り、こちらを試すような、わざと煽るような口調で真正面から向き合えないといった様子だった。

しかし、ここまで半年以上彼と関わってきて、これは単なる試し行動であることは、かなりわかってきていた。

「先生、おれのこと、疑ってんのやろ?ほら、はよ怒ったらええやん。」てな感じだ。

本心の裏返し。

本当は、わかってほしい。

でも、それは素直に出して、弱さを見せたくない。

だから、彼の態度には目くじらを立てず、事のいきさつを冷静に聞いていった。

すると、状況がくわしくわかってきた。

どうやら、Aくんがゲームにおけるある役割を嫌がっていたCさんに、無理やりその役割をやらせようとしていたのだそうだ。

それを見たBくんは、Aくんに注意した。

すると、AくんはBくんの注意を聞き入れず、言い返した。

それに腹を立てたBくんがAくんに暴言を吐いた。

どうもそういうことらしい。

 

「そういうことやったんかー。わかった。ちょっとAくんにも話聞いてみるわ。B君自身は、今話してくれた一連の流れの中で、振り返ったらこれはまずかったなってことある?」

 

そう問いかけると、しばらく考えていたBくんは、まだその目にふてくされた色は宿しつつも、ずいぶん落ち着いた様子で、コクンと一つうなずいた。

それを見て、「ああ、これはもう大丈夫だな。」と思ったので、Bくんは、みんなの中に帰した。

 

そして、Aくんの方へと向かう。

まだ、ドッジボールコートから少し離れたところで体育座りで顔をうずめて泣いている。

「こっちの方が時間がかかりそうだな。」

そんな私の直感は的中した。

その後、Aくんと20分ほど話をした。

とはいえ、最初は、泣き止まず、ろくに話もできない。

口から洩れるのは、ただただ自分が言われて嫌だったことだけ。

そこで、タイミングを見て、Aくんから聞いた話を時系列で確認していった。

すると、全てAくんが話していたことと事実確認が取れた。

朝、今日一日のお楽しみ会に臨む前に、担任として、大事にしてほしいなということを話した。

Cさんに無理やり嫌がる役割をさせようとしたことについては、みんなで楽しもうとするところから離れた行為だ。

それに関しては、Aくんも自分がしたことと向き合ってほしい、そう思った。

そして、そのことをAくんに話した。

しかし、Aくんは、私の問いかけの中に、自分への非難の方を強く感じ取ってしまったのだろう。

「じゃあ、オレが全部悪いんやろ!?」と怒り出し、余計に泣き出してしまった。

瞬間的に、手順を間違えたと思った。

AくんがCさんにしたことは、彼が反省すべきことである。

それは間違いない。

しかし、そこに至るには、まずAくんへの共感をもっとじっくりするべきだったのだ。

共感していた「つもり」だったが、その見積もりが甘かった。

時系列で順を追って話していきながら、その時々の言動を一つずつ確認していくというプロセス自体がずれていたのだ。

しかし、やってしまったものは仕方がない。

Aくんの感情の爆発が収まるのを、横でじっと見守る。

人間、感情が爆発してもそう長くは続かない。というか、続けられない。

しばらくすると、また少しクールダウンしてきたので、タイミングを見て、さっきより慎重に話しかけた。

「落ち着いてきた?じゃあさ、先にAくんは何が嫌やったんか、全部話してくれる?ずっと聞いとくから。先に言いたいこと全部吐き出してごらん。」

そう言うと、Aくんは少ししてから話してくれた。

やはり嫌なのはBくんに言われた一言だったらしい。

うんうんとうなずきながら聴いていると、ようやくAくんも落ち着いてきた。

そうすると、こちらが言わずとも、自分が良くなかったことも自分で言語化して、伝えてくれた。

ようやく、大丈夫そうだというめどが立った。

Aくんが一通り話終わってから、「どうしたい?」と聞くと、「Cさんに謝って、Bくんと話したい。」とのことだった。

まず、Cさんを呼んでAくんの話を聞いてもらった。

Cさんは、さばさばした様子で、「え、そんなんもう全然気にしてないからいいよ。」と言ってくれた。

大人だ。

そして、Bくんを呼んでお互いに話したいことを話し合った。

Bくんは、Aくんがめそめそしているのがまた癇に障るようで、序盤こそイライラしていたが、時間をかけて話すことで、徐々に落ち着いていった。

そして、成長したなと思ったのは、二人とも、私がいちいち話の進行をして、間を取り持たないでも、ほぼ自分達だけで、建設的な話し合いをしていたことだ。

特に、Bくんに関して言えば、後半は、Aくんが見ている景色を見ようと努力しつつ、話を聞き、相手の立場に立って言葉を選び、話していた。

 

Aくんには、Aくんが見ている現実がある。

Bくんには、Bくんが見ている現実がある。

 

どちらも良い悪いではなく、そこに確かに存在する。

教師は、そのどちらをもきちんと見なければいけない。

自分の尺度で勝手な解釈をしてはいけない。

そして、両者の現実が、互いに見え始めると、相互理解が始まる。

そのプロセスをていねいにていねいに紡いでいくだけなんだろうな。

 

そんなことを、AくんとBくんの話し合いから学んだ。

子どもってすごい。

こうして、時に大人よりもしっかりと対話だってできる。

いいところは、いつもそこに転がっている。

それを掬い取って、共有するサポートができればいいのかな。

「教える」が前提の指導だときっと入らないんだろうな。

 

時間はかかったけれど、このやりとりから学べたことは自分にとってもすごく大きかったと思う。

AくんとBくんに感謝しなければ。

子どもたちの問いから、問いが生まれる。 217

2学期がもうすぐ終わる。

ふり返れば、内面での大きな変化があった2学期だった。

その辺については、これまでにも書いてきたが、また終わってからゆっくりふり返りたいと思う。

各教科での学習もほぼ全て終了してきたのだが、国語だけ最後のもうひと踏ん張りと言ったところだ。

今、最後の教材である「百年後のふるさとを守る」で学習を進めている。

この教材では、問いづくりのアプローチをとることにした。

みんなで教材本文を読んだ後、グループごとに問いづくりをした。

2学期、社会や道徳で取り組んだ方法だけあって、ずいぶん慣れてスムーズにできるようになっていた。

頼もしい。

問いを出す時間は、あまり長いとだれてしまうので、7分間にした。

文章量も比較的多いので、いつもより少し長めの設定。

各グループにふせんを渡して、思いついた問いをどんどん書き出す。

多い少ない、多少の差こそあれ、どのグループもそれなりに「質」を気にせず、どんどん問いを書き出していた。

とにかく出すということに以前ほどの躊躇は見られない。

いい変化だなと思う。

時間が来たので、各グループで出た問いをグルーピングした。

1.教科書を読んで答えが見つかりそうな問い

2.教科書を読んだだけでは答えが見つかりそうにない問い

の二つだ。

子どもたちの感覚で、相談しながら分けるように言った。

時間は同じく7分。

各グループの様子を見て回る。

面白かったのは、「答えを探しなさい。」とは言っていないけれど、あちこちで自然と問いに対する対話が発生していたことだ。

どちらに分類すればいいのか考える過程で、自然と本文の叙述に戻り、答えとなりそうな部分があるか議論していたのだ。

ぬまっち先生の「アナザーゴール」に似ているなと思った。

ゴールは、「問いの答えが教科書から探し出せるかどうかを分類する」こと。

でも、そのゴールに向かう過程で、自然と本文を読み、読みを深めようとしていたからだ。

直接それ自体を指示するのではないけれど、自然と意識することなく、そこに向かってとてもニュートラルにモチベーションを上昇させている子どもたち。

んー、まだうまく言えないけれど、授業をデザインしていく上で、結構発問のポイントになるかもしれないと思った。

 

残念ながら、2学期は来週終わる。

だから、この単元にももうそこまで時間をかけることはできない。

子どもたちから出してもらった問いの山をホワイトボードに分類した状態で提出してもらった。

放課後、それを一つずつ読み、問いの一覧表を作っていた。

読みながら同じものはまとめ、箇条書きでプリントにまとめていく。

けれど、時系列や対象がバラバラで作っていて、非常にわかりづらいし、子どもたちも考えづらいだろうなと思った。

使える時間はそれほどないのだが、自分で作っていて、「これじゃ作るだけ無駄だ」と思った。

膨大な数のふせんを前に、もっとわかりやすくするためには…と考え、自分自身がふせんをグルーピングすることにした。

時間がかかるのは目に見えていたが、とりあえずやってみよう。

それから考えよう、そう思った。

似たふせんを重ね、情報を整理していく。

すると、しばらくして、子どもたちの問いに、いくつかの傾向があることに気づいた。

1つは、「内容に関して」、もう1つは「書きぶりに関して」。

そこで、まずその2つにグルーピングし、それから、その中でさらに対象ごとにふせんを分けていった。

すると、グルーピングした問いの地図ができた。

…と、ここで気付く。

いや、これ、子どもたちがやれば良かったんじゃないか。

グルーピングすることで、無駄をそぎ落とし、純度の上がった問いを見つけ出すことができる。

その問いを出発点にして、読みを深めていく。

物語教材で3学期、もう少しゆったりと学習時間を確保してやってみても面白いかもしれない。

今回は、あまり時間が取れないのが残念でならないが、少し見えたおもしろさの欠片を、できるだけ試してみようと思う。

やっぱり教材研究はおもしろい。

それも子どもたちの実態や子どもたちから生み出されたものをもとに考えるのが。

忙しさに日々流れるように過ぎていく最近にあって、またこの仕事の醍醐味を掬い上げることができて良かった。

コツコツ。

わずかでもいい。

進んでいこう。

AIMYON TOUR 2019 -SIX SENSE STORY- at 神戸ワールド記念ホール 216

 12月14日(土)、あいみょんのライブに行ってきた。

10月23日のオリックス劇場でのライブ以来、一か月半ぶりのあいみょん

今までで一番再会までのスパンが短かった。

こんな短いスパンであいみょんのライブに行けるなんて、なんたる幸せ。

しかも、今回、指定席の場所がめちゃくちゃ良かった。

一番前の真ん中から一つ右側のA5ブロックの7列目!!

あいみょんが近い!!

前回は2階席の一番端っこあたりだったから、余計ありがたみを感じる。

会場には、幅広い年齢層のお客さんが詰めかけていて、あいみょんの国民的な人気ぶりがうかがえた。

 

ライブは、6時ちょうど、予定通りにスタート。

アリーナで初めて見るあいみょん

どんな感じなんだろう。

胸が高鳴る。

と、同時に少し不安も。

こんな6000人規模のアリーナの中で、自分の目にあいみょんはどう映るのか。

幕が開き、あいみょんが姿を現す。

一曲目は、「ら、のはなし」。

めちゃくちゃ好きな曲で、のっけからテンションがぐわーっと上がった。

イントロが始まった時の高揚感が忘れられない。

 

前回同様、MC少なめで、どんどん曲やる。

どの曲もキラーチューン過ぎて、えげつない。

改めてあいみょん旋風のすごさを思い知った楽曲たち。

 

ライブの中盤から、弾き語りゾーンに突入した。

最小限の照明の中で、あいみょんがギターをかき鳴らす。

それまでのバンドバージョンから、極端にそぎ落とされた視覚情報。

でも、そのせいもあるのだろうか、かえって生身のあいみょんの存在感が際立って輝きを放っていた。

6000人を前にしても、小さくなるどころか、よりその生命力というか、人間力というか、そんなものを強く感じた。

圧巻だったのが、「Tower of the sun」。

あいみょんの口から放たれる言葉の一つ一つが刺さる刺さる。

悔しさや無力感や絶望、それでもなにくそと歯を食いしばって未来へ進もうとする、そんなイメージがシンプルな弾き語りでガンガン伝わってきた。

知らぬ間に、この曲に今の自分を投影させていたことに気づいたのは、ライブが終わってしばらくしてからだった。

弾き語りからバンドスタイルへ戻る前のつなぎの一曲。

「せっかくやから古い曲もやろうと思って」

そう言って、始まったのが大好きな「おっぱい」で、むちゃくちゃうれしかった。

アコースティックバージョンの「おっぱい」、めちゃくちゃいい。

聞くたびに、曲だけでなく、あいみょんという人間を好きになっていくような感覚が、ずっとある。

今回もまさにそう。

 

中盤で少ししっとりした後、後半戦は、怒涛のヒット曲ラッシュ。

 

「夢追いベンガル」「貴方解剖純愛歌~死ね~」「マリーゴールド」「空の青さを知る人よ」「満月の夜なら」

 

いやいや、当たり前やけど、どんだけええ歌持ってんねん。

捨て曲一切ないやんか。

ちょっと重ね着してきたのを後悔するぐらい盛り上がった。

 

最後は「君はロックを聴かない」の大合唱からの、「GOOD NIGHT BABY」でフィニッシュ。

言うことなし、パーフェクトな2時間だった。

次はいつライブに行けるだろうか。

今から楽しみで仕方ない。

 

 

P.S.

個人的なハイライトは、一緒に行ってた奥さんがMCの時、「月曜日誕生日ー!」と叫んだら、「え、ほんま?おめでとー!何歳になんの?」と返事してくれて、「37歳ー!!」と素直に年齢を伝えたら、「えー、人生の先輩やん!おめでとー!」と言ってくれたことだ。

いやー、行動力半端ない。

やっぱ何でも「とりあえずやってみる」って大事やなーとこんなところでも実感し、反省した一日だった。

見事なカウンター。 215

今日の給食中。

毎日ローテーションで各グループを回りながら給食を食べていて、今日は2班のところだった。

私の前には、A君がいる。

A君は、一度給食を食べ始めると、一切しゃべらない。

食べるのが遅くなるのが嫌なのだという。

ちょこちょこ話しかけてみるも、全く反応してくれず。

徹底している。

そんなちょっかいをかけていると、A君はさっさと食べ終わってしまった。

A君は給食を食べ終わると、必ずぼくのところに来る。

 

A「にょん先生、ぼくが食べてる時に話しかけんとって。」

私「えー。あかんの?ちょっとぐらいいいやんかー。」

A「あかん。食べるの遅くなるから。」

私「そうなん?ちょっとはしゃべりたいなあ。」

A「あかん。先生、そんなことしてたら、担任失格やで。見てほら、先生しゃべってたからまだ全然食べてへんやんか。」

私「そう?大おかずはこれおかわりしてるんやで?」

A「ううん。そんなん違う。他のやつは全部まだやんか。」

私「まあ、せやけど。まだ時間結構あるし、そんなめちゃくちゃ早く食べんでもええんちゃう?」

A「そうや!先生、三角食べちゃんとしいや!ちょっとおわん持ってるの一回置いて。」

私「えー、今良い感じに食べてたやん。これで十分やんー。」

A「いいから、一回置いて。ほら!」

私「はいはい、わかったわかった。これでいい。」

(おわんとお皿を三角形になるように配置するA君)

A「はい、できた。これでな、まず大おかず3口食べて。それからこっち1口食べて。」

私「なんで大おかずと小おかずでそんな口数にちがいあるん 笑?」

A「いいねん。早く!はい、大おかず3口食べて。そう。次、小おかず。そ…ちがう!何でまた大おかず食べるん。」

私「あ、ごめん。おいしかったからつい 笑。小おかずね。はいはい。」

A「そうそう、ほら!食べるの早くなってきたやん!!これからは三角食べか交互食べしたら早く食べれるで!な!」

 

A君とのやり取りが愛おしくって、楽しくって、ついついふざけてしまいました。

それを見て、周りの子どもたちもにこにこしてました。

 

(もぐもぐ)

 

A「そうそう、ほら!もう食べ終わりそうやん!

 

 …で、先生教室暑い?暑くない?何度ぐらいやと思う?予想では?」

 

 

いやいや、むっちゃしゃべってくるやん。

 

あなた、しゃべりかけられたら食べられへんてゆうてませんでしたっけ 笑

まあ、あなたと私は違うけどね 笑

 

とっても豊かな時間だなあと幸せを感じました。

子どもたちとのこういうたわいないやり取りやおふざけを楽しむ心の余裕をいつも持っていたいものです。

次の名前どうするんやろ。 214

12月ともなると、朝は冷え込みが厳しくなってきた。

バイク通勤のぼくにはものすごくきつい。

こんなにきついなら、いっそ電車通勤にしてしまおうか。

そしたら、電車に乗っている間、読書時間も確保できるし。

 

と、一瞬思うが、それはない。

最寄駅からの、最寄り駅という称号を返上してもらいたいぐらいの距離を歩かねばならないからだ。

この寒い中、あの距離を歩くくらいなら、やはり片道15分バイクで耐え忍んだ方が、総合的なメリットははるかに大きい。

そんなことを毎朝のように考えながら、出勤する最近である。

 

バイクに乗っている時に体感温度というのは、それはそれはもう、低い。

皮の手袋を貫通して指先はかじかむし、ヘルメットの隙間から入ってくる冷たい風で、頬から口元にかけてがフローズンアイス。

夏場に食べたい自分の顔。

あほか。

 

そんなわけで、防寒対策は欠かせない。

念には念を入れて、その上で石橋をたたいて渡らないぐらいの念の入れよう。

ズボンの下には、ユニクロヒートテックタイツを履いている。

先日、新しいのを買ったのだ。

その名も「超極暖ヒートテックタイツ」

 

話は少しさかのぼるが、このネーミングを見た時に、余計なお世話で心配になった。

昨今、科学技術の進歩は目覚ましい。

私がこのヒートテックタイツを履きなれる頃には、次世代のヒートテックタイツが開発されているかもしれない。

 

しかし、そうなるとだ。

困るのは、販売する時のネーミング。

だって、現時点で「超」とかいう便利な接頭語、もう使ってしまってるから。

「超」の上って何なのだろう?「極」も使ってもうてるし。

実は、ネーミング、なかなか袋小路なんじゃないのか?

 

それともひょっとしていけるとこまでいくんだろうか。

新発売!「メガ」極暖ヒートテック

 

とか。

 

新発売!「ギガ」極暖ヒートテック

 

とか。

 

新発売!そう、もうお分かりですね?「テラ」極暖ヒートテック!!

 

とか。

 

でも、そうなると、もう先が見えて来てるから、最終的に「インフィニティー極暖ヒートテック」!!とかになるんやろか。

 

インフィニティーて。

それもう、低温やけど越えてるレベルちゃうかなあ。

 

そんな一円にもならない無駄なことを考えながら、バイクを走らせ、職場に到着。

 

「おはようございまーす。いやあ、寒いですねええええ!!」

 

この冬、もう何回ゆうたことか。

会話のつかみ、テンプレート化著しい!!

 

午前中は何とか無事に終え、昼休み。

 

ごっこに誘われた。

ありがたいので、喜んでお受けすることにした。

 

しかし、ここで悩ましい問題が一つ発生する。

 

「超極暖ヒートテックタイツどうしよう…」

 

一回ぬぐべきか、そのまま行くべきか。

まあ、走ってたら暑くなってくるやろうし、脱いでた方が後で楽。

なのか、

いやいや、出た時しばらく寒いし、ゆうほど走り回らん可能性もゼロじゃない。

なのか。

 

迷う。迷う。

いらんとこで、貴重なウィルパワーを消費しまくる。

いや、消費じゃない、浪費や。

どんどん減っていくウィルパワー。

私は決断した。

「超極暖ヒートテックは着たまま、参加する!!」

 

結果、オニになり、というか、させられ、めちゃくちゃ走った。

12月なのに、汗をかいたのは、これが最初だ。(まあ、ゆうてまだ10日そこらやから)

「昼休みおにご誘われたら、超極暖脱ぐか否か論争」、難しいなあ。

まさに、答えのない問いに向き合う時代だと感じさせられた。

 

 

あほか。

ペープサート初演の朝。 213

今朝は、朝学習の時間に、子どもたちが今まで準備してきたペープサートを1・2年生に見せに行くことになっていた。

それぞれのクラスに2グループずつ分かれて、発表に行く。

第一回公演とあって、子どもたちは思いのほか緊張していた。

朝、いつもより早めに教室へ行く。

黒板に大体のタイムスケジュールを書いた。

教室に来た子から、次々に黒板のメッセージを読んで、準備を始める。

この期に及んでバタバタと慌ただしいグループもいる。

「先生、セロテープどこ?」

今の今になって、ペープサートの細かいところが気になっているのかもしれない。

準備はやってもやっても、完ぺきになんてなることはないのかもしれない。

だから、与えられた枠の中で精いっぱいやったなら、あとは「なるようになる」と腹をくくって、全力を出すだけだ。

 

「先生、2年生の教室って、机どんなんが使えるん?」

んー、どこまで助け舟を出して、どこから黙っておくべきか。

意識していないと、ついつい転ばぬ先の杖でしゃべりすぎてしまうぼくにとっては、何を言わないかが難しい。

結局、当日の朝で公演時間が迫っている中、これまでの努力を枝葉の部分で阻害してしまいたくなかったので伝えたが、あれでよかったのか。

もっと見通しを持って事前に確認に行かせた方が良かったか。

そこまでのレールを敷いてしまうことは、子どもたちにとってマイナスではないのか。

自分たちで、直面した状況に対応していくことも大きな経験ともいえる。

どちらにせよ、何らかの意図を持って声掛けできたのか。

この場面だけではない。

もっと考えなければいけないことはたくさんあるなと思い知る。

 

余裕を持って教室を出発した子どもたちを見送って、少ししてから、それぞれの教室の様子を見に行く。

子どもたちの表情に余裕がない。

緊張は、1・2年生にも伝わっているようで、少し雰囲気が重い気がした。

 

チャイムが鳴り、それぞれの教室でペープサートが始まる。

各教室を行ったり来たりしながら、子どもたちの様子を写真に収める。

ところどころ、笑ったり、前のめりになったり、楽しんでくれている様子が見て取れた。

けれど、やっている当の本人たちはそのリアクションにきっと気付いていないんだろうな。

だって、目の前のペープサートに必死やもんな。

相手の反応を見ることの重要性に気づけたら、もっと双方向的なペープサートになるのにな。

間の取り方も、相手の呼吸に合わせて変えることもできるのにな。

こういうことって、どう伝えればいいんだろう。

いや、そもそも「伝える」ことなんてできるのかな。

究極、子どもたち自身が気付くことでしか、得られないんではないだろうか。

でもじゃあ、そのためにぼくができることって何だろう。

考える、考える。

 

子どもたちは、どのグループも初めてのペープサート公演をやり切った。

お疲れ様。

緊張から解放されて、初めて自分たちの今日の出来について意識が向いたようで、友だちとあれこれしゃべっていた。

私にも話しかけに来る。

「先生、1年生って、ほんま思ったままのこと言うなあ!びっくりした!」

どっちやろ?良い事なんかな?悪い事なんかな?

行ってしまった。

でも、ずっと相手として想定してきた1・2年生を初めて目の前にしてやってみて、感じたり、思ったりしたことは大きかったと思う。

「やってみる」ことの経験値は、やっぱり重要だ。

大人も子どもも。

ふり返りには、悔しい想いが綴られていたり、喜びが綴られていたり、いろいろ。

でも、第2回公演へ向けて、前向きなコメントが多かった。

次回に期待したい。

ぼく個人として、見ていて思ったのは、3点。

声が小さい。ペープサートの動きが小さい。楽しむ余裕がない。

どれを伝えるべきか。どれを伝えないべきか。

全部伝えるべきか。

でも、伝えるなら、「~できてない」じゃなくて、「~なら、さらに良くなるんじゃない?」と、ポジティブに伝えるようにしよう。

子どもたちが「ラスト一回思いっきり全部出そう!」って思えるような、心の火に薪をくべるような、そんな伝え方にしよう。

 

「楽しむ余裕がない」のは、今のぼくも同じかもしれない。

あれこれ、考えすぎてがんじがらめになっているところがある。

そういうときこそ、やってみよう。

とりあえずやってみよう。

というわけで、とりあえず、今日のことで思いついたままに書いてみた。

こうやって吐き出して、頭の中で行き場もなく、ぐるぐると回り続ける思考を、書くことで言語化して、このブログに刻もう。

で、どうする?

それは、書いてからまた考えればいい。

考えて、また書けばいい。

その積み重ねから何を見出すかも自分次第。

外側の観察も外側からのインプットも続けていく。

でも、それと同じくらい、いや、それ以上に、自分の内側へ意識を向けることを大事にしよう。

やってみる、やってみる。