ペープサート初演の朝。 213
今朝は、朝学習の時間に、子どもたちが今まで準備してきたペープサートを1・2年生に見せに行くことになっていた。
それぞれのクラスに2グループずつ分かれて、発表に行く。
第一回公演とあって、子どもたちは思いのほか緊張していた。
朝、いつもより早めに教室へ行く。
黒板に大体のタイムスケジュールを書いた。
教室に来た子から、次々に黒板のメッセージを読んで、準備を始める。
この期に及んでバタバタと慌ただしいグループもいる。
「先生、セロテープどこ?」
今の今になって、ペープサートの細かいところが気になっているのかもしれない。
準備はやってもやっても、完ぺきになんてなることはないのかもしれない。
だから、与えられた枠の中で精いっぱいやったなら、あとは「なるようになる」と腹をくくって、全力を出すだけだ。
「先生、2年生の教室って、机どんなんが使えるん?」
んー、どこまで助け舟を出して、どこから黙っておくべきか。
意識していないと、ついつい転ばぬ先の杖でしゃべりすぎてしまうぼくにとっては、何を言わないかが難しい。
結局、当日の朝で公演時間が迫っている中、これまでの努力を枝葉の部分で阻害してしまいたくなかったので伝えたが、あれでよかったのか。
もっと見通しを持って事前に確認に行かせた方が良かったか。
そこまでのレールを敷いてしまうことは、子どもたちにとってマイナスではないのか。
自分たちで、直面した状況に対応していくことも大きな経験ともいえる。
どちらにせよ、何らかの意図を持って声掛けできたのか。
この場面だけではない。
もっと考えなければいけないことはたくさんあるなと思い知る。
余裕を持って教室を出発した子どもたちを見送って、少ししてから、それぞれの教室の様子を見に行く。
子どもたちの表情に余裕がない。
緊張は、1・2年生にも伝わっているようで、少し雰囲気が重い気がした。
チャイムが鳴り、それぞれの教室でペープサートが始まる。
各教室を行ったり来たりしながら、子どもたちの様子を写真に収める。
ところどころ、笑ったり、前のめりになったり、楽しんでくれている様子が見て取れた。
けれど、やっている当の本人たちはそのリアクションにきっと気付いていないんだろうな。
だって、目の前のペープサートに必死やもんな。
相手の反応を見ることの重要性に気づけたら、もっと双方向的なペープサートになるのにな。
間の取り方も、相手の呼吸に合わせて変えることもできるのにな。
こういうことって、どう伝えればいいんだろう。
いや、そもそも「伝える」ことなんてできるのかな。
究極、子どもたち自身が気付くことでしか、得られないんではないだろうか。
でもじゃあ、そのためにぼくができることって何だろう。
考える、考える。
子どもたちは、どのグループも初めてのペープサート公演をやり切った。
お疲れ様。
緊張から解放されて、初めて自分たちの今日の出来について意識が向いたようで、友だちとあれこれしゃべっていた。
私にも話しかけに来る。
「先生、1年生って、ほんま思ったままのこと言うなあ!びっくりした!」
どっちやろ?良い事なんかな?悪い事なんかな?
行ってしまった。
でも、ずっと相手として想定してきた1・2年生を初めて目の前にしてやってみて、感じたり、思ったりしたことは大きかったと思う。
「やってみる」ことの経験値は、やっぱり重要だ。
大人も子どもも。
ふり返りには、悔しい想いが綴られていたり、喜びが綴られていたり、いろいろ。
でも、第2回公演へ向けて、前向きなコメントが多かった。
次回に期待したい。
ぼく個人として、見ていて思ったのは、3点。
声が小さい。ペープサートの動きが小さい。楽しむ余裕がない。
どれを伝えるべきか。どれを伝えないべきか。
全部伝えるべきか。
でも、伝えるなら、「~できてない」じゃなくて、「~なら、さらに良くなるんじゃない?」と、ポジティブに伝えるようにしよう。
子どもたちが「ラスト一回思いっきり全部出そう!」って思えるような、心の火に薪をくべるような、そんな伝え方にしよう。
「楽しむ余裕がない」のは、今のぼくも同じかもしれない。
あれこれ、考えすぎてがんじがらめになっているところがある。
そういうときこそ、やってみよう。
とりあえずやってみよう。
というわけで、とりあえず、今日のことで思いついたままに書いてみた。
こうやって吐き出して、頭の中で行き場もなく、ぐるぐると回り続ける思考を、書くことで言語化して、このブログに刻もう。
で、どうする?
それは、書いてからまた考えればいい。
考えて、また書けばいい。
その積み重ねから何を見出すかも自分次第。
外側の観察も外側からのインプットも続けていく。
でも、それと同じくらい、いや、それ以上に、自分の内側へ意識を向けることを大事にしよう。
やってみる、やってみる。