子どもたちの問いから、問いが生まれる。 217
2学期がもうすぐ終わる。
ふり返れば、内面での大きな変化があった2学期だった。
その辺については、これまでにも書いてきたが、また終わってからゆっくりふり返りたいと思う。
各教科での学習もほぼ全て終了してきたのだが、国語だけ最後のもうひと踏ん張りと言ったところだ。
今、最後の教材である「百年後のふるさとを守る」で学習を進めている。
この教材では、問いづくりのアプローチをとることにした。
みんなで教材本文を読んだ後、グループごとに問いづくりをした。
2学期、社会や道徳で取り組んだ方法だけあって、ずいぶん慣れてスムーズにできるようになっていた。
頼もしい。
問いを出す時間は、あまり長いとだれてしまうので、7分間にした。
文章量も比較的多いので、いつもより少し長めの設定。
各グループにふせんを渡して、思いついた問いをどんどん書き出す。
多い少ない、多少の差こそあれ、どのグループもそれなりに「質」を気にせず、どんどん問いを書き出していた。
とにかく出すということに以前ほどの躊躇は見られない。
いい変化だなと思う。
時間が来たので、各グループで出た問いをグルーピングした。
1.教科書を読んで答えが見つかりそうな問い
2.教科書を読んだだけでは答えが見つかりそうにない問い
の二つだ。
子どもたちの感覚で、相談しながら分けるように言った。
時間は同じく7分。
各グループの様子を見て回る。
面白かったのは、「答えを探しなさい。」とは言っていないけれど、あちこちで自然と問いに対する対話が発生していたことだ。
どちらに分類すればいいのか考える過程で、自然と本文の叙述に戻り、答えとなりそうな部分があるか議論していたのだ。
ぬまっち先生の「アナザーゴール」に似ているなと思った。
ゴールは、「問いの答えが教科書から探し出せるかどうかを分類する」こと。
でも、そのゴールに向かう過程で、自然と本文を読み、読みを深めようとしていたからだ。
直接それ自体を指示するのではないけれど、自然と意識することなく、そこに向かってとてもニュートラルにモチベーションを上昇させている子どもたち。
んー、まだうまく言えないけれど、授業をデザインしていく上で、結構発問のポイントになるかもしれないと思った。
残念ながら、2学期は来週終わる。
だから、この単元にももうそこまで時間をかけることはできない。
子どもたちから出してもらった問いの山をホワイトボードに分類した状態で提出してもらった。
放課後、それを一つずつ読み、問いの一覧表を作っていた。
読みながら同じものはまとめ、箇条書きでプリントにまとめていく。
けれど、時系列や対象がバラバラで作っていて、非常にわかりづらいし、子どもたちも考えづらいだろうなと思った。
使える時間はそれほどないのだが、自分で作っていて、「これじゃ作るだけ無駄だ」と思った。
膨大な数のふせんを前に、もっとわかりやすくするためには…と考え、自分自身がふせんをグルーピングすることにした。
時間がかかるのは目に見えていたが、とりあえずやってみよう。
それから考えよう、そう思った。
似たふせんを重ね、情報を整理していく。
すると、しばらくして、子どもたちの問いに、いくつかの傾向があることに気づいた。
1つは、「内容に関して」、もう1つは「書きぶりに関して」。
そこで、まずその2つにグルーピングし、それから、その中でさらに対象ごとにふせんを分けていった。
すると、グルーピングした問いの地図ができた。
…と、ここで気付く。
いや、これ、子どもたちがやれば良かったんじゃないか。
グルーピングすることで、無駄をそぎ落とし、純度の上がった問いを見つけ出すことができる。
その問いを出発点にして、読みを深めていく。
物語教材で3学期、もう少しゆったりと学習時間を確保してやってみても面白いかもしれない。
今回は、あまり時間が取れないのが残念でならないが、少し見えたおもしろさの欠片を、できるだけ試してみようと思う。
やっぱり教材研究はおもしろい。
それも子どもたちの実態や子どもたちから生み出されたものをもとに考えるのが。
忙しさに日々流れるように過ぎていく最近にあって、またこの仕事の醍醐味を掬い上げることができて良かった。
コツコツ。
わずかでもいい。
進んでいこう。