それぞれの現実に思いを馳せる。 218
昨日は丸一日、お楽しみ会だった。
運動会明けに企画会議をして決定し、担当を決めて、それぞれ準備を進めてきた。
私は、ほぼほぼノータッチ。
たまに、「先生、こんなことしたいんやけど、○○貸してほしい。」みたいな要請に応えるだけ。
当日は、子どもたち一人一人の様子を見ながら、自分も参加して、楽しんだ。
それは、4時間目のことだった。
体育館で二つ目のお楽しみ会のプログラムをしようとした時だった。
Aくんが、体育座りで顔をうずめて泣いている。
様子を見に行くと、周りの子が状況を教えてくれた。
どうやら、何かとお互いもめることの多いBくんにきついことを言われたのが原因らしい。
BくんはBくんで、自分の立場が何となく悪いような雰囲気を感じ取っていたのだろう。
すでに、投げやり・ふてくされモードに突入しかかっていた。
Aくんは、泣いている時は全く話が通じないので、とりあえず、Bくんに話を聞くことにした。
体育館の端へ、Bくんを連れていく。
Bくんは、警戒心MAX。
年度当初から(というか、もっと前かららしいが)大人に対して反抗的かつ挑発的な言動が多く、他の学年の先生からもたびたび名前が出てくる子だ。
基本、大人への信用があまりない。
それは、彼自身というか、彼を取り巻く環境(大人)がそうさせている部分が大きいのではないか、そう思ってきた。
事情を聴き始めると、予想通り、こちらを試すような、わざと煽るような口調で真正面から向き合えないといった様子だった。
しかし、ここまで半年以上彼と関わってきて、これは単なる試し行動であることは、かなりわかってきていた。
「先生、おれのこと、疑ってんのやろ?ほら、はよ怒ったらええやん。」てな感じだ。
本心の裏返し。
本当は、わかってほしい。
でも、それは素直に出して、弱さを見せたくない。
だから、彼の態度には目くじらを立てず、事のいきさつを冷静に聞いていった。
すると、状況がくわしくわかってきた。
どうやら、Aくんがゲームにおけるある役割を嫌がっていたCさんに、無理やりその役割をやらせようとしていたのだそうだ。
それを見たBくんは、Aくんに注意した。
すると、AくんはBくんの注意を聞き入れず、言い返した。
それに腹を立てたBくんがAくんに暴言を吐いた。
どうもそういうことらしい。
「そういうことやったんかー。わかった。ちょっとAくんにも話聞いてみるわ。B君自身は、今話してくれた一連の流れの中で、振り返ったらこれはまずかったなってことある?」
そう問いかけると、しばらく考えていたBくんは、まだその目にふてくされた色は宿しつつも、ずいぶん落ち着いた様子で、コクンと一つうなずいた。
それを見て、「ああ、これはもう大丈夫だな。」と思ったので、Bくんは、みんなの中に帰した。
そして、Aくんの方へと向かう。
まだ、ドッジボールコートから少し離れたところで体育座りで顔をうずめて泣いている。
「こっちの方が時間がかかりそうだな。」
そんな私の直感は的中した。
その後、Aくんと20分ほど話をした。
とはいえ、最初は、泣き止まず、ろくに話もできない。
口から洩れるのは、ただただ自分が言われて嫌だったことだけ。
そこで、タイミングを見て、Aくんから聞いた話を時系列で確認していった。
すると、全てAくんが話していたことと事実確認が取れた。
朝、今日一日のお楽しみ会に臨む前に、担任として、大事にしてほしいなということを話した。
Cさんに無理やり嫌がる役割をさせようとしたことについては、みんなで楽しもうとするところから離れた行為だ。
それに関しては、Aくんも自分がしたことと向き合ってほしい、そう思った。
そして、そのことをAくんに話した。
しかし、Aくんは、私の問いかけの中に、自分への非難の方を強く感じ取ってしまったのだろう。
「じゃあ、オレが全部悪いんやろ!?」と怒り出し、余計に泣き出してしまった。
瞬間的に、手順を間違えたと思った。
AくんがCさんにしたことは、彼が反省すべきことである。
それは間違いない。
しかし、そこに至るには、まずAくんへの共感をもっとじっくりするべきだったのだ。
共感していた「つもり」だったが、その見積もりが甘かった。
時系列で順を追って話していきながら、その時々の言動を一つずつ確認していくというプロセス自体がずれていたのだ。
しかし、やってしまったものは仕方がない。
Aくんの感情の爆発が収まるのを、横でじっと見守る。
人間、感情が爆発してもそう長くは続かない。というか、続けられない。
しばらくすると、また少しクールダウンしてきたので、タイミングを見て、さっきより慎重に話しかけた。
「落ち着いてきた?じゃあさ、先にAくんは何が嫌やったんか、全部話してくれる?ずっと聞いとくから。先に言いたいこと全部吐き出してごらん。」
そう言うと、Aくんは少ししてから話してくれた。
やはり嫌なのはBくんに言われた一言だったらしい。
うんうんとうなずきながら聴いていると、ようやくAくんも落ち着いてきた。
そうすると、こちらが言わずとも、自分が良くなかったことも自分で言語化して、伝えてくれた。
ようやく、大丈夫そうだというめどが立った。
Aくんが一通り話終わってから、「どうしたい?」と聞くと、「Cさんに謝って、Bくんと話したい。」とのことだった。
まず、Cさんを呼んでAくんの話を聞いてもらった。
Cさんは、さばさばした様子で、「え、そんなんもう全然気にしてないからいいよ。」と言ってくれた。
大人だ。
そして、Bくんを呼んでお互いに話したいことを話し合った。
Bくんは、Aくんがめそめそしているのがまた癇に障るようで、序盤こそイライラしていたが、時間をかけて話すことで、徐々に落ち着いていった。
そして、成長したなと思ったのは、二人とも、私がいちいち話の進行をして、間を取り持たないでも、ほぼ自分達だけで、建設的な話し合いをしていたことだ。
特に、Bくんに関して言えば、後半は、Aくんが見ている景色を見ようと努力しつつ、話を聞き、相手の立場に立って言葉を選び、話していた。
Aくんには、Aくんが見ている現実がある。
Bくんには、Bくんが見ている現実がある。
どちらも良い悪いではなく、そこに確かに存在する。
教師は、そのどちらをもきちんと見なければいけない。
自分の尺度で勝手な解釈をしてはいけない。
そして、両者の現実が、互いに見え始めると、相互理解が始まる。
そのプロセスをていねいにていねいに紡いでいくだけなんだろうな。
そんなことを、AくんとBくんの話し合いから学んだ。
子どもってすごい。
こうして、時に大人よりもしっかりと対話だってできる。
いいところは、いつもそこに転がっている。
それを掬い取って、共有するサポートができればいいのかな。
「教える」が前提の指導だときっと入らないんだろうな。
時間はかかったけれど、このやりとりから学べたことは自分にとってもすごく大きかったと思う。
AくんとBくんに感謝しなければ。