小学校教員にょんの日々ログ

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対話を通して学ぶ。 259

昨日は「学習する学級」講座第2期の1回目だった。

「学習」=「インプット」ではない。

これを第1期の時に学んだ。

学ぶことに終わりはない。

1期で学んだことも、それ自体をそこで「閉じてしまう」と学びは止まってしまう。

だから、実践し続けることを止めないために継続参加を決めた。

1人で学ぶことは大切だが、それだけでは厳しい。

人は低い方に簡単に流されてしまうから。

だから、コミュニティの力を生かす。

コミュニティの心地よい強制力で自分の学びをブーストさせる。

 

さて、昨日の第一回講座に戻る。

講師の福ちゃんからのインプットの部分は、第1期の時に聞いたことと大きくは変わらない。

でも、大きな気づきがあった。

それは、「対話の中で新しい気づきが生まれた」という実感だった。

昨日の講座で言うと、まず、インプットの部分で自分の心が動いたところがあった。

「変化はあらゆる場所で起こる、つまり、あらゆる場所にリーダーがいる」というもの。

この言葉に強い希望を感じたのは、「2学期に向けて、クラスや学校をより良くしていくためにはどうしていけばいいのか」、そこを考えている自分の内面と共振したからだろう。

自分の中で勇気が湧いてくるのを感じた。

と同時に、一つ疑問も浮かんできた。

「じゃあ、あらゆる場所にリーダーがいる状態には、どうやってなるのだろう?」

という問いだ。

そもそも、最初からあらゆる場所に「リーダー(一歩踏み出す人)」がいるのであれば、どんな組織もより良くなり続けているはずである。

でも、そうではない現実が目の前に横たわっている。

本講座終了後の放課後のシェアタイムに、グループになったメンバーの方たちに聞いてみた。

 ・子どもたちに「リーダーとは?」を共有する

 ・一人じゃリーダーになれない、コミュニティが必要

 ・一歩踏み出す=境界線を越える、境界線は人それぞれ、それぞれが越え続ける

 ・自分自身がリーダーであり続ける(泥臭い1対1をくり返していく)

 

メンバーの方たちの話を聞いていて、「なるほどな」と腑に落ちる感覚になった。

そして、自分の中にあった問いの前提自体も揺らいだ。

「リーダーとはこんなものだ」という理解が自分の中にあったと思っていたが、そのイメージが少し更新された。

ぼくは、どこかでリーダーは「なる」「もの」だと思っていた。

けれど、その理解でいる限り「なる」と「なれない」の分断が起こる。

なぜなら、「なる」という言葉自体に、すごくハードルの高さを感じてしまうからだ。(自分だけかもしれないけれど)

でも、リーダーが「状態」だとしたら?

「なる」じゃなくて「ある」だったら?

そう考えると、確かに、あらゆるところにリーダーが存在しているんじゃないか。

何かしらの境界線を越えて踏み出した人は、そのとき、リーダーで「ある」わけだから。

そして、リーダーで「ある」状態を実践し続ける人が、真の意味で「リーダー」になる。

そういうリーダーがあらゆるところで、自分にできることをやり続けた結果として、組織は変化をしていく。

リーダーで「ある」ことを続けていくことで、本当の意味でリーダーに「なる」。

なら、まず「ある」状態を一つでも多く作るということ。

そして、その「ある」に自覚的になること。

「ある」に対するフィードバックをしっかりとしていくこと。

そのためには、「学習」が必要になる。

だから、自分自身がまず学び続けなければいけない。

学級でも、子どもたちがそれぞれの境界線を越えて、一歩踏み出したことを最大限承認する文化をまず、自分が作っていこうと思った。

 

そして、今回の講座での対話を通して、これまで断片的に理解していた知識がつながっていくのも感じた。

特に、本講座とは別で受講している「組織開発ゼミ」での学びがここにきてすごくつながってくるのを感じている。

「学習する学校」と「学習する組織」、どちらの課題図書もピーター=センゲのもの。

当然といえば当然なのかもしれないが、自分の実感として、知識がつながって理解が深まる体験をできているのは、すごく大きい。

対話を通して、そうした気づきが得られているところなんかは、「これって、まさに社会構成主義の考え方で学習が進んでるんじゃないの?」って思ったり。

 

でも、同時に「頭でっかちにはなるな」と警告を発しているもう一人の自分もいる。

頭で理解した気になっても、何も変わらない。

実践をし続けることでしか、変わってはいけない。

だから、「実践を続ける(=一歩踏み出し続ける)」→「内省的な会話(リフレクション)」→「実践を続ける」のサイクルを回し続けることが大切だ。

その中で、システム思考を生かして、自分が所属する集団や、その集団が所属するもっと大きなシステムとの相互依存性を見極め、リフレクション自体のリフレクションも行っていく。

「〇〇をすればいい」なんて、すぐに飛びついて即効性のあることなんてない。

あってもきっと高が知れている。

でも、「できない」を「できる」にするために踏み出す一歩は、常に「学習」であって、そこには自覚的でありたいなと思う。

 

色々書いてきて、まだまだうまく言語化できないことだらけだ。

でも、「それでいい」と少しプラスに受け止められている自分もいる。

だって、「やってみて、失敗をして、またやってみる」が「学習」に必要なことだと理解しているから。

自分のペースで、少しずつやっていこう。

この夏の学びを2学期への糧に変えて。