チェックイン。257
ここ一年ほど、オンラインセミナーや学習会に参加することが日常的になっている。
様々な場があるし、学ぶことはたくさんある。
その中で、オンラインの場に参加するようになって、初めて意識的に経験するようになったことがある。
「チェックイン」である。
その場に参加するにあたって、見通しを持ったり、緊張をほぐしたり、参加者同士の理解を促したり、心の準備をする時間だ。
オンラインだと、その場で「はじめまして」の関係が当たり前だったりするから、より重要になってくるのかもしれない。
そういう場に参加するたびに、「チェックイン」の重要性を感じるようになった。
そして、それは、もちろんオンラインだけじゃないよなと最近ふと思うことが多くなった。
学校でもそれって同じだよなあと。
授業での単元やその時間の導入なんかも「チェックイン」と言えるかもしれない。
でも、案外職員同士の場では、「チェックイン」って見かけない。
なぜだろう。
1つには、「とにかく時間が惜しい」という意識が働いているんだと思う。
そんなことしてる暇があったら、少しでも早く本題に入ってさっさと終わらせよう。
そんな風に思っている人が多い、自分も含めて。
そう思ってしまうのも仕方ないぐらい忙しいというのは否めない。
でも、逆説的にそうしていきなり本題に入ってしまうことが、その場に及ぼす影響って実は小さくないんじゃないかなあというのが、今のぼくの考えだ。
何より日々バタバタと動き回って6時間授業を終えた先生たちに心の余裕はない。
その状態で、そのまま十分な休憩もとらないまま、会議に突入するのである。
それって、固定的マインドセットな状態の先生が多いんじゃないのか?
と思う。
そのまま、意見の食い違いなどが起ころうものなら、内面のネガティブな部分が大きくなることだろうことは想像に難くない。
思考は言葉に影響を与える。
言葉は行動に影響を与える。
その言葉や行動は、周りにも大なり小なり、意識的であれ、無意識的であれ、影響を与える。
その結果として、会議がうまく進まなかったりする。
コーチングを学んでいて、毎回、「GOOD&NEW」というプチワークから講座が始まる。
24時間以内にあったプチハッピーを順番にグループで発表していって、拍手をする。
ただ、それだけ。
でも、本当に場の雰囲気がやわらかくなる。
そして、そのプチハッピーの中には、明確に言語化されていなくても、その人の大事にしている価値観が隠れていたりする。
それを共有することがとても組織にとって大事なんじゃないかなあと思う。
そうやって感じられた他者の価値観は、自分の価値観を写す鏡にもなる。
だから、自分の価値観を見つめるいい機会にもなる。
1学期に様々な会議で、うまく折衷案が決まらないことが何度もあった。
その原因を自分なりに分析してみて気づいたのは、それぞれが自分の大事にする価値観をもとに、違うレイヤーで意見を投げるだけになっているのではないかということ。
投げられた意見はその場で受け止められないまま、また別のレイヤーから意見が投げられる。
その繰り返し。
そして、そのことに気づかずに、その渦中で「どうすればいいのか、うーん…」と身動きが取れなくなっている。
「あゆみ」「宿題」「休校中の課題」「運動会」などなど、個々のトピックについての話し合いで、度々同じようなかみ合わなさが起こるのだが、根っこは同じなんじゃないかという感覚がある。
互いの大事にしている価値観を理解し、受け止めた上で、議論に臨むという事ができていないからじゃないか。
でも、ここで話は序盤に戻る。
「でも、そんな時間どこにあるんだ。」と。
そんなわけで、互いのことを理解できないまま、会議だけはどんどん組まれる。
そこで起こるかみ合わなさが新たな推論のはしごをかけあがる現象を引き起こし、それが繰り返され、強化され、メンタルモデルになる。
そのメンタルモデルの歪みに気づかないまま、また次の会議に臨む。
さらに、推論のはしごを駆け上がる可能性が生じ、メンタルモデルはさらに強化される。
そんなことが起こっているのではないか。
互いの価値観の理解と時間のなさの両方を解決するアイデアとして、「チェックイン」が効果的なのではないかという仮説を持っている。
一度ですぐに相互理解ができるわけではない。
でも、くり返すことで積み重なっていく理解は確かにあるのではないか。
単純接触効果のように、まず、コミュニケーションの「量」を無理なく増やしていく手段としてもいいのではと感じている。
「みんなで職員会議10分短くして、その10分で、ちょっとプチワークみたいなのしませんか?」
それぐらいなら、受け入れられやすいのではないだろうか。
2学期からそういうことを試してみたいというワクワクが自分の中に芽生えてきている。
とりあえず、賛同してくれそうな先生に話をして、巻き込んでいけたらいいなあと思う。
小さく始めて、波紋が広がっていくイメージで。
10分が無理なら、5分で。
そういう文化を少しずつ、みんながつくり手として、つくっていけたらいいなと思う。