小学校教員にょんの日々ログ

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39冊目「じぶんで考えじぶんで話せるこどもを育てる哲学レッスン」 241

本年度39冊目の読了本はこちら。

 

 

以前に、苫野先生の「ほんとうの道徳」を読んでからずっと「哲学対話」なるものが気になっていた。

自分の道徳の授業がゴリッゴリのワーク記入して発表して…みたいなワクワクしないものだったこともあり、頭の片隅で、道徳の教材や話に出くわすたびに、この「哲学対話」というワードが頭の中をふわふわと漂っていた。

 

とはいえ、「哲学対話」は数あるうちの一つのHOW TOだから、大事なのは、なぜこの哲学対話に惹かれるのか、というところ。

表紙を見ると分かる通り、子どもたちが円形になって座り、テーマについて対話をしていく。

この場では、教師と子どもという線引きはほとんどない。

ともに、その場でテーマについて探究する仲間とでも言おうか。

そこに、自分の苦手とする「道徳っぽさ」のような作りものっぽさ(ぼくの勝手な先入観だけれど)がないように感じたのだ。

道徳=正しいことを教えなければいけない、みたいな。

いやいや、待てよ。

でも、そもそも「正しさ」って何?

だれが決めるの?

決めた人は正しいの?

決める人はだれが決めるの?

全てから等しく客観的に見える正しさなんてこの世に存在するのだろうか。

「正しさ」という基準で話すこと自体、分断を生んでるだけなんじゃないのか。

人の数だけ正しさってあるんじゃないのか。

同じ方向性の「正しいっぽい」ってことぐらいはあるかもしれないけれど、そのニュアンスは、本当に無数に差異があって、寸分も違わず同じ正しさなんて、きっとない。

人は、自分が見たいようにしか物事を見られないから。

だから、その前提に立ったとき、「うそはいけません」「人には優しくしましょう」「自然を大切にしましょう」とか、そういう言葉に、何だか嘘くささを感じてしまう。

自分で言ってて、しらけている自分がいるというか。

そもそも、それが絶対の「正解」なんだったら、話し合う必要なんてどこにもない。

世の中、そんなにきれいに割り切れる事ばかりじゃない。

だからこそ、それぞれの差異にていねいに目を凝らして受け止め、一緒に考えていくことが必要なんだと思う。

答えじゃなくて、その考えていくプロセスそのものが大切というか。

そうすると、そのプロセスを踏んでいくときに、それがだれか、例えば、教師に敷かれたレールだったら、子どもたちは進んでいくだろうか。

いや、きっと何も疑わずに進んでいく子たちもいるんだろうけれど、それはそれで、その疑いのなさに危機感を抱く。

目の前にレールはまだなくて、でも自分達で列車を動かして、レールを敷きながら、ときに脱線もしつつ、未踏の地へ踏み出していくことの方が、圧倒的にワクワクするはず。

これまでの自分の授業は、ガッチガチにレールを敷いて、その上をお客さん感覚で子どもたちを走らせていたようなものだ。

で、「どうですか、お客さん?この景色は素晴らしいでしょう!?」と。

空気を読んでお客さんは答える。「ええ。その通り。素晴らしいですね。」

お客さんになった時点で、子どもたちは思考停止状態だ。

子どもが悪いんじゃない。

そういう状態にさせるような枠組みで授業を進めてしまっている自分の責任だ。

哲学対話では、レールがない。

レールは、みんなで対話しながら敷かれていく。

電車を進める燃料は、問いだ。

それも、子どもたち自身が立てて、考えたいと思った問い。

そう、出発点は子どもたち。

どの教科でもまだまだ「問い」をこちらが持っていて、それを下ろしてしまうことが多いけれど、一気には無理でも、やっぱり最終的には、子どもたちにオーナーシップを手渡すことを見据えて、少しずつでも、「問い」も子どもたちに渡していきたい。

そうすると、教師は一気に不安になると思う。

ぼく自身、手渡したところをイメージすると、不安が付きまとう。

「どんな対話になるんだろう?」

「そもそも対話は成立するのか?」

「変な方向にいったら、どうしよう。」

でも、きっとそれらすべての不安は、教師自身が安心したいだけのものなんだろうな。

不安との葛藤を乗り越えて、信じて、認めて、任せるを段階的にでも続けていった先に、見える景色を見てみたい。

 

問いを子どもたちが立てる場面は、発散思考から収束思考へ展開していくあたり、「問いづくり」の手法ととても近いものを感じたので、イメージが結構湧いたのは収穫。

始めた当初、うまく対話が進むように、その場を教師がファシリテートする必要がありそうだが、それもいい修行だと思って、やってみよう。

問いづくりで1時間、その問いについての対話で1時間と、2時間構成になっているから、そのあたり、内容項目と授業時数はうまく調整していかなければいけないなあとは感じるが、チャレンジしてみる価値はあるなあと思えた、そんな一冊だった。

 

まずは、1学期にどこかで一回まるっと2時間やってみよう。

そして、目の前の子どもたちをよく見て、一緒に修正していく。

それだけそれだけ。

ただただ、ていねいにそれをくり返していく。

明日からの楽しみがまた一つ増えた。