「いない寂しさ」・「いるうれしさ」 234
休校措置に入ってから早2週間が経とうとしている。
本来なら、子どもたちがやってきて日々共に過ごしていたはずの時間が、ぽっかりなくなったことで、生み出された時間。
そのおかげで、事務作業はべらぼうに進んだ。
というか終わった。
そこに関するゆとりは本当にありがたい。
だれかがつぶやいていたが、この作業量を、3月末までフルで授業をした上、こなしてたなんて、昨年までの自分が自分で信じられない思いだ。
でも、それに反して心は軽くない。
もちろん、コロナウイルスによる外出自粛や健康管理に以前よりナーバスになっていることもあるが、何よりも子どもたちがいない学校で仕事をすることが自分に大きく影響を与えている。
こんな風に、現状をネガティブな方にとらえてしまいがちなのも、一連のコロナ騒動で自分自身が参っているのかもしれない。
そんな中、昨日、数人のクラスの子に会うことができた。
休校前に約束していた短編集の清書をやりきって持ってきた子たちだ。
1人ずつぽつぽつと時間はバラバラで来るが、みんな笑顔で久しぶりに会ったが元気そうで何よりだった。
そこで、少し近況を話して家に帰ってもらった。
あまり長時間話すわけにもいかない。
それでも、自分の心が確実に元気に、上向きになるのを感じることができた。
昨日はめちゃくちゃ天気が良くて、もうすっかり春。
職員室から外を見ると、学童の子たちが元気に走り回っている。
見てると、うずうずしてきて、次の瞬間には、グランドに出ていた。
クラスの子も3人学童に来ていたので、その子たちが遊んでいるところへ向かった。
お互いを認識すると、どっちもニタァ~って笑い合って、あいさつ。
その顔見合わせた時の感じ、なんだか幸せがあふれてた。
昨日のハイライトは、まちがいなくあの瞬間やったと思えるくらい鮮烈な瞬間だった。
あいさつの後、子どもたちとちょっとボール遊びをして、職員室に戻った。
すると、偶然なのか、また短編集の清書を持ってきた子がいて、その子は、清書を提出した後、グランドで遊んでた子たちに交じって遊び始めた。
きっと久しぶりの友だちの姿にいてもたってもいられなかったんだろう。
その気持ち、痛いほどわかる。
ついさっき自分がそうだったから。
その後、ぼくは職員室での仕事に戻ったのだが、しばらくしたとき、窓のブラインドの隙間から、子どもたちが職員室の中をのぞいて、ぼくを探していた。
窓を開けて「どうしたん?」と尋ねると、窓にでかいカメムシがついていて、それを知らせたかったらしい。
いやあ、報告内容が最高。
職員室で大人だけで日々過ごしてて、「窓の外に大きいカメムシがいます!」なんてワード絶対出てこんもんね。
その辺にあった棒きれみたいなもので、カメムシをピンッてはじいて外に飛ばしたら、「うわー!」「やめてや!」「キャーッ」と大騒ぎ。
そのにぎやかさがなんともうれしくてうれしくて。
休校措置で、「子どもたちがいない寂しさ」がクローズアップされがちだし、自分自身もそうなりがちだったけど、いやいや。
「子どもたちがいてる学校最高やな。」って心の底から思えた。
大切なこと身をもって確認できた。
そういうこと。
ネガティブに考えるより、ポジティブに考えよう。
何より昨日の子どもたちは、コロナ騒動なんて全く関係ないってぐらい素敵な笑顔だった。
できることをやり切って、次に子どもたちに会ったときに、そのパワーに負けないぐらい前向きでワクワクしてる自分でいたいなあと思った。
そんなことに気づかせてくれた子どもたちに感謝しまくった一日だった。