小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

情報ギャップ 232

昨日の昼食での会話。

A先生

「漢字の『番』って、訓読みでなんて読むんでしたっけ?」

ぼく

「『つがい』じゃなかたですっけ?『ちょうつがい』とかの。」

A先生

「あ、そっか!『つがい』って夫婦って意味ですよね?」

ぼく

「うん…多分。」

 

ぼくは、この時点で、「番」の持つ「つがい」という読みの意味に好奇心を抱いた。

A先生との会話の中で、「つがい」の意味をはっきりと説明しきれない自分に出会い、それが引き金となったのだ。

次の瞬間には、スマホの辞書で「つがい」の意味を調べていた。

なんとなく心の中に生じた好奇心もモヤモヤが少しずつ大きくなり、いてもたってもいられなくなったからだ。

 

会話は、「番」の字から続いていく。

 

B先生

「『番茶』の『ばん』って、その『ばん』でしたっけ?」

A先生

「そうそう。そういえば、番茶ってどういう意味?」

B先生

「え、そう言われてみれば。緑茶ってことじゃないんですか?」

A先生

「そうなん?知らんかった。」

B先生

「いや、私もはっきりとわかってるわけではないんですけど。」

 

ぼくは、この時点で「番茶」の意味に好奇心を抱いた。

次の瞬間には、スマホの辞書を立ち上げて、「番茶」について調べていた。

A先生とB先生の会話を聞く中で、自分自身の「番茶」についての理解も曖昧であることを認識したことが引き金となっていた。

「知らない」が「知りたい」を誘発し、「調べる」という行動に結びついたのだ。

 

この後、会話はなぜその流れになったかは別として、ヤマザキなんかが発売している蒸しパン「マーラーカオ」の話になった。(みなさん、知ってますか?)

f:id:yamanyo:20200311055805p:plain

他の先生たちが「マーラーカオ」を知らなくて、ぼく一人だけ、その事態が信じられなくて、ものすごくびっくりした。

それはさておき、ぼくに関して言えば、「マーラーカオ」は、小さい頃から我が家ではおなじみのパンであり、当然よく知っている。

なので、「マーラーカオ」に関して、特にこの時点で好奇心はなかった。

でも、自分は知っているのに、周りの先生は知らないという状況が、その場に対話を生むきっかけになっていた。

他の先生たちから質問が飛ぶ。

マーラーカオって何ですか?蒸しパン?他の蒸しパンとどこが違うんですか?」

「普通の蒸しパンと材料違うんですか?」

「なんでマーラーカオっていう名前なんですか?」

で、そんな先生たちよりはるかにマーラーカオとの付き合いが長いはずのぼく。

が、その質問に答えられない。

今までそんなこと考えたこともなかったから。

対話の中で、マーラーカオについて自分が実はあまり知っていなかったという認識を得た。

「知らない」→「知りたい」→「調べる」

で、調べたことをもとに、対話を重ねる。

そんなことが昼ご飯のときに、およそ1時間ほど繰り広げられた。(ヒマか。)

 

で、何が言いたいかと言うと、好奇心って情報ギャップからスタートすることが多いなあってこと。

なんでこんなことに気づいたかというと、今読んでる本の中に、「情報ギャップが好奇心を生む」って部分があって、なんかそこが引っかかったから。

 

で、そこから、自分の授業を考えてみた。

「子どもたちが主体的に学ぶ」ってことは、もう耳にタコができるほど聞いた言葉。

先生たちとの対話の中でも、「どうすれば子どもたちが主体的に学ぶ授業ができるんだろう?」ということはよく話題に上がる。

でも、だ。

そもそも思考で考えてみた時。

ぼくを含めて、「子どもの主体性」を出発点に考えようとしすぎていないか?と思った。

その主体性のもとになる好奇心はどうすれば生まれるのか。

本来的に持っている部分はもちろんあるんだろうけれど、それを刺激したり、膨らませたりする「情報ギャップ」への意識が自分自身薄かったなあと思う。

「興味関心」という言葉でくくってしまって、思考停止になっていた部分があった。

そうじゃなくて、「興味関心がなぜ生まれるのか」というプロセス部分にもっと目を向けて、そこを紐解いていくことで、もっと授業に生かせる部分があるんじゃないか。

ここから考えると、子どもたちの興味関心を出発点に…の前に、そもそもその「興味関心」を生み出すために、いかに、子どもたちの情報ギャップを生み出すか、それも難しすぎず、簡単すぎず。

子どもたちにとってちょうどいい「知らない」をいかにデザインし、「知りたい」につなげるか。

自分には、欠けていた視点だなあと昨日の対話と、読書の一部からそんなことを思った。

だから、日々、目の前の子どもたちを見取ることがここでも生きていくのだ。

だからふり返ることは何重にも意味を成してくるのだ。

 

こうやって、ふり返りから離れてみることで、気付けることも案外あるのかもしれない。

新しいことを始めるには、まず「終わらせる」ことが大事。

それも今読んでいる本の中に書いてあった。

また、読み終えたら、読書記録をつけよう。