小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

何もない。 230

今、今日一日でやることの全て終えて、あとは寝るだけの状況でパソコンを開いている。

何について書こうか、全く思い浮かんでいない。

いつからだろう。

前は、あんなに書くことがあふれていたのに。

最近は、いつの間にか、優先順位がどんどん下がっていって、

今じゃあ、最下位だ。

でも、このブログを書くことで、気付けたことや残せた気持ち、救われた気持ち、忘れたくないことが確かにあって、

それらが頭の中の記憶の泉の底に沈んでしまう前に、

書き残せたことは自分にとって価値のあることだった。

だった?

過去形?

でも、こうして、何も書くことがないのに、思い浮かんだことを、

まさに徒然なるままに書いている。

先日久々の更新をしたばかりだが、

その一つ前はと言うと、1月13日。

その頃、自分に起きた変化と言えば、日々のふり返りを始めたことか。

毎日毎日、1時間目から6時間目までのことを、

放課後、パソコンで打ってふり返った。

ふり返ることで、気づけることがいろいろあった。

今まで立ち止まらずに流れていってしまっていたことの中に、

大切なことを見つけていくような作業だった。

日々の膨大な出来事の記憶の中から、ていねいに自分の言動や気持ち、

子どもたちの言動やその裏にあったであろう気持ちや願いなんかを

掬い取ろうと夢中になった。

その頃か。

このブログの更新が滞り始めたのは。

ふり返りというアウトプットに力を注いだ結果、

ブログでさらにアウトプットするという余力が残っていなかったのか。

じゃあ、今書くことが思い浮かばないのに、

なぜまたブログの記事を書く画面を開いて、そこに向き合っているのだろう。

なんとなく、書きながらわかってきているのかもしれない。

そんな感覚がある。

なぜ、またブログに向き合っているのか。

2月28日を一旦の区切りとして、勤務校も休校措置に入った。

先週から子どもたちは学校にいない。

けれど、ふり返りは毎日変わらずに書き続けている。

子どもたちがいないから、自分の日々の仕事内容や、

その時どんなことを考えていたのかなどを書いている。

けれど、正直、子どもたちが来ない日々のふり返りには、

気持ちが入らない。

ふり返りを始めた目的が「子どもたちとの日々をふり返ることで、子どもたちと向き合う自分を改善していき、子どもたちの姿をより良く見つめようとする中で、それを指導に生かす」ことだった。

だから、子どもがいない今の日々のふり返りが、

宙ぶらりんになっているのかもしれない。

宙ぶらりんになっているふり返りでは、アウトプットをしたという実感が得られにくい。

その結果、アウトプットをしようという自分の中の衝動が、

うまく消化できずに、どこかで「何とかうまくアウトプットしたい」という欲求が大きくなっていく。

その衝動の帰結として、今パソコンに向かい合って、

書くことも決めずにひたすらに瞬発的に思いついたことを書いているんじゃないのだろうか。

書いていて、そんな気がしてきた。

そんな気がしてきたなら、どうする?

やってみればいい。

子どもたちが来ない日々のふり返りをただただ作業的にこなすだけなら、

いっそ思い切って、子どもたちが来ないしばらくの日々は、

思いっきり自分に振り切って、ブログ更新に力を注ごう。

うん、それがいい!

そして、子どもたちとの日々が戻ってきたら、

またその日々を書き綴っていこう。

それまで、しばらくは充電期間だ。

なんならこの期間に、自分をアップデートさせていこう。

積極的に、失敗を恐れずに!

「書く」と決めてしまえば、書くネタを意識して日々を生活していくことは、

自分の癖として、自分が一番よくわかっている。

学級通信なんて、その最たるものだ。

 

というわけで、たった今決めた。

今日から、ブログしばらく毎日更新しよう!

どんなことでも構わない。

この子どもたちがいない日々を自分がどんなことに心を動かされて、

何を感じて生きていくのかを記録しておこう。

自分の手で。