33冊目「たった一つを変えるだけ」 205
かなり前に読了した今年度33冊目はこちら。
とてもシンプルなタイトルに惹きつけられて、購入を決めた本。
タイトルを見てまず思ったのが、「いったい何を変えるのか?」ということだ。
家に帰って読んでいくと、変えることが本当にシンプルで、かつ、本質的であることがわかった。
教師が「問う」のではない。
子どもたちこそが「問う」のだ。
言ってしまえば、それだけ。
非常にシンプルな主張である。
しかし、このシンプルな主張は、現在の日本の教育への強烈なパンチに感じられた。
もっと早くこの本に出会いたかった。
私たちが子どもの頃に受けてきた授業と言えば、教師が発問をし、それに対して子どもたちが答えるというスタイルだった。
おそらく少しの例外を除き、ほぼ全ての学校、学級でそういう授業が行われてきたのではないだろうか。
そして、驚くことに、現在でもそういう授業がまだまだ多数を占めているのが日本の教育であると言って過言ではない。
数十年前であれば、まだそういう一斉講義型と言われる授業にも効果があっただろう。
でも、これからのVUCA化が進む時代には、一斉講義型の様にただ口を開けて、知識を与えられるのを、考えるべき問いを与えられるのを待っていては、時代の変化についていけない。
誰でも「正解」を出せる時代になったことで、「正解」そのものの価値が相対的に低下している。
そう、「問題解決」は飽和状態なのだ。
正解が当たり前になったことで、今度は相対的に「問題」が希少化してきた。
「問題」をいかに設定するか、いかに生み出すかにこそ価値がある時代がやってきている。
そんな中で、「課題解決力」よりも(不要と言うわけではないが)「課題設定力」が重要になってきた。
つまり「問う力」である。
ここで、本書の内容に戻る。
教師が一方的に子どもに「問う」ことで展開する授業では、子どもたちの「課題設定力」は育たない。
だから、変えるのだ。
子どもたちが自ら「問う」のだ。
課題を設定して、そこから解決に向けて取り組んでいくのだ。
そのための「質問づくり」のノウハウが本書にはふんだんに書かれている。
ていねいに、細かい注意点まで、具体的に、すぐに実践ができるようにかかれていて、とても参考になった。
実際に、受け持つクラスで、社会の2単元を、この「質問づくり」のアプローチで進めた。
子どもたちは、とても主体的に、意慾的に、学習に取り組んでいた。
なぜなら、考えるべき「問い」が自分たちの中から出てきたものだからだ。
誰かに「考えなさい」と強制された問いではないからだ。
授業に取り組む必然性が生まれたのだ。
問いには「閉じた問い」と「開いた問い」があること、
「問い」は、まず拡散思考で、量を出し、その後収束思考で、質へと転換していくこと、
問いづくりのルールについて話し合い、その意義や難しさについてメタ認知すること、
問いを使って何をするのかを明確にすること、
など様々なポイントが各章ごとにくわしく、かつ、わかりやすくまとめられていた。
それらを参考に、クラスの児童の実態に合わせて作り変え、実践した。
まだまだ、収束思考の部分の質が十分高まっていなかったり、質問づくりに対するリフレクションでプロセスへの気付きが十分でなかったり、児童が十分に目標に到達可能な「問い」を生むために、教師が提示する「問いの焦点」ももっと磨いていかなければいけない、など課題は挙げればきりがないが、それでも、それ以上に希望を感じている自分がいる。
今後も本書を読み返しながら、実践を磨いていきたいと思う。
でも気を付けたいのは、この「質問づくり」もあくまで数あるアプローチ方法の中の一つであるということ。
やり方に固執して、在り方がぶれるようなことになっては、本末転倒になる。
いつも真ん中には「在り方」を。
その「在り方」を磨き続け、その中で、育てたい子どもたちの姿からの逆算して、アプローチ方法を多様に選択できる力を。