小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

「選ぶ」ということ。 202

今年の夏は、私にとって、これから先もきっと「あの夏は転機だったな」と思い返すことになると思う。

自分自身の教育観のアップデートを迫られた夏だからだ。

この仕事が大好きだ。

だから、進んで仕事に取り組んできたし、楽しんでやってきた。

これからもずっとこの仕事を続けていきたい。

今もその考えは変わらない。

でも、その変わらない思いを実現するためには、今のままじゃダメなんだ。

そんなきっかけを得ることになった今年の夏。

あれから2か月が過ぎようとしている。

見える景色は、まだそんなに変わらない。

でも、今までは目にも気にも留めなかった小さなことにも意識が向かうようになってきた。

ずっと正面からばかり見ていた物事を、様々な角度から見ようとする意識を持てるようになってきた。

でも、それだけだ。

ただ、それだけだ。

自分から取りに行こうと意識し始めた途端、今までを遥かに超える情報が手元に入ってくるようになった。

新たに知り合い、刺激をもらえる人たちにも出会った。

でも、それだけだ。

ただ、それだけだ。

私は、何者でもないし、私のままだ。

それは、これからも変わらない。

私は、私でしかない。

それは、絶望で、希望だ。

 

全国には、すごい実践をしている先生たちがたくさんいる。

子どもたちの力を伸ばしている先生たちが、いや、先生たちだけじゃない。

先生でなくても、今の教育を良くしようと様々なところで動いている人たちがいる。

でも、その人たちの誰にも、私はなれない。

自分には何ができるのか。

そんな止まっているような歩みでいいのか。

そう絶望しそうな自分がいる。

 

一方で、自分だからできることがあるはず。

歩むことはスピードではなくて、歩みを止めないことが大切だ。

そう希望を信じたい自分もいる。

 

絶望と希望のシーソーゲーム。

私は、教師としてどう在るべきなのか。

 

自分のコンフォートゾーンを飛び出して知った世界は、広く深かった。

まだ入り口に立っただけ。

それでも情報はたくさん入ってくる。

インプットは、アウトプットをしなければその価値が半減する。

互いが相反するような情報にもたくさん出会う。

そんな時、欲張りに全てを手にすることはできない。

手にしようとしても、どれも中途半端になって、結果全てを投げだすことにもなりかねない。

だから「選ぶ」。

選んで進む。

仕事だけじゃない。

人生は「選ぶ」の連続だ。

「今」は、自分が「選んできた」ことの積み重ねの結果だ。

でも「選ぶ」ことを思うとき、「捨てる」ことも思う。

「選ぶ」ということは、「捨てる」ということだ。

「選ぶ」ことで、「選ばなかった」方を「捨てる」ことになる。

けれど、「選ばなかった」「捨てた」方の手に入らない未来を思うとき、身動きが取れなくなってしまう。

なんて欲張りなんだ、と自分が嫌になる。

でも、そんな私も、私なんだ。

もっと、軽やかに、しなやかに、生きていけたらなと思う。

そんな境地に達する瞬間が、自分の人生のこの先に待っているのだろうか。

とてもそうは思えない。

そんな今の自分。

んー、煩悩多いなあ。

人間の煩悩は108つだとはよく言うが、「もっとあるやろ、絶対!」と自分にツッコみたくなってしまう。

でも、それでも、何があっても、私は私でやっていくしかないんだというゆるがない事実。

その事実に対する覚悟がまだ備わっていない感じ。

36にもなって情けない。

んー、この暗闇を突き抜けたい。

何を選ぶか。

何を捨てるか。

どんな自分で勝負をするか。

自問自答は続く。