30冊目「読みたいことを、書けばいい。」 185
今年度30冊目の読了本はこちら。
シンプルにシンプルに、極限まで無駄を削ったような表紙が何とも気になる。
タイトルにあるように、「言いたいことはそれだけだ。」と宣言しているような潔さが漂っている。
著者の田中泰延さんは、元電通のコピーライター、勤続24年。
が、ある日、電通を退社する。
どうも、電通在職中に、ひょんなことから知り合いに頼まれて書いた映画評論が累計200万PBVをこえるほど多くの人に読まれたことがそもそものきっかけらしい。
ここで、急に「ひょんな」と言う言葉の語源が気になっているのだが、「とにかく一次資料にあたれ」と言う著者の言葉を思い出し、「ひょんな」の語源については飲み込もうと思う。
この本を購入して、早速ページを開くと、1ページ目から度肝を抜かれた。
「あなたはゴリラですか」
思わず、「いいえ、違います」と心の中で、反射的に答えそうになっていた。
「読みたいことを、書けばいい。」というシンプルなタイトルに惹きつけられて読んでみたら、「あなたはゴリラですか」って、えげつない組み合わせである。
その後も、読み進めるたびに、心のツッコミはブレーキがかかるどころか、アクセル全開である。
いちいち、言葉のチョイスが面白くて、あまのじゃくで、なんだか核心に迫りそうになると、ふわっと読者をけむに巻いて、ふざけた雄。
違う。
ふざけ倒す。
本編のほとんどがエッセイであり、ビジネス書では断じてないと著者は言うが、なんだかたまにグサッと刺さる一言がある。
昔、くるりの岸田繁がアルバム制作について語ったインタビュー記事を読んだときのことを思い出した。
記事の中で、岸田繁は「アルバムの中で、いわゆる『ええ曲』ってのが、2曲ぐらいあったんで、あとはもう自由にやってええかな、と。アルバムの中で言うたら、あんまりそういう『ええ曲』ばっかりあってもしゃあないし。」的なことを言っていた。
多分。
あ、一次資料に当たってない。
やめとこ。
付録やコラムという体で、電通時代に得たノウハウだったり、書くために読むといい本の紹介なんかがされている。
付録やコラムの方が、字が小さくて、なんだか真面目。
本編で、ふざけ倒して、おまけで、真面目。
逆か。
そんな構成も「読みたいことを、書いただけ」なのだと思わせてしまうから、脱帽。
あまりに面白くて、買ってその日に全部読んでしまった。
小説以外で一気読みという経験があまりなかったので、読み終わった時の達成感には、新鮮なものがあった。
そして、なんだか無性に文章が書きたくなっている自分がいた。
「さて、何を書こうか」
クセのように、そう考えている自分がいた。
違う。
「読みたいことを、書けばいい」のだ。
ということで、この本を読んで、思ったこと・考えたことを徒然なるままに書いている。
真面目な部分で言うと、「一次資料に当たる」ということに対する徹底した姿勢には、学ぶこと大きかった。
「調べる」とは、「一次資料にあたる」ことを言う。
これ以上は、何も情報が出てこないという行き止まりまで調べることで、自分の好きに書いても、その調べ切ったという事実が説得力を持たせるのだろうし、何より好きに書いていくことに無駄な罪悪感を感じないで済む。
だから、私は、この文章を多少の罪悪感を持って書いている。
「ひょんな」の語源と「岸田繁のインタビュー記事」について、調べていないからだ。
でも、次こそは。
次っていつですか。
何を書けばいいかわからないというのは、そもそも「これについて書けばいい」というある種の答えのようなものを探していると言える。
しかし、そんな答えは存在しない。
そこには。、「読みたい」と「書きたい」があるだけ。
シンプル オブ シンプル。
万人にバズる文章なんてものは存在しない。
答えは、もともとあるのではなく、生み出す、または結果としてそれが答えであると認識されるのだと思う。
だからこそ、自分が読者として読みたいものを書くことが大切なのだ。
まず、そこでの自分の書いたものに対する説得力が大事なのだと思う。
というわけで、次回は、「保護者対応に特殊相対性理論を応用できないかどうか」について書こうと思う。