小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

対話型鑑賞第2弾 179

人生で2度目の対話型鑑賞をしてきた。

知り合いの先生に教えていただいて、すぐに申し込みの連絡をすると、「まだ大丈夫ですよ。」ということで、参加を即決した。

今回の会場は、江之子島文化芸術創造センター「enoco」。

このenocoが開催している「おしゃべり美術館」という企画だ。

会場に入ると、展示会場に案内された。

展示会場は、ちょうど教室一つ分ぐらいの広さだろうか。

その部屋のぐるり回りと中央の柱になっている壁に、様々な作品が展示されていた。

後で聞いたが、どれも大阪府の所蔵品だということだった。

時間になって、担当の学芸員さんの声掛けで参加者が集まり、対話型鑑賞はスタートした。

今回の参加者は、全部で10人程度。

年配の方から、ママさん、その子どもたち(小学校低学年~高学年)、大学生など、様々。

それに、京都造形芸術大学からアシスタントが二人来て、学芸員さんのお手伝いをしていた。

始まってすぐ、面白いなと思ったことがあった。

てっきり一回目の対話型鑑賞の経験から、すぐに参加者みんなで、一つの作品を鑑賞し始めるのかと思っていたが、そうではなく、「では、みなさん。今から自由に会場内の作品で気になるものを見つけて、お連れの方と鑑賞してみてください。時間は、5分くらいで。ここで大事なのは、とにかく作品について、お話してみてください。思ったことを声に出してください。ここ、大事です。声に出して、作品について何でもいいので、気付いたり考えたりしたことを伝えてください。みなさんのところに、少しずつ私たちも行って、お話しようと思いますので。」との指示。

なるほど、これって、ある種、鑑賞に対する緊張をほぐそうとするアイスブレイク的な立ち位置のものなのかなと思った。

もう一つは、純粋に、たくさんの作品に触れてほしいという学芸員としての思い。

言われるままに、見て回っていて、一つの作品になんだかひっかかりを感じて、一緒に行った奥さんとその作品について話した。

「これって、人じゃない?目がぎょろっとしてて、片手で自分のあごをつかんでる。」

「え、私は両手でほおづえついてるように見える。」

などなど。

もうすでに感じ方が違っている。

人によって、見方は千差万別であることを早速実感する。

その後も、話していると、後ろから学芸員さんがやってきた。

「お二人は、この作品が気になられたんですか?」

「はい。なんだか、描かれている人が気になって。」

「ほうほう。人っていうのは、すいません、どこを見てですか?」

「あ、ここです。あ、ここが目で。」

「ああ~、この円になってるところが両目ってことですか。」

「はいそうです。で、その下にも鼻のような穴が開いてるし、くちびるのようなものもあるので。」

「なるほどなるほど。これとこれも顔のパーツに見えたから人だと思われたんですね。なるほど。」

こんな感じで、学芸員さんとしゃべっていると、5分はあっという間に過ぎて行った。

なんなら、しゃべり足りない。

学芸員さんと話しているうちに、どんどん見えてくるものがあったから。

でも、一旦自由鑑賞は終わって、ここからは私が思っていたイメージ通りの「対話型鑑賞」がスタートした。

今回は、全部で3つの作品を鑑賞した。

どれもジャンルがバラバラ。

一つ目は、立体作品。

二つ目は、絵画(具体的に鑑賞して何が書かれてあるのかが一目でわかる)。

三つ目も、絵画(ただし、抽象画。パッと見ただけでは、何が描かれているのかわかりづらい)。

この、あえて一つのジャンルに偏らない作品のチョイスだったり、順番だったりも大事なんだろうなあと思う。

今回の対話型鑑賞の一つの目的は、「ファシリテーターの役割をくわしく観察する」だ。

もちろん、純粋に対話型鑑賞を楽しむこともあるが。

 

ファシリテーター学芸員さんは、一人一人の意見を本当によく聴いてくれる。

自分が意見を言って、当事者としてそう感じているからここに関してはほぼ間違いない。

とにかく、しっかり最後まで聴いてくれる。

どんな意見でもかまわないというメッセージを姿勢として見せてくれる。

だから、話せば話すほど、安心する。

安心するから、どんどん話したくなる。

前回と同じ感覚だった。

これは、子どもたちの自己肯定感を高めることにもつながるだろうなあと思った。

「存在の承認」という一番根っこの大事な承認。

これが、満たされるような感覚がある。

そして、「それはどこからそう思ったんですか?」と根拠となったのが作品のどこなのか聴いてくる。

そう、一人一人の意見を聴いたら、必ずすること。

「どこからそう感じたんですか?」の問い。

この問いで参加者は必ず作品に戻る。

そうだったそうだった、一回目の対話型鑑賞でもそうだった。

そして、参加者の発言を受けて、確認するように絶妙に言い換えている。

「なるほど、つまり、ここが○○のように見えたんですね。」

といった感じで。

このプロセスを共有することで、発言者は、聴いてもらえているという実感をより深めるのだと思う。

そうして鑑賞は、参加者の意見をつなぎながら、進んでいく。

そして、もう一つ。

必ず、指差しをして、今どこについて発言しているのかを参加者で共有していけるようにしていた。

これがいわゆる「焦点化」というもの。

これすごく大事だなあと思った。

というのも、聴いているだけで「ああ、あそこのことを言っているんだな」とすぐにわかる意見もあるのに対して、なかなか聴いているだけでは、作品のどこを見ての意見かがわからないこともあるからだ。

前回の対話型鑑賞では、全員大人だったので、そのあたりはかなりスムーズだった。

しかし、今回の対話型鑑賞は、子どもたちが4人ぐらい参加していた。

その中の一人の男の子がめちゃくちゃ積極的に意見を言う子だったのだが、その子の発言が聴いているだけでは、どこのことを言っているのかわからないことが何度かあった。

こういう状況におけるファシリテーターの焦点化は、その後の鑑賞を進める上でも、非常に需要である。

視点の共有がなされていないと対話が深まっていかないからだ。

子どもが参加者にいることで、焦点化の重要性を肌で感じることができたのは、大きな収穫だった。

そして、意見が一つの部分で煮詰まって来た時の、情報の整理。

これもすごく大事だった。

意見が大方出尽くしたような段階で、これまでに出てきた意見が何で、それは作品のどこから感じたことなのか、焦点化しながら、整理していくことで、作品の中のまだ見ていない部分にも目を向けようという意識が参加者の中に生まれてくるからだ。

そうすることで、新たな対話へとつながっていく。

 

鑑賞終了後、ファシリテーターを務めて下さった方とお話しすることができた。

小学校で2学期からの導入を考えていること、朝鑑賞の形で進めようと思っていることなど、かなりあれこれお話しできて良かった。

月一回程度行っているファシリテーターの学習会にもぜひぜひ参加してくださいとのことだった。

いよいよ今日から2学期が始まる。

いろいろと新たな実践も考えている。

対話型鑑賞もその一つだ。

実践と理論の往還。

ファシリテーターとしての自分の向上。

この二つを積み重ねていこう。

積み重ねた先には、どんな景色が待っているのだろう。

そう考えると、ワクワクする。

 

子どもたちとの日々が、また、始まる。