探求学舎の探求ツアーに行ってきた。 176
先日、みん職の中で知った「探求学舎」を主宰する宝槻泰伸さんが、大阪で探求ツアーをやるというので、調べると、午後の部のチケットがまだあったので、申し込んで行ってきた。
「興味開発」を掲げる教室として、情熱大陸でも取り上げられており、自分が今興味を持っている「探求学習」についてのヒントや学びがあるのではないかという思いからだった。
私が参加したのは、「音楽編」という授業だった。
テーマは「交響曲に隠された秘密を探ろう」で、なんだか「眠たくなる」ようなイメージがある交響曲だけれども、その秘密を知ると、絶対眠たくなくなるし、コンサートに行きたくなると、やっちゃん先生(宝槻さん)は話す。
約1時間半の授業を受けてみて感じたのは、テーマ本編にたどり着くまでの助走が恐ろしく丁寧でわかりやすいということだ。
テーマが交響曲だからといって、いきなり交響曲からは入らない。
まず、最初に提示されたのが、「音楽って何だろう?」だった。
この後も、くり返し行われていたので印象的だったのだが、「音楽」や「オーケストラ」など、必要な語彙の定義を、徹底的に共有する姿勢が一貫していた。
土台となるものの定義の共有をしっかり作ることで、どの子も興味が持てる準備をしているのだと感じた。
一つの問いで、定義を共有していくと、次の問いが出てくる。
そして、その問いについて、また考えていくと、新たな問いが出てくる。
そうして、問いをスパイラルに積み重ねていくことで、子どもたちが段々前のめりになっていく。
会場後方の席に座りながら、参加していた子どもたちの様子を見ていて、そう思った。
それは、さながら、弱火でコトコトと煮込むカレーのようだった。
子どもたちの興味関心は、最初から一瞬で火がつくのではなく、ゆっくり、丁寧に温めていった先、ある地点を超えると、一気に沸点に到達する。
ここからも、子どもたちの興味関心を高めるために、導入の重要性がどれほどのものかがよくわかる。
基本的には宝槻さんが舞台上で一人で話して進めていくのだが、必ず重要な場面では、子どもたちとインタラクティブなやり取りを入れて進めていく。
「はい」「いいえ」では答えられない「開いた質問」を投げかけることで、子どもたちの考えを引き出し、それをつないで進めていく。
この質問のタイミングも子どもたちの興味の芽吹き具合に合わせてされていると感じた。
今回、参加した授業では「音楽」というとらえどころのないように感じるものが題材だった。
けれど、この一見とらえどころのなさそうな音楽というものを、授業の中で、丁寧に要素ごとに分解して共有し、それをまた組み合わせることで、新しい視点での解釈を可能にしていた。
だから、「知る」ことの楽しさが引き出されて、もっと知りたいという意欲が高まってくるのだろう。
これらの過程が、宝槻さんの話をベースに、「見て」「聞いて」「体を動かして」、五感をフル活用して進んでいく。
さらに、きちんと子どもたちの興味が高まった瞬間に、「じゃあ、今のこと、お隣の人とお話してみて。」とペアトークなどでの交流をはさんでいた。
また、実際に交響曲を聞いてみて、全体の場で感想を共有する場面があったのだが、子どもたち一人一人の感想を、宝槻さんが価値づけして返していた。
これは、対話型鑑賞におけるファシリテーターの役割と似ていると思った。
そして、丁寧な定義の共有から本題に入っていく後半では、実は、授業の前半に置かれていた伏線が見事に回収されていく。
これには、大人の私も素直に興奮してしまったぐらいだ。
この「伏線→回収、伏線→回収」の流れを結構大事にしていて、これがこの探求の授業の中で、子どもの興味をブーストさせる役割を担っている。
1時間半の授業はあっという間だった。
最後には、1時間半の集大成としての「交響曲」を聞くのだが、最初に宝槻さんが言っていたように、眠くならない。
それは、「交響曲の本質」を知り、これまで、なんだかよくわからない音楽だと思っていたものを解釈できるようになったからだった。
徹頭徹尾、「好奇心に火をつける」ことを上位目的として、そこに至るために、考えうる手立てを全て考え、組み合わせ、構成していた授業だった。
だから、退屈な知識伝達はなし。
上位目的に至るのに、不必要な部分は全て捨て、逆に、必要な部分はどんどん盛り込んで成立している授業だった。
全てを真似することはできないし、するつもりもないが、自分たちが掲げた上位目的の達成のために、大事なことだけにフォーカスしていく方法は、今の学校教育に欠けていることのように思えてならなかった。
授業終了後、会場のホールから外へ出るまでの間、たくさんの家族とすれちがったが、みんな聞いた交響曲を口ずさんでいたり、楽器の話をしていたり、楽しそうな表情だった。
確かに、「好き」「知りたい」「やってみたい」という「好奇心」の種はまかれていた。