小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

26冊目「永遠についての証明」 162

今年度26冊目の読了本はこちら。

f:id:yamanyo:20190806164711j:plain

「永遠についての証明/岩井圭也」

 

いつ買っていたのだろう。

あまり記憶にない。

「次は何を読もうか。」と自宅の積読を漁っていて、

見つけたのがこの本だ。

意図せず、偶然掘り当てたような感覚で、再会した本。

そのシチュエーション自体が、

この本の内容と少しリンクしているようなところがあって、

何だか不思議な縁を感じた。

 

三ツ矢瞭司は、「21世紀のガロア」と称されるほどの天才数学者。

その才能を買われ、協和大学の小沼研究室に入る。

そこには、同世代で数学オリンピックで活躍した熊沢勇一と斎藤佐那の姿も。

三人は数学によってその結びつきを深めていくが、

瞭司の巨大すぎる才能が、3人の関係を狂わせていく。

三人が出会ってから17年後、瞭司が失意の中で亡くなってしまう。

そして死後、彼が遺したノートが発見される。

そこに未解決問題「コラッツ予想」の証明と思われる記述が発見され、

熊沢はそのノートに挑むことで再び瞭司と向き合うことを決意する―。

 

 

とても、とても美しい物語だった。

終始、静謐な雰囲気が漂い、

その雰囲気自体が、数学というものの纏うオーラのようだった。

 

物語は、

瞭司の死後、大学の教授になった熊沢の視点と、

学生時代の瞭司の視点の二つにより、

交互に語られていく。

 

まばゆいばかりの才能を持つことは、

否が応でも周りの人々を惹きつける。

そこには、いつも良い面と悪い面がある。

純粋に味方になってくれる人。

その才能を利用しようとする人。

どんなことにも当てはまる。

 

瞭司の生きざまは、まるでまばゆい光を放つ恒星のようだ。

しかし、いくらまばゆい光を放とうが、永遠ではいられない。

誰しもそうであるように、

生まれた瞬間から、すべての人間は死に向かっている。

恒星は最終的に自身の質量の大きさに耐え切れず、

爆発し、ブラックホールを生み出す。

まさに、瞭司の人生そのものだ。

瞭司の巨大すぎる才能が生み出したブラックホールは、

周りの人間を暗黒の彼方へと引きずり込む。

 

瞭司は、どこまでも純粋に、ただまっすぐに、

数学に没頭したかっただけなのだ。

しかし、数学を求めれば求めるほど、その数学が遠ざかっていく。

その苦悩に胸が苦しくなった。

瞭司も、熊沢も、小沼も、佐那も、

だれもが自分の人生と向き合わなければいけなかった。

けれど、向き合えなかった。

瞭司は、その末に命を失ってしまう。

しかし、瞭司のノートが発見されたことをきっかけに、

それぞれが贖罪の気持ちを抱えながら、

もう一度自分の人生と向き合っていく。

そこには、もはや才能がどうかとは関係なく、

人が人として自分の人生に悩み、苦しみ、葛藤しながらも、

歯を食いしばって向き合っていこうとする姿があるだけだ。

その姿は、とても気高く、美しいものだ。

 

クライマックスで、熊沢はノートと向き合い続けてきた結果、

数学の中で瞭司と再会する。

瞭司の孤独が救われた瞬間だった。

涙が止まらなかった。

あまりの美しさに、

向き合うことへの熱量に。

 

過去に瞭司と向き合えなかった熊沢の後悔は、

物語の最初ほど、後ろ向きなものではなくなっていた。

その後悔も抱えて、それでも人は生きていく。

だから、その先には新しい出会いがあり、

その出会いが、自分の過去に対する解釈も変えていく。

過去にあったことは変えられないが、

過去に会ったことの意味はいくらでも変えられる。

だから、苦しくても、向き合うのだ。

なかったことにはできないのだ。

たとえ遠回りでも、立ち止まっても、

それでも向き合うことをあきらめてはいけないのだ。

 

この物語は、誰の物語でもある。

誰の物語にもなりうる。

だから、こんなにも胸を打つのだろう。