26冊目「永遠についての証明」 162
今年度26冊目の読了本はこちら。
いつ買っていたのだろう。
あまり記憶にない。
「次は何を読もうか。」と自宅の積読を漁っていて、
見つけたのがこの本だ。
意図せず、偶然掘り当てたような感覚で、再会した本。
そのシチュエーション自体が、
この本の内容と少しリンクしているようなところがあって、
何だか不思議な縁を感じた。
三ツ矢瞭司は、「21世紀のガロア」と称されるほどの天才数学者。
その才能を買われ、協和大学の小沼研究室に入る。
そこには、同世代で数学オリンピックで活躍した熊沢勇一と斎藤佐那の姿も。
三人は数学によってその結びつきを深めていくが、
瞭司の巨大すぎる才能が、3人の関係を狂わせていく。
三人が出会ってから17年後、瞭司が失意の中で亡くなってしまう。
そして死後、彼が遺したノートが発見される。
そこに未解決問題「コラッツ予想」の証明と思われる記述が発見され、
熊沢はそのノートに挑むことで再び瞭司と向き合うことを決意する―。
とても、とても美しい物語だった。
終始、静謐な雰囲気が漂い、
その雰囲気自体が、数学というものの纏うオーラのようだった。
物語は、
瞭司の死後、大学の教授になった熊沢の視点と、
学生時代の瞭司の視点の二つにより、
交互に語られていく。
まばゆいばかりの才能を持つことは、
否が応でも周りの人々を惹きつける。
そこには、いつも良い面と悪い面がある。
純粋に味方になってくれる人。
その才能を利用しようとする人。
どんなことにも当てはまる。
瞭司の生きざまは、まるでまばゆい光を放つ恒星のようだ。
しかし、いくらまばゆい光を放とうが、永遠ではいられない。
誰しもそうであるように、
生まれた瞬間から、すべての人間は死に向かっている。
恒星は最終的に自身の質量の大きさに耐え切れず、
爆発し、ブラックホールを生み出す。
まさに、瞭司の人生そのものだ。
瞭司の巨大すぎる才能が生み出したブラックホールは、
周りの人間を暗黒の彼方へと引きずり込む。
瞭司は、どこまでも純粋に、ただまっすぐに、
数学に没頭したかっただけなのだ。
しかし、数学を求めれば求めるほど、その数学が遠ざかっていく。
その苦悩に胸が苦しくなった。
瞭司も、熊沢も、小沼も、佐那も、
だれもが自分の人生と向き合わなければいけなかった。
けれど、向き合えなかった。
瞭司は、その末に命を失ってしまう。
しかし、瞭司のノートが発見されたことをきっかけに、
それぞれが贖罪の気持ちを抱えながら、
もう一度自分の人生と向き合っていく。
そこには、もはや才能がどうかとは関係なく、
人が人として自分の人生に悩み、苦しみ、葛藤しながらも、
歯を食いしばって向き合っていこうとする姿があるだけだ。
その姿は、とても気高く、美しいものだ。
クライマックスで、熊沢はノートと向き合い続けてきた結果、
数学の中で瞭司と再会する。
瞭司の孤独が救われた瞬間だった。
涙が止まらなかった。
あまりの美しさに、
向き合うことへの熱量に。
過去に瞭司と向き合えなかった熊沢の後悔は、
物語の最初ほど、後ろ向きなものではなくなっていた。
その後悔も抱えて、それでも人は生きていく。
だから、その先には新しい出会いがあり、
その出会いが、自分の過去に対する解釈も変えていく。
過去にあったことは変えられないが、
過去に会ったことの意味はいくらでも変えられる。
だから、苦しくても、向き合うのだ。
なかったことにはできないのだ。
たとえ遠回りでも、立ち止まっても、
それでも向き合うことをあきらめてはいけないのだ。
この物語は、誰の物語でもある。
誰の物語にもなりうる。
だから、こんなにも胸を打つのだろう。