小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

学ぶということ。 160

夏休みに入って、研修が続いている。

中には、悉皆で内容的にも、

「うーん、これどうなの?」と

思ってしまいそうになるものも、

正直ある。

でも、そこはきっと受ける側のスタンス次第だと

強く自分に言い聞かせる。

前田さんの「メモの魔力」を以前読んでから、

今までに増して、そう強く感じるようになった。

結局は、その研修で講師の先生の話なり、

ワークショップなり、

その場で与えられる内容が研修の良し悪しを決めるのではない。

与えられた内容を自分なりに解釈し、抽象化し、

自身の人生や仕事に転用できるレベルにまで、どう落とし込めるか、

その一点にかかっていると言っても過言ではない。

逆に言えば、それさえできるのであれば、

どんな研修も自分の学びになるはずだ。

自分のアンテナの感度を絶えず磨きつつ、

その時々の自分の持つアンテナの感度を最大にして、

吸収して、それを不器用でも、粗があっても、

自分の実践に落とし込んでアウトプットしていかなければいけない。

そういう意味で研修があるというのは、ありがたいことだ。

抽象化・転用化できる素材が、あちこちに転がっているということだから。

 

子どもの時は、自分にとって「学ぶ」とは、

受験のためだった。

勉強に関しては、石橋を叩いて渡るタイプだったと自負しているので、

中一の一学期の油断した期末テスト以外は、

自分で計画を立て、テスト勉強に取り組み、

乗り越えてきた。

そういった定期テストで、大きなミスはしなかったと記憶している。

 

でも、大学受験が終わり、大学に入学した途端、

学びのコントローラーを急に自分に渡された。

それは、「学ぶ」「学ばない」という、

そもそもの二択から選べるコントローラーだった。

それまで、「受験のため」という、狭い狭い範囲での、

そのために必要な勉強だけをしてきた。

「将来のため」という漠然とした大きな目標へ向かうための

「受験のため」だった。

そう価値づけることで、勉強をしのいできたと言った方が正しいか。

大学に入ると、時間割も自分で決められる。

決めた時間割の授業に出席するかどうかも自分で決められる。

出席しなくても、誰に咎められるわけでもない。

すごく自由に聞こえるが、

その自由の結果を受け止めるのも自分だ。

だから、サボろうが、まじめにやろうが、

どちらにせよ、それは全て自分に返ってくる。

自由とその責任や代償について、

あれほど実感したのは、人生で初めてだった。

当時は、大学での学習に身が入らなかった自分自身に対して、

「中高と長かった受験勉強がひと段落して、燃え尽きた。」

そんな風に思っていたが、今だからわかる。

そうじゃない。

あれは、自分で選び、何を、どう、どんな順番で学ぶか、

その学びの本質をただ知らずに、そこまで来ていたにすぎない。

燃え尽きるも何も、

もともと本当の意味での「学ぶ」と

向き合っていなかっただけなのだ。

 

でも、今様々な職員研修や自主研修をしていて思うのは、

「学ぶ」ってめちゃくちゃに楽しいということだ。

新しいことを知るのも楽しいし、

一つの物事に対しても、様々なアプローチ方法があり、

それらを吸収するたびに、選択肢が増えていく。

組み合わせ方も様々で、その中には、

きっとまだ見ぬ可能性がたくさん隠されているんだと思う。

「学ぶ」ことで、新しい「知る」「わかる」「できる」が増えるけど、

それと同じか、もっと速いスピードで、

また新たな「知らない」「分からない」「できない」が増えていく。

でも、その「知らない」「分からない」「できない」というのは、

今回「学ぶ」ことで、初めて見えるようになった世界で、

学ばなければ、一生見えなかった世界だ。

だから、確実に自分の人生における世界は広がっているし、

そういう意味で、どんな「学び」にも、

無駄なものなど一つもない。

全ては、次の「知らない」「分からない」「できない」へつながっていて、

それが、「知りたい」「分かりたい」「できるようになりたい」を生む。

そうやって、人は学びにのめりこんでいく。

 

このサイクルを、

「学びが楽しくて仕方ない」というサイクルを、

いかに、今の自分の立場で子どもたちに感じさせることができるか、

自分のものにさせることができるか、

ここが一つ究極の目標になるのかなあ、なんてことを考える。

 

とりあえず、この夏休み、

まず自分がいち「学習者」として、

貪欲に吸収し、アウトプットしていこうと思う。

普段はなかなかまとまった時間が取れない分、

思いっきり「学び」を楽しもうと思う。

そして、そのエネルギーを、

2学期からまた子どもたちにできるだけたくさん、

返していけたらいいなと思う。

 

まず、教師が「学ぶ」楽しさを知っていないと。