小学校教員にょんの日々ログ

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アルキメデスの大戦 157

映画「アルキメデスの大戦」を見てきた。

原作は、同名のヤングマガジン掲載中のマンガだそうだが、

原作は読んでいない。

奥さんが、「見に行きたい」ということで見に行くことにした。

私自身も、菅田将暉が主演だったので、見てみたいなと思っていた。

 

朝一の回のチケットを取り、見に行った。

まず、映画が始まっていきなり、

戦艦大和での戦闘シーンが続いたのだが、

これが、なかなかの迫力で、

いきなり度肝を抜かれた。

大和が敵の攻撃を受け、沈没していくシーンは、

映画「タイタニック」を彷彿とさせるものがあった。

あれは、タイタニックへのオマージュなのだろうか。

 

大迫力の戦闘シーンから一転、

ここからが本題なのだが、海軍の中で、

対立する二つの派閥の思惑が交錯する。

 

次期主力級戦力として、新型空母を作らせたい山本五十六ら一派と、

「海軍の戦いは戦艦が当然」という嶋田・平山一派。

両者が、それぞれの空母・戦艦の建造にかかる費用の見積もりを

算出したところ、空母よりはるかに巨大で重装備であるはずの戦艦の

見積もりの方が安いという報告が出る。

それに違和感を感じ、かつ無用の巨大戦艦を建造させないために、

その見積もりの不正を暴こうと、山本が連れてきた人物こそが、

本作の主人公である櫂直(かいただし)であった。

この櫂を菅田将暉が演じる。

櫂は、帝国大学で数学科に属していた100年に1人と言われる数学の天才。

彼が、その力でもって、戦艦建造の見積もりに隠された不正を暴くために、

東奔西走するのが、この映画のあらすじである。

 

櫂の動きを快く思わない嶋田・平山一派は、

万に一つでも、見積もりの不正が暴かれることのないように、

あの手この手で、櫂の行く手をさえぎる。

そこには、国や国民のことなど、微塵も考えていない

軍上層部の傲慢さや己の利益しか考えない様が露骨に表れている。

そんな腐り切った海軍の中にいて、

一人異彩を放ち、自らの使命を果たすために、

ただまっすぐ前だけを見て、突き進んでいく櫂の姿には、

とてもまぶしく、清々しささえ感じた。

 

個人的に、この映画の一番の見どころは、

特に、クライマックスの新型主力艦決定会議における、

櫂や山本一派と海軍上層部の間での心理戦や駆け引きの応酬だと思う。

 

見積もりの不正を暴き、日本を戦争へ向かわせまいとする櫂たちと、

軍需産業との癒着で自らの地位を守りつつ、

私腹を肥やそうと画策する嶋田・平山たち、

という構図が、物語前半を大きく展開させる。

 

しかし、物語が後半になると、

どうも、この二人の単純な対立構造ではないことが明らかになってくる。

舘ひろし演じる山本五十六は、映画序盤から中盤にかけて、

何とか日本を戦争へと進ませないために、

櫂を陰で支え、うまく立ち回る上官を演じている。

ざっくり言って、良い者。

一方、嶋田ともう一人の黒幕である平山は、

不正をしてでも、戦艦大和を建造しようとし、

そのために、櫂にも様々な邪魔を仕掛ける。

ざっくり言って、悪者。

が、この両者の関係は、クライマックスで一気に見え方が変わってくる。

良い者・悪者とはっきり二元論で語れなくなってくるのである。

 

 

映画冒頭で、戦艦大和の戦闘シーンがあったことで、

クライマックスの新型主力艦決定会議の結果は、

観客にとって、揺るがないものとなっている。

そう、戦艦ヤマトは建造されるのだ。

だから注目すべきは、どのようにして、

戦艦大和が作られるに至ったのか、ということになる。

その結末をここで書くようなことはしないが、

最後の櫂の表情が全てを物語っているなあと感じた。

そういう意味で、菅田将暉はやっぱり

とんでもない役者だと改めて感じた。

 

個人的には、櫂と平山が互いの本音をぶつけ合い、

日本の行く末について議論するシーンが一番グッときた。

平山の人物像は、ここでグッとアップデートされる。

そして、ここでのやり取りが、

さきほど書いたラストシーンへとつながっていく。

 

保身や規律ばかりを重んじ、

頭でっかちな海軍の軍人たち。

しかし、そんな中、櫂は、

どんな逆境に立たされようと、

どんな妨害に遭おうと、

どんなに不利な条件を突き付けられようと、

その時、その場で、自分ができることを最大限に考え、

考えるだけではなく、実際に動いて、

感じて、修正して、また動いて…と繰り返していく。

 

そんな櫂の姿は、どの時代に生きる人であろうと、

普遍的に大切にしていくべき姿勢であると感じた。

何事もやってみないとわからない。

全力を尽くすまではあきらめない。

当たり前にも思えるこれらのことが、

しかし櫂の、

実際に動き、悩み、

それを打ち破っていく姿を通して、

肌感覚で実感できた。

だから櫂には、絶体絶命になっても、

その姿に共感し、

力を貸してくれる人々がいて、

絶望的な状況にも、少しずつ風穴があいていく。

 

自分の人生も、櫂のように生きていけば、

風穴を開けられるかな。

そうだといいな。

他力本願じゃ、人生は豊かにならない。

他でもない自分にしか、自分の人生は動かせないんだ。