小学校教員にょんの日々ログ

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22冊目「シーソーモンスター」 154

今年度22冊目の読了本はこちら。

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「シーソーモンスター/伊坂幸太郎

大好きな伊坂さんの作品。

これ読んでる間に、最新作「クジラアタマの王様」が出版され、

すでに購入済み。

だからというわけでもないが、

「早く読んでしまわねば!」と少し急ぎ足で読んだ。

本作は、「小説BOC」という文芸誌の

「螺旋」という競作プロジェクトの中の 一つとして位置づけられ、

対立の構造が時代を超えて続いていく様子を

時代ごとに8人の作家が描く企画の一つだ。

読み終わって、他の作家さんの本も読んでみたくなった。

 

本作には、表題の「シーソーモンスター」と「スピンモンスター」という

二つの話が掲載されている。

 

正直、一つ目の「シーソーモンスター」は、

最初あまりに平凡な設定過ぎて、

読み進めるのが辛かった。

伊坂幸太郎どうしたん?」って思ってしまった。

軽妙なセリフの掛け合いや魅力的なキャラクターは健在だったが、

肝心の話に起伏がなく、序盤の我慢を強いられる展開が予想外だった。

 

しかし、そこは、さすがというべきか、

それでも我慢して読み進めていくと、徐々に、

平平凡凡だと思っていた設定に歪みが生じ始め、

きな臭い展開へ移行していき、

そこからはスルスルと、

意識的にならずとも、ページをめくる手は止まらなかった。

どこの家庭にでもあると思っていた嫁姑問題が

思わぬ方向へ展開していくのだが、

 

…とはいえ、この一つ目の話、何となくオチが予想できてしまった。

案の定、「おおよそこんな感じになるだろう」と思っていたのと、

誤差程度で結末が着地。

あまりの呆気なさに、「え?これで終わり?」と拍子抜けした。

確かに、いつも通り伏線の回収は見事だったし、

妻の視点と夫の視点の二つが交互に進められていく話の展開が、

徐々につながっていくのは、さすがだなあと感心する。

でも、その「さすが感」が予定調和の域を出ない。

んー、消化不良。

 

そう思いながら、2つ目の話、「スピンモンスター」へと

読み進める。

1つ目の「シーソーモンスター」が昭和の日本を舞台にしていたのに対して、

「スピンモンスター」では一転、

舞台が2050年の日本へと大きくとぶ。

立体ホログラムが一般的になっていたり、

イコカのようなカードがモバイルデバイスになっていて、

ほとんどのことはそれで済ませることができるようになっていたり、

今の世界では実用化まではされていないが、

近い将来、こういうことがあっても何もおかしくないよな、

と思える絶妙なバランス。

車も自動運転が基本となっている。

この自動運転が、一つ、主人公たちの運命を大きく狂わせることになるのだが。

いきなり、時代が大きくとんで、

最初は話の筋から振り落とされないようにするのが、やっとだった。

 

読了した今だから思うが、

この時すでに伊坂幸太郎が仕掛けた罠にまんまとハマっていたのだ。

私の意識は、この奇怪な2つ目の話に完全に向けられていた。

そして、この小説の構造を、

「中編2つ」

だと勘違いしたまま読み進めていた。

少し警戒すればわかりそうなものだが、

いきなり100年ほど飛んだ、まだ見ぬ時代についていくことに、

意識のほぼ全部を持っていかれていたのだ。

 

そして、スピンモンスターは、

その視点を二つの人物の間を行ったり来たりしながら、

シーソーモンスターよりもわかりやすく物々しい雰囲気をまとって、

加速していく。

経験したことのない時代の、先の見えない展開に、

夢中で読み進んだ。

 

そして、その時は突然訪れる。

物語の中盤、

突然、完全に意識の外から点と点がつながり、線になる感覚。

死角からの仕掛けに、思わずうなってしまった。

全く関係のないと思って、ここまでにポロポロと落としてきた

物語の欠片の数々が急につながりを持ち始めたのだ。

まさに、伊坂作品の醍醐味の一つと言えるカタルシスを感じた。

 

そこから物語は、様々な大小の物語のピースを巻き込んで、

渦を巻くように肥大化しながら、加速していく。

その様は、まさに「螺旋」プロジェクトにふさわしいそれだった。

気付けば読み終えていた。

結末も、かすかな希望は残しつつ、

飄々としていて、清々しさもあるものだった。

やはり、伊坂幸太郎が好きだ。

その感情を再確認した。