小学校教員にょんの日々ログ

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「天気の子」を観た。 153

先日、映画「天気の子」を観に行った。

「君の名は」を公開後、すぐに観に行ったのが懐かしい。

あの時は、大好きなRADWIMPSが劇判を担当することがわかり、

そこから興味を持った。

そして、RADWIMPSのアルバム「君の名は」を聴き込み、

小説「君の名は」を読んでから、映画に行った。

だから、展開は知っていたし、どの音楽も聴き込んでいたから、

「うわ!この音楽ここで使われんのか!!」と鳥肌が立ったり、

「あそこの展開、こういう風に描かれるのか!」と興奮したり、

そういうリンクにいちいち感情が湧きたつのを感じた。

 

今回の「天気の子」はどうか。

RADWIMPSのアルバム、聞いたには聞いたが、

聴き込むには程遠い。

小説「天気の子」、購入せず。

書店で、何度も買おうか悩んだが、結局買わないことにした。

理由ははっきりこれといってない。

ただ、前回の「君の名は」とは、違った状態で観たかったのかもしれない。

 

映画館は、かなりの席が埋まっていた。

「君の名は」からの期待値がそのまま、

客席の埋まり具合に表れていた。

 

ネタバレはしたくないので、映画の内容にはできるだけ触れないで、

自分が感じたことを中心に感想を書こうと思う。

読書感想文と同じだ。

あらすじがほとんどを占めるものは感想文ではない。

それよりも、作品の何が、どう、自分に作用して、

何を感じたのか、そここそが作品の自分にとっての価値だと思うから。

 

映画を観て、思わず涙があふれてしまった場面がいくつかあった。

その場面に共通していたのは、劇中の大人の存在だった。

「君の名は」に比べて、物語の進行に大きな影響を与える大人が多いと感じた。

例えば、主人公の帆高が東京に出てきてお世話になるK&Aの須賀(声:小栗旬)

例えば、その須賀のもとで、K&Aのアシスタントをする夏美(声:本田翼)だ。

特に、私の中では須賀の存在の大きさは特別だった。

時に兄のように帆高の味方であり、

時に大人として、まだまだ子どもの帆高の壁であり、

でもそんな須賀の本心は、過去の自分とどうしたって重なってしまう、

重ねて見てしまう帆高を放っておけないという心だ。

帆高は、どんなに笑われても、無理だと言われても、

自分の気持ちに正直に、人生を歩んでいこうとする。

たとえ、その道が世界から背を向けるようなものだとしても。

だから、その帆高のことが心配でもあり、背中を押したくもあり、

自分と同じ道をたどってほしくないという願いもあり、

須賀は、帆高を通して、自分自身と向き合わざるを得なくなる。

その須賀が、大人としてこうするべきだとわかっていながら、

帆高が自分の目の前で絶体絶命のピンチになった時、

自分のこれからやすっかり大人になってしまった自分が持つ常識、

そんなものが完全にぶっ飛んで帆高を助ける場面がある。

「あれこれ悩んだ末に心の奥底の本心に従って助ける」とかではない。

本当に、思わず、咄嗟に、反射的に助けてしまう。

でも、その自信の反応に一切の後悔を見せない。

完全に降り切れているのだ。

その姿にどうしようもなく、涙が止まらなかった。

もちろん、帆高のまっすぐな思いがあってのことだが、

そのまっすぐな帆高の思いを、須賀の行動や気持ちの移り変わりが、

ブーストさせていて、それがすごく心に響いた。

帆高だけでなく、須賀に強く共感する今の自分は、

そこそこ大人になったという事なのだろうか。

 

そして、作品の本流もすごく良かった。

グッときた。

自分のすぐそばにいる一番大切な人のために、

世界を何とかしようとして、自分で全てを背負い込むヒロインの陽菜、

自分のすぐそばにいる一番大切な人のために、

世界がどうなっても、それでもあなたを選ぶと自分を貫く主人公帆高。

2人の気持ちはどこまでも互いに向いているが、

その気持ちへの向き合い方が正反対。

どちらの気持ちも痛いほどわかる。

帆高のもとを離れた陽菜を責めることはできないし、

陽菜を選んだ帆高を責めることもできない。

それでも、そんな世界で二人は生きていく決意をする。

自分が陽菜だったら、

自分が帆高だったら…どうするだろう。

きっとどちらの立場であったとしても、

先のリスクばかり考えて、結局動けずにタイムオーバーになるんじゃないだろうか。

きっとそうだ。

だから、帆高と陽菜がどこまでもまぶしい。

きっと須賀もそうだったんだろう。

 

そして、RADWIMPSの楽曲は、劇判を超えて、

物語を加速させる大きな役割を担っている。

いや、加速させるどころではない。

楽曲も物語の一つになっている。

これは、前回の「君の名は」以上に感じた。

そういう意味で、

もっと聴き込んでても良かったかなと少し後悔した。

 

「天気の子」を観て、RADWIMPのある曲を思い出した。
夢番地」という曲だ。
その中の一節にこうある。

”僕が立っているここはきっと誰かの願っている場所で
誰かが立っている場所がきっと僕の望む場所で”

須賀は、この歌詞にあるように帆高といつかの自分を重ねてたんだろうか。

様々な場面で、心が揺さぶられた。

公開前から、様々な情報が流れ、一定の先入観は否めなかった。

その上、「君の名は」で上がった期待のハードルもある。

そんな中だったが、個人的にとても面白かった。

物語の持つ力の大きさを感じてとてもうれしかった。

そうだ、物語は日常のモヤモヤだったり、

不安だったり、悩みだったり、そういうものを

吹き飛ばしてくれる強さを持っているんだ。

そんなことを再確認させてくれる作品だった。

新海監督すごい。