小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

教えない。 143

国語で新しい単元に入った。

1学期最後の単元だ。

好きな本を一冊紹介する。

どうやって?

今回は、POPを作ることにした。

けれど、ただ作るだけじゃ面白くない。

子どもたちもモチベーションが上がらないだろう。

学校図書館司書さんと相談して、

作ったPOPを図書室に掲示してもらうように頼んでみた。

快くOKしてもらえた。

期間を決めて、図書室に子どもたちのPOPを掲示する。

そして、設定した期間が終了したら、

せっかくなので、ポプラ社が主催するPOPコンテストに応募する。

 

…とまあ、そんな絵は描いていたものの、

あくまで子どもたちがノッてきたらの話。

あれこれ思考を張り巡らせはするが、

それも子どもたちありき。

子どもたちがそこに学習の意義や目的、

モチベーションを感じるかどうか。

だから、子どもたちがノッてこなければ、

この案はサクッと捨てるつもりでいた。

この「考えてきたことも場合によってはいつでも捨てられる覚悟」

というのが、案外に大事だなあと最近思う。

 

…で、今回はというと、

めちゃくちゃノッテきた(笑)

内心ほっとしたのは事実だ。

こちらから提案する形にはなったが、

子どもたちのモチベーションは十分高いので、

そこに関しては導入として、一定合格点かなと思う。

本当は、子どもたちから「こんなことしたい!」ということが出て、

それをみんなで形にしていけるのがベストだと思うが、

何事も一足飛びに全て理想通りにいくわけでもない。

今のベストを選択し続けるだけだ。

 

学習課題が子どもたちの納得を得て、決定したので、

学習計画を立てる。

単元のゴールから逆算して、どんな学習をすれば、

スムーズにゴールにたどり着けるか、みんなで考える。

いつもは、学習活動を短冊に書き、順番を子どもたちに考えさせていた。

全てはいきなり無理でも、

学習の主導権を自分たちが握っているという感覚、

そして、学習を自分の意思で選択して決めているという感覚、

最低限、そこは大事にしたいと思ってやってきた。

 

…で、今回はというと、

計画の一切を子どもたちにゆだねてみた。

もちろん、私の中では、「こうすればいいかな」という計画は持っている。

でも、それもあくまで子どもありき。

子どもたちがその計画をスムーズに学習できるものと判断するとは限らない。

先述の導入と同じ理屈だ。

 

「今決めた学習課題をゴールとして、

 スムーズにゴールにたどり着くためには、

 何を、どれだけ、どんな順番で学習していけばいいかなあ?」

と投げかけ、その先の計画の全てを子どもたちで決めてみた。

「誰か話し合いの進行をしてくれる人?」と聞くと、

男子が二人手を挙げてくれたので、任せた。

あとは、一切口出しなし。

横で座ってじっと見ていた。

そしたら、授業終了のチャイムが鳴った時、

自分たちの力で、

本当に自分たちの力だけで、学習計画を立てた。

チャイムが鳴った後、休み時間になっても、

たくさんの子どもたちが黒板に参考に掲示していたPOPを

見にきて、何やらメモを取っている子もいた。

この単元が子どもたちの手にある状態でスタートできたという事だろうか。

 

帰宅後、何気なくテレビを眺めていると、

「すごいですね!日本視察団」(?)という番組がやっていた。

その中で、おにぎりが一つのキーアイテムとして出てくるのだが、

有名なおにぎり屋の女将さんの握り方が独特だった。

 

「おにぎりなのに、にぎらない」のがコツなのだ。

それを見て、この記事のタイトルに思い至った。

案外、どの世界でもこれは一つの真理を突いているのではないだろうか。

 

おにぎりなのに、にぎらない。

攻撃は最大の防御。

急がば回れ

教えないで教える。

 

その道を突き詰めようとするとき、

実はその対極に真理があるのではないだろうか。

 

そんなことを考えた一日だった。

最近、自分の勉強のために読んでいる様々な本の内容とも符合する。

んー、教えないことで、子どもたち自身が学ぶことを教える。

うーん、奥が深い。

つながりそうで、まだもやもやしているところもたくさんある。

もっともっと勉強せねば。