小学校教員にょんの日々ログ

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10冊目「散歩する侵略者」 82

今年度10冊目の読了。

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散歩する侵略者/前川知大

 

劇団「イキウメ」を主宰する、劇作家であり、演出家である著者。

著者の小説を読んだのはこれが初めてだ。

この小説は、同名で数年前に黒沢清監督が映画化している。

テレビのCMで予告編が流れているのを何度か見た。

面白そうで、「観に行きたいな」とぼんやり思っているうちに、アッと言う間に公開は終わっていた。

それから、すっかりそんなことも忘れていたときに、本屋で本作の文庫を見つけ、購入に至った。

 

海辺の小さな町を舞台に忍び寄る宇宙人の静かな侵略。侵略の影響は次第に大きくなり、関わる登場人物たちの運命を翻弄していく…。

 

まず思ったのが、タイトルの妙だ。

「散歩」と「侵略」、お世辞にも親和性が高いとは言えない単語の組み合わせ。

この違和感が、本作の世界の全てを表しているように思えてならない。

散歩は日常、侵略は非日常。

散歩は平和、侵略は戦争。

散歩は安定、侵略は破壊。

そんな相容れない2つが組み合わさって、

 

散歩する侵略者

 

なんとも不気味である。

日常にいつの間にか紛れ込んでくる非日常。

いつの間にか非日常に侵される日常。

 

そんな不穏な空気感が、作品の世界を包み込む。

その不穏さは、侵略者の侵略方法にも表れている。

対象の人間から、ある言葉の「概念」を奪うのである。

概念を奪われた人間は、その言葉の概念について、どれだけ説明されても理解できなくなってしまう。

侵略者は、散歩をして、出会った人々から日々言葉の概念を奪っていく。

そして、奪った概念が増えるたび、皮肉にも侵略者はより人間に近づいていく。

 

侵略がこんな方法だから、物語は最後まで静かに進んでいく。

よくあるSF大作のような派手なアクションシーンも攻撃シーンも、ない。

動的な変化は極めて少ないのに、

静的な変化はどんどん日常を侵していき、気付けば、取り返しのつかない状態にまで膨れ上がっていく。

 

読んでいて、侵略者が頭と目が大きい灰色のヤツだったら、どんなにすっきり割り切れることか、と思った。

帯にもあったが、本作の侵略者は、最愛の姿でやってくる。

その静かな恐怖は、なかなかのものである。

 

本作のクライマックス。

侵略者は、侵略の最後にある概念を奪うことになるのだが、

そのシーンを経て、物語世界は、鮮やかに反転する。

日常が非日常に、非日常が日常に。

それは本当に見事の一言だ。

そして、それこそが本作のテーマである。

続けられる侵略によって、浮き彫りになったのは、人間の存在の根幹に関わる1つの大きなテーマだ。

侵略者に概念を奪われていく中で、人を人足らしめるものは何なのか。

そんなことについて考えさせられる非常に面白い一冊だった。