正しさ。 53
職場の向かいの席に、3年目の若手の子がいる。
子どもたちへの指導、保護者対応、校務分掌、
仕事は次から次へ押し寄せてくる。
それらの対応に追われている。
後手に回っている。
なんとかしたいし、なんとかしようと努力もしている。
でも空回りしている。
そんな彼女に、同じ学年の先輩が放課後話しているのが、
聞こうと思おうが思わまいが、耳に入ってくる。
「だから、そういうのは指導きちんとしないとあかんやん。
ただ間違えた答え、正しい答えに書き直させて終わりやったら、
ほんまにわかったことにはならんやん。」
「前もそうやったけど…(以下略)、それは指導になってないで。
そんなんやったら、また親から苦情も来て、自分の首を絞めることになるで。」
20分ぐらいだろうか。先輩の説教というかアドバイスは続いた。
その後、2時間の会議(だから…。長いねん、会議…)
終わったら、時刻は五時。
会議室から職員室に戻ってきて、自分の仕事に取り掛かったら、
向かいの席では、今度は若手の彼女の反対側に座っている先輩から話が。
やっぱり耳に入ってくる。
聞こえてくる内容は、会議前に、反対側の先輩から言われていた内容と同じだった。
こちらも20分くらいだろうか。
先輩たちは、その後、帰っていった。
若手の彼女は、放心したように、虚空を見つめ、明らかにフリーズしていた。
思考停止状態だ、と思った。
先輩たちに悪意はない。
なかなかうまくいかず、悩んでいる若手を何とかしてあげたい。
その一心でアバイスをしているんだと思う。
でも、思う。
そのアドバイスは、彼女に届いているんだろうか、と。
アドバイスをする目的は達成されているんだろうか。
話を聴いた後の彼女の様子を見ている限り、そうは思えない。
だとしたら、届かないアドバイスは、果たして誰のためにあるのだろう。
私を含め、ある程度の経験を積んだ教員には、
それぞれの教員としての軸があり、
言い換えると「正しさ」と言えるかもしれないものを持っている。
若手の育成に向かうとき、その「正しさ」でもって、
アドバイスをすることって、よくある。
でも、いつだって、最上位目的が何かを意識していないと、
「正しさ」の押し付けになってしまうことがある。
それは、たとえ客観的に見て正しいことだったとしても、
それを伝えるタイミングや伝え方を誤ると、効果がない。
そして、そういう場合、効果がないだけではなく、
相手に不利益をもたらしてしまうことが多い。
今回の場合、若手の彼女は、最終的に思考停止状態に陥ってしまった。
アドバイスの最上位目的は、
「彼女が教員として独り立ちしてやっていけるだけの力をつけるためのサポートをする」
のはず。
その目的の達成は、子どもたちを幸せにすることにつながり、
子どもたちが幸せになるということは、学校の信頼にもつながる。
まわりまわって、彼女を育成することの結果は、
学校に、つまり、自分たちに返ってくる。
彼女の育成がうまくいかないということは、当然、それとは逆の結果を生む。
その視点に立った時、彼女にどこまでのことを、いつ、どのタイミングで、
どのように伝えるのか、先輩は考えてアドバイスをしなければいけないと思う。
えらそうに言っているが、私もできているわけではない。
だから、自分への戒めも含めて書いた。
でもこれって、子どもたちと接する時も基本同じだと思う。
子どもたちの成長のために、いつ、どこで、何を、
どこまで、どんなふうに伝えるのか、伝えないのか、
それと同じだと思う。
人って宝だと思う。
教員である以上、人材育成に関してはプロであるべきだ。
子どもも若手の後輩も、同じ人間だ。
私には私にできることがある。
自分なりに若手の育成のためにできることを続けていこう。