3冊目「学校の「当たり前」をやめた。」 34
本日、6時に退勤。
6時半に帰宅。
夕飯作って、洗濯物たたんで、
帰ってきた奥さんとご飯食べて、
お風呂入って、8時半。
…というわけで、
そこから1時間読書できたー!!
いやあ、やればできる!
このスタイル続ければ、読書はグンと進みそう!
まあ、続けることが大事、大事。
続ければ本物になる。
本物は続く。だ!
さて、本日読了したのがこちら。
前回、2冊目で読了した「3分間コーチ」と並行して読んでいた。
帯にあるように、これまで学校現場で「当たり前」とされてきたことに、
しっかり向き合って、生徒のために進めてきた麹町中学校の改革について、
どのように進めたのか、何を改革したのか、改革に大切なことは何か、
同じ教育に携わる者として、非常にたくさんの気付きを与えてくれる本だった。
工藤さんは、前年踏襲が根強く残る教育現場にある数々の「当たり前」にメスを入れ、
生徒のため、現在も改革を進めている。
全ページ、自身の勤務校や勤務地と重ね合わせながら読んだ。
学校には、もはやそれが何のために存在するのか、
誰もわかっていない「当たり前」が本当にたくさんある。
しかし、いったんその「当たり前」を変えようとすると、
「変わることを恐れる前年踏襲」の壁に阻まれてしまうことも多い。
自分自身、そこで踏ん張り切れず、諦めてきていたことが多々ある。
もちろん、一教員が個人でできることには限界がある。
でも、それでも、もっとできることがあるんじゃないか。
この本を読んでいると、どうしてもそう思ってしまう。
そして、思ってしまうだけでなく、実際に行動すれば、
変えられることはきっと少なくないんだろう。
工藤さんは、著書の中で、
学校の「当たり前」を見つめ直してみることの大切さを何度も語っている。
その「当たり前」は誰のために、何のためにあるのか。
そこに今一度フォーカスして見直してみることで、改革への道が見えてくる。
「対立は当たり前。でもそんな時こそ、最上位目的に立ち返り、その実現のために対話を繰り返し、実現手段としてのアイデアを練っていく。」
そんな工藤さんの考えにとても強く共感した。
校務分掌であれ、生徒指導であれ、学習指導であれ、
このスタンスはとても重要だ思う。
手段は、どこまで行っても手段であり、
手段は、目的のために存在する。
目的のない手段などない。
しかし、教育現場では、さまざまなところで「手段の目的化」が横行している。
だから、「当たり前」を見直すことが、
現状のゆがみにゆがんだ公教育を変えていくことにつながる。
近年、働き方改革が様々な業界で注目され、
それは教育界も例外ではない。
長時間労働の常態化や多岐にわたる業務内容などが問題になっている。
「削減」、「見直し」といった言葉が日々飛び交う。
でも、それはただ、削減して、減らして、簡略化するだけではいけない。
それも、「手段」だからだ。
「削減」や「見直し」は手段であり、そこには目的が不可欠である。
その目的は「子ども・生徒のために、本当に時間をかけるべきことに時間をかけるため。」だ。
そこを忘れた働き方改革は、形骸化する。
そして、この「目的」を忘れないために大切なのは、
やっぱり「今よりいい教育を常に模索して、イノベーションを起こし、児童・生徒がこれからの予測困難な時代を、世の中を生きていくための力をつけたい」と思う熱量だ。
工藤さんには、
さまざまなアイデアや柔軟な発想はもちろんだが、
その根底に、教育に対する尋常でない熱量がある。
血が通っている。
読んでいてそんな風に感じた。
そこって、すごく根っこの大事な大事な部分だと思う。
自分もそこはすごく大事にしてきたし、これからも大事にしたい。
でもそれだけじゃだめだ。
熱量と行動力、忍耐力、いろいろいる。
自分には何ができるか。
でも、やっていこう。
まずは、自分が。
そして、少しずつ周りも巻き込んで。
考え方の相違はあるけど、
きっと誰もが「子どものため」という最上位目的では、
ビジョンを共有できるはずだ。