小学校教員にょんの日々ログ

毎日の出来事や考え、思ったことなどとにかくアウトプット!

チャレンジ。 140

今年のクラスがスタートして、3か月。

あと1か月もしないうちに、夏休みに突入だ。

4月がスタートしたころに比べると、

ずいぶん、「自分たちの」クラスだという意識が育ってきたように思う。

あちこちで、勝手に「〇〇グランプリ」なんてものを企画し、

休み時間に勝手に参加者を募集して、

勝手にグランプリを開催。

「先生、終わりの会でちょっと時間もらえますか?」

と言ってきたと思ったら、勝手に表彰式。

折り紙でいつの間にやら、表彰状も作ってたりする。

頼もしいなあと思う。

でも、同時にまだまだだなあとも。

もっともっと本質的な部分で、一人一人にとって居心地のいい場所に、

一人一人がもっとしていくんだという前向きさで進んでいけたらと思う。

その中で、必要な時に協働したり、離れたり、

自由に、縛られることなく、クラスを楽しんでほしいと思う。

 

現在、グループごとに、社会において、

子どもたちが授業を進めるプロジェクトに取り組んでいる。

明日から、その授業の第一回が始まる。

ここまでの授業では、6時間程度の単元を二部構成で行ってきた。

授業の前半は、私が教科書を中心に授業。

しかし、極力シンプルに、各ページで設定されている問いに対して、

子どもたちがその答えを見つけ、それをまとめていくというもの。

まとめていく中で、要約する力も少しは上がったかなと思う。

授業の後半は、自分たちの授業に向けたグループ会議。

グループの中で誰がどんな役割を担うのか、

板書はどうするか?発問は?時間配分は?

そのあたりのことを、グループで相談しながら、決めていく。

そして、リハーサル。

どのグループも何だか生き生きしている。

本番の授業が楽しみだ。

もちろん、本番では、私は子どもたちの席に座って

同じように授業を受ける。

今回、授業プロジェクトに取り組み始めると、

ある男の子が、

「先生、パワーポイントとか使ってもいい?」

と言ってきた。

「もちろん。どうぞ。」

そう言って、教室のパソコンで、パワポの開き方を教えた。

でも、それだけ。

あとは、彼が聞いてくるたびに、

必要最小限のアドバイスだけした。

あとは、自分で考えてもらった。

すると、しばらくして、彼は、すごい進歩を見せた。

知らぬ間に、アニメーションやグラフなどまで使いこなすようになっていた。

そんな彼に刺激を受けてか、他のグループでも

「パワーポイントを使いたい。」という声が上がり始めた。

私は、これまた必要最低限のアドバイスだけして、

そこからは、お互いに情報交換して、教え合うように言った。

すると、勝手に自分たちで進めて資料を作っていった。

休み時間になってもやめる気配がない。

のめり込んで、没頭している。

チャイムが鳴って、授業が終わると、

急いで、パソコンの前に行って、続きを始める。

好奇心に、興味関心に、突き動かされている時の、

子どもたちの行動力、エネルギーは本当にすごいなあと、

改めて思い知らされた。

いやいややっているんではないからこそ、その過程の全てが、

自分の血肉になるんだろう。

 

また別の場面。

終わりの会で、ある女の子が提案をした。

「えっと、このクラスで『バカッコイイ日常』みたいなビデオを作ってみたいんですけど、どうですか?」

みんな、あんまよくわかってなくてポカーンとしていたけど、

説明してもらうと、納得。

「おお、いいやん!やろう!」ってことに。

うんうん、やればいいよ。

ビデオなら貸してあげるし。

何でもチャレンジやね。

もちろん、シナリオや撮影まで、自分たちでやってもらうけど。

 

うまくいくかはわからない。

実際、グランプリ企画でも、すでにスベッた企画がたんまりある。

でも、それでいい。

そこから、「次こそは!」って、

反省を生かして、先を見ればいい。

「こんなことしてみたい!」

「こんなことできたらな!」

をどんどん形にしていってほしい。

そのために、できる担任としてのサポートは惜しみなくするつもりだ。

小さな「できる」は、大きな「可能性」の芽を育てる。

そうやって、少しずつ実現に向けてのノウハウや、

粘り強さ、アイデアを練り合うこと、など身につけていってほしい。

教室は、もっと自由でいいはずだ。

失敗は「ナイストライ」と同義だ。

まだまだ。もっとできるはず。

そのために、自分に何ができる。

考えろ、考えろ。

時を越えて。 139

 

国語の授業だった。

子どもがインタビュアーで、私は、インタビューされる側。

横には、記録者がいて、私たち3人を取り囲むように、

クラスのみんなが様子を見守る。

 

インタビュアーの質問は、全部で5つ。

これは、子どもたちが今後行う言語活動のモデル。

デモンストレーションだ。

言語活動の具体的イメージを持ってもらうための。

 

インタビュアーの子どもからの3つ目の質問だった。

 

「先生が、本を読むようになったきっかけは何ですか?」

 

私の記憶は、大学2回生の頃へ飛ぶ―。

 

 

当時私は、絵に描いたようなクズ学生だった。

大学受験で燃え尽きてしまった勉強(狭義の意味での)への意欲が、

回復することはなかなかなかった。

2回生の最初に決まる分属では、希望の社会科に落ち、

やりたくもない国語科への配属が決まった。

授業への出席日数が足りなかった。

100人いる学科内で、希望の学科に分属が決まらなかったのは、

私ともう一人、学科でたった二人だけだった。

 

いやいや分属された国語で、特にやる気もない日々。

そんなぬるい一年はあっという間に過ぎて行った。

そして、3回生からスタートするゼミを決めるためのオリエンテーションがあった。

4~5人のグループで各ゼミ室を回る。

それぞれのゼミ室で教授の話を聞き、ゼミ選びの参考にするのだ。

入りたいゼミなどなかった。

当然、オリエンテーションにも身が入るわけもない。

適当に、ボーっと流れに従ってオリエンテーションをこなしていく。

そして、いくつかめのゼミ室に行った時のことだ。

そのゼミ室の教授は東大卒の権威ある教授で、怖いことで有名だった。

「絶対にこんなゼミ、入るもんか。ってか入れてもらえへんわ。」

と心の中で毒づきつつ、ゼミ室へ足をふみ入れた。

退屈で理解できない話が続く。

「ああ、早く解放されて、先輩と飲みにでも行きたいなあ。」

そんなことを思っていた。

すると、そのゼミ室でのオリエンテーションの最後に、

教授から質問があった。

 

「君たちが今まで読んできた本の中で、一番印象に残っている本は何だ?」

 

質問されて、頭に浮かんだ本は…

 

 

なかった。

 

ただの一冊も、だ。

 

けれど、そのことに特段ショックを受けたりはしなかった。

とにかくやる気が出なかった。

加えて入る気もないゼミ。

真面目に答えるのも馬鹿らしいと思った。

自分の番が回ってきた。

 

 

週刊少年ジャンプです。」

 

 

 

ボケた。

…という体を装っただけだ。

印象に残った本が思い浮かばないと正直には言えなかった。

 

あの時の一緒にオリエンテーションを受けていた学科の友だちのドン引き。

教授のこわばった顔は忘れられない。

すぐに冷静さを取り戻した教授は私にこう言った。

 

 

「君、教職を目指すなら、せめてまず一冊は本を読んだ方がいいよ。」

 

 

冷たく言い放たれた。

その瞬間、死んでしまいたいくらいの恥ずかしさが全身を覆った。

本当に、顔から火が出るとはこのことか、とそう思った。

そのあとのオリエンテーションのことはよく覚えていない。

気付けば、オリエンテーションは終わっていた。

 

大学からの帰り道、携帯に手をやり、電話を掛けた。

掛けた相手はおとんだった。

自分から電話をかけることなんてめったにない。

けど、その時は掛けずにはいられなかった。

 

「おお、お前か。どないしてん?」

「ああ、おとん。あんな、なんでもいいからオレでも読めるような本、

 一冊おすすめしてくれへん?」

「なんでや?」

「ええから。頼むわ。」

「…。別にええけど。んー、せやなあ…。

 ほんなら重松清の『流星ワゴン』なんかどうや。」

重松清の『瑠星ワゴン』やな?ありがとう。」

 

電話を切った私は、その足で近くの書店へ向かった。

マンガしか買ったことのない、その書店は、

何度も訪れているはずなのに、始めてきた場所のように心もとない。

慣れない中、あちこち探しまわり、「流星ワゴン」を見つけた。

見つけた勢いのまま、本を手に取り、レジへ向かう。

そのまま、購入。

逃げるように家に帰った。

気持ちが途切れないうちに、と思い、

部屋に入ったら、そのまま「流星ワゴン」をカバンから取り出し、

読み始めた。

こんなに活字だらけの何百ページもの本、生まれて初めてだ。

でも、「何が何でも読んでやる!」「一冊ぐらい一瞬じゃ!」と、

悔しさがガソリンになっていた。

 

けれど、そのガソリンは、読み始めて10分ほどしたら、すっかりなくなっていた。

その代わりにガソリンになったのは、

「続きを読みたくて仕方ない」好奇心だった。

ページをめくる手が止められない。

続きが気になる。

ご飯を食べる間も惜しい。

トイレに行くのも、もったいない。

早く続きを。この先を。

 

 

気付けば、朝になっていた。

「流星ワゴン」は、一晩で読み終わってしまった。

そして、涙が止まらなかった。

読書でこんな経験をすることになるとは、

昨日の自分では考えられなかった。

それは、今まで経験したことのない感覚だった。

 

その日から、それまでの読書の空白を埋めるように、

貪るように読書にのめりこんだ。

手始めに、片っ端から「重松清」を読んだ。

そこから、あとがきを執筆している作者の本に手を出し…。

芋づる式に、読んだことのある作者が増えていった。

でも、「流星ワゴン」の読書体験は、

今をもってしても不動の一位だ。

 

 

話は、インタビューに戻る。

そんな自分の体験談を話した。

みんな真剣に聞いていた。

 

 

そのインタビューモデルを見せた翌日、

「先生」と声をかけられ、振り向くとそこにYが立っていた。

Yは、鋭い子だが、余計な一言で対人トラブルが多く、

やる気にもムラッ気のある子だ。

そんなYが、言う。

 

「先生、『流星ワゴン』って、学級文庫にある?」

 

探したが、ないと言う。

そこで、私も一緒に探すことにした。

しかし、ない。

 

「家にあるかもしれんから見てみよか?」

「やった。」

「でも、急にどうしたん?」

「いや、なんか先生が昨日ゆうてたやん。ちょっとどんな本か気になって。」

 

内心うれしくて、家に帰ると、

大掃除をする勢いで「流星ワゴン」を探した。

しかし、なかった。

 

翌日、教室に行くと、Yが訊ねてきた。

「先生、『流星ワゴン』どうやった?」

「ごめん、なかったわー。」

「そっか…。」

明らかにしょんぼりと肩を落とすY。

 

そこで、今日、帰宅してから本屋へ行った。

さ行の作家の棚から重松清を探し、お目当ての本を探す。

あった。

「流星ワゴン」はあった。

大学生の時、初めて手に取った時と同じ表紙で。

ずっしりと手に重い。

レジでお会計を済ませ、家に帰った。

Yに見せてあげたい、その思いはあった。

でも、それと同時に、懐かしさにかられたのも事実だ。

家で、袋から取り出して、ページをめくる。

そうか、主人公が38歳の設定なのか。

あの頃は、ずいぶんと年上だと感じていたけれど、

今は、主人公とたった2つしか違わない。

とりあえず、Yに貸して、返ってきたら、もう一度読んでみよう。

新しい発見があるかもしれない。

あの時、おとんが教えてくれた「流星ワゴン」が、

今度は私とYとをつなぎ始めている。

Yが気に入るかはわからない。

そもそも5年生が理解できるのかも。

でも、それでいい。

それでもいい。

経験すればいいんだ。

それは、どんな結果でもゼロにはならないはずだ。

 

目的とルール 138

空き時間に職員室で仕事をしていた。

その時、「失礼します」という声と共に、ドアの空く音がし、

そちらを見ると、そこには、クラスの男の子が立っていた。

瞬間、私と目が合う。はっきりと合う。

時間にして一秒にも満たなかったが、

なぜだかもっと長い間、目を合わせていたような錯覚に陥った。

そして、次の言葉を待っていると、彼は衝撃の一言を発した。

 

「にょん先生はいますか?」

 

 

ええええええええええええ!?

おるよおるよ!?ここにいるよ(→Soulja feat.青山テルマ。なつかしい。)

てか、目合ったよね、今!?がっつり合ったよね!?

それとも、あれですか?見えてないですか?

あれ、ぼくって透けてます?

死んだことに気付いてない的なドラマでありがちなヤツですか!?

内心、猛烈にツッコみたい衝動に駆られたが、グッと我慢した。

そして、優しく一言返事した。

 

「いますね。」

 

そりゃ、そうや!

本人のお墨付きや!!

ここに、確かに、ぼくは、いる!!

われ思うゆえにわれあり!!

 

その後、彼のもとへ向かい、用件を聞き、

必要なことを伝えると、

彼はすっと教室へ帰っていった。

 

 

 

…とここまでは、笑い話。

職員室の先生とも、後で笑って話していた。

 

 

でも、この出来事に、内心で危機感を覚えた。

「失礼します。〇〇先生はいますか?」

は、いわば、全校児童が職員室に用があってくるときの、

マナーとして、定められているものだ。

明文化まではしていないが、そう指導している。

このマナーには、当然、「目的」と「相手」がいる。

「目的」は、自分の生活スペースではないところへ入っていくときに、

相手に失礼なく、お互いに気持ちよくコミュニケーションをとるためである。

「相手」は、この場合で言えば、職員室にいる教員になる。

当然ながら、「相手」がいることなので、

自分側の都合だけで、毎回同じ対応をしていればいいものではない。

今回は、まさにそうだ。

「失礼します。〇〇先生はいますか?」

というのが、暗黙の了解であったとしても、だ。

その言葉を発する前に、確実にアイコンタクトを交わして、

お互いに相手の存在を確認している状況では、

「〇〇先生はいますか?」は必要ない。

いるのが、アイコンタクトでわかっているのだから、

「〇〇先生、用事があってきました。少しいいですか?」

などと、その先に勝手に進めばいい。

でも、これができない。

つまり、自分で考えていない。

思考停止状態である。

暗黙の了解に従って、状況云々ではなく、

ただ決められた通りに動けばOK。

そこには、生きた相手が介在していない。

 

でも、そうじゃないだろう。

コミュニケーションは、生きた相手とのやり取りだ。

基本はあっても、それが全てなんてことはない。

いくらだって例外はある。

そこで、これまでの経験や知識を生かして、

どう最適解を導き出して、対応するか。

それこそが重要で、

これからの社会で生きていくために必要な力の一つではないのか。

 

でも、問題の本質は、そこではない。

職員室にやって来た彼は、素直で真面目なだけだ。

全く悪くない。

なぜなら、そう対応するように、

そう対応することしかできないように、

指導してきたのは、他でもない私たち教員自身だからだ。

 

だから、内心危機感を覚えた。

今年度が始まって3か月が過ぎた。

本当の意味で、自分の頭で考え、それを行動に移し、

失敗しても、そこから学び、自分をアップデートしていく、

そんな風に子どもたちが育っていけるように、支えていかなければいけない。

ちょっとした場面だったが、

現在の画一的な教育現場の弊害が浮き彫りになった出来事だと思った。

一気には変えられない。

一人では限界がある。

でも、できることはゼロじゃない。

だから、動かなければ。

課題が見えている。

手立てをたてろ。

動き出せ。

思考停止になるな。

トライ&エラーをくり返せ。

ただ、ひたすらに、ひたすらに。

地道に、地道に。

熱い想いに心動かされ、お返事! 137

前回の記事の続き。

 

yamanyo.hatenablog.jp

 

昨日、気合を入れて、便せんに向かい、

Aくんのお父さんとお母さんへ、そしてAくんへ、

お手紙のお返事を書いた。

頭の中に、「こう書こう!」というシナリオがあったわけではない。

ただ、あの熱いお手紙にあてられて、その勢いのまま、書いた。

正解か不正解かなんて、どうでもいい。

ただ、お手紙を受け取って、感じ取り、思ったことを言葉にするだけだ。

そこには、本当に教師と保護者という線引きでの計算はなかった。

それだけは、自信を持って言える。

ただただ、熱い想いに、同じか、それ以上の熱量で応えたい。

ただそれだけだった。

以下、お返事に書いたことを、ここに残しておく。

Aくんのお父さん、お母さん、こんにちは。

性懲りもなく、お手紙を書いてしまいました。

B家のみなさんの貴重な時間を奪ってしまい、誠に申し訳ありません。

ただ、あのような熱く、そしてステキなお手紙を頂戴し、

どうしてもお返事を書かずにはおれない自分がいまして、

その自分をごまかすことは難しいと判断し、

こうして手紙を書いています。

こうしてお返事を書きながら自分自身、どこが着地点になるか、

見当もついていないのですが、

とりあえず衝動のままに、思ったことを書かせて頂こうと思います。

(→なんて迷惑なんだ…。)

さて、本当に本っ当にステキなお手紙をありがとうございました。

いろいろお伝えしたいことがあるのですが、

まずはAくんのなんとうらやましいことか…!!

幼少の頃から、様々な音楽に触れる機会があるなんて、

最高に幸せなことだと思います。

実は、うちの父親も音楽が好きで、

私も小さい頃から、ローリン・ヒルやらジャミロクワイやら、

いろいろ聞かされて育ちました。

おかげで、高校生ぐらいまで音楽の趣味が合う子がいませんでした(笑)

でも、それを補って余りあるほど、音楽とともにある幸せを

もらってきたと思います。

今振り返ってもすごくありがたいことだったなあと思っています。

…というか、お父さん!失礼ですが、

お父さんは音楽ライターの方ですか!?

音楽への造詣の深さ、日食なつこの曲の豊かな解釈…、

もうお手紙が神々しくて、後光差している感が半端じゃなかったです。

お手紙を拝読し、「水流のロック」を聞き直してしまいました。

ここで、私もお父さんに便乗して、

「水流のロック」トークに花を咲かせてしまうと、

便せんの分厚さが、タウンページのようになってしまいそうなので、

控えておきます。

どこかで機会があれば、お話させて頂きたいものです。

お手紙の後半で、非常に重大な問いを投げかけて頂きました。

今回のお返事の主な目的が、

その問いに対する自分なりの答え(にもなっていない考えのようなもの)を

お伝えするというのが1つあります。

その問いが先生にとって"ロック"とは何ですか?でした。

お恥ずかしい話、自分にとっての"ロック"という存在について

考察したことがありませんでした。

なので、お父さんにとっての"ロック"を拝読し、

ただただ感心するばかりでした。

私は、あのお手紙にあったように、はっきりと言い切れるお父さん自体を

"ロック"そのもののように感じました。

そして、そんなお父さんの言葉で、確かに私の中の心に火が灯りました。

その火を頼りに、この手紙を書いています。

私にとっての"ロック"…。うーん、何だろう。

色々考えました。すると頭に色んな映像が浮かんできました。

職場からのバイクでの帰り道、

なぜだか泣きそうなぐらい空がきれいだったこと、

仕事がうまくいかず、死ぬほど悔しくて苦しくて叫びだしたかったこと、

卒業式で最高の笑顔を見せてくれた子どもたち、

高校時代、全力で挑んでも勝てなかったサッカーの全国予選、

大切な人との出会いや別れ。

そこには、自分が大切にしてきた、

大切にしている、

大切にしていきたいものがたくさんありました。

そこには、いつも音楽がありました。

私の頭の中で鳴り響いていました。

これまでたくさんの経験をして、昔の自分と今の自分の姿を比べると、

「変わったな」と思うことがあります。

たくさんあります。

でも、その根っこの大切なものは、案外変わってないものです。

今回、考えて見てそう思いました。

…で、自分にとっての"ロック"が見えてきたような気がします。

それは、

「変わらないために、変わることを恐れない」

ことかなという結論になりました。(今のところ)

私は今の仕事が大好きです。

ブラックだなんだって言われることも増えましたが、

大好きな気持ちが揺らいだことは1㎜だってありません。

でも時代は移ろい、教員に求められるものも変化し、

多様になってきています。

今までのやり方や考え方では歯が立たないこともたくさんあります。

だから変えるべきは変えて、自分が変わる。

でもそれは決して自分の大切にしたいものを曲げるわけではない。

自分の大切にしたいものを曲げないために変わる。

その姿勢こそが、私にとっての"ロック"です。

そんな私を、音楽はいつだって、鼓舞してくれて、

慰めてくれて、背中を押して、寄り添ってくれます。

…勢いのままに書いてしまいました。

全くもって相手意識の欠片もないお手紙、重ねて申し訳ありません。

でも、これが今の私の精一杯です。

お父さんのお手紙の中にあった「子どもたちと共に」、

私も大事にしてきた、これからも大事にしていたいことです。

このようなことを書く機会を与えて下さり、ありがとうございました。

校舎も違い、なかなか話す機会も見つけられないのですが、

Aくんとも、早く音楽トークをしてみたいものです。

長文、乱筆、失礼いたしました。ご容赦下さい。

                             敬具

                        令和元年 6月25日

                  エアコンの風強めのリビングにて

                              にょん

 

…ってなんて失礼なことを!!申し訳ありません、お母さん!!

好きな日食さんの曲のフレーズを書いて来て下さってたのに!!

「seasoning」も「ヒューマン」もめっちゃいいですよね♪

どっちの歌も大好きです。

ちなみにぼくは、

「立派な理想像描けた自分が夢そのものより愛おしいかい」

が好きです。

調子乗りそうになったら、自分への戒めに心に刻みます。

あと、「さあ掘り当てろよ最高に尖がった宝石を

ポケットに入る石ばっか集める毎日は楽しいかい?」

もすんごい好きです。

何か迷ったときは、このフレーズを思い出します。

「お前はポケットに入る石で満足してないか?

道は険しくても、最高の宝石は手に入れられんじゃないか?」って。

 

すいません、本っ当にダラダラ長くなってしまいました。

お父さん、お母さん、Aくん、本当にありがとうございました。

そして今後もよろしくお願いしますっ!!

 

って、長文の手紙を書いて、今日渡してもらった。

お返事として、正しかったのかどうかは、

今もってわからないまま。

でも、伝えることは大事だ。

あの熱量にはきちんと応えなければ!

応えたい!

そう思った。

人の熱は、感染するなあ。

でも、だからいい。

クラスでも、

子どもたちがお互いの心に火を灯し合って

内発的動機付けをして、高め合っていってほしい。

いや、そういうクラスの中で一人一人が輝けるように、

これからも最大限のサポートを続けたい。

そう思った。

お返事第2弾。 136

小学生にして、ライブに連れて行ってもらいまくり、

およそ小学生とは思えないコアな曲を口ずさむ他学年のAくん。

 

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彼に、手紙を書いたことがきっかけで、Aくんのお母さんが手紙をくれた。

 

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お母さんからの手紙には「第一弾」と書かれていて、

はっきりと「第二弾」の存在を示していた。

何となく気になりながらも、日々は流れ、

私も半ばそのことを忘れ、普通に日々を過ごしていた。

そしたら、今日、突然「第2弾」はやってきた。

放課後、Aくんの担任のN先生が、手紙を持ってきてくれたのだ。

 

「にょん先生、Aくんのお父さんから手紙、来ました。」

 

放課後、声をかけてくれた。

 

「…でも、これ。めっちゃ分厚いですよ。しかも、『+母』って書いてます!」

 

封筒の裏を見ると、確かに、お父さんとお母さんのお名前が。

(これは、本気の「第2弾」やな。心して読まねば。)

私は、手渡された封筒を前に、気を引き締めた。

丁寧に封を開けると、そこには、ルーズリーフ5枚が折りたたまれて入っていた。

ルーズリーフを開くと、そこには、びっしりとお父さんからの文章が書かれていた。

 

拝啓、初夏の候、山々の緑も鮮やかではございますが、

にょん先生に置かれましては、お変わりなくお過ごしでしょうか。

ん?…固いな…やり直して…

山野先生、こんにちは、Aの父、Bです。

いつもAがお世話になっております。

また、この度はAに心のこもったお手紙をいただき、

誠に有難うございます。

Aにおいては、大人から手紙をもらうなんて事は

じいちゃん、ばあちゃん以外あり得ないと言っても過言ではないので、

いい経験をさせていただきました。

僕自身、久しぶりに自筆の手紙と書き手の思いがぎっしりと詰まった

内容に、読み終えて心がほっこりしました。

"先生と生徒"、"大人と子ども"、立場や世代を超えた関係を

音楽が紡ぐって素晴らしいですね。

僕が尊敬してやまない佐野元春の言葉を借りると、

"ポピュラー音楽のソングライターこそが現代の詩人で、

ポップソングは時代の表現であり、時代を超えたポエトリー"

つまり、ロック音楽は世代を超えた存在で、世代に関わらず

同じ感覚で楽しむことができるアートであるということです。

おおげさではありますが、

まさにロック音楽が世代を超えたと思いました。

 さて、Aと音楽ですが、彼は両親のエゴに付き合う形で

様々な音楽に幼少の頃から触れております。

車に乗れば音楽、旅行すれば音楽、家にいても音楽…

あっちこっちのライブやフェスに連れていかれてますが、

彼なりに楽しんでいるようです。

この間の日食なつこのライブも楽しかったようです。

さて、その日食なつこについてですが、

彼女の場合、僕が着目している点は、詩の世界の中心の深さに伴う

ピアノ演奏と歌唱力、表現力に尽きる。

イメージは大海原、深海に一気に潜る時に発する

マッコウクジラのクリック音のような儚さと言えば大げさか…

A推しの「水流のロック」における詩の世界観は、

ロック音楽の原点を現在進行形で表現し、

"詩とメロディーを見事に融合"させた結果、

生まれた曲ではないでしょうか?

メロディーだけでもダメ、詩だけでもダメ。

それぞれが接着されたはじめて成立する。

また、この曲におけるkomakiとのコラボレーションは、

この曲の完成には欠かせない。

ピアノとドラムのみで表現されているとは思えないほどの深さを

持ち合わせている(実はベースも録音されているが)

"歌ってほしいよロックンロール

踊ってあげるよscreaming dance

ここでふたり起こした逆流で

世界がどよめけばいいと思うんだよ、水流のロック"

というフレーズで歌われる"ふたり"とはまさに

日食なつことkomakiを指しているのではないか?

それはまるで映画「Easy Rider」でデニス・ホッパー

ピーターフォンダのような絶妙な関係

ロードムービーにも似た疾走感が魂を揺さぶる。

その証拠にこの曲ではkomakiがリムショットハイハット

自在に操り、音階のないメロディーを奏で、著しく変化する

リズムというウネリを彼女のボーカルと同期させ、

まさにドラムで唄っているとさえ思える。

そして、終盤のブリッジ部分で唄われるフレーズで

彼女なりのロック音楽に対するリスペクトは完結する。

"声を貸すからロックンロール

言葉を貸してよロックンロール

君のいつかのロックンロール

僕の声でもいいのならば"

(この後、再びkomakiのドラムが炸裂する!!)

皮肉にも今の学校教育の現場に置き換えると僕にはこう聴こえてしまう。

"先生の声を聞かせてよロックンロール

子どもたちの声を借りてよロックンロール

親もあの頃子どもだったよロックンロール

あなたの声でいいんだから"

教育現場の歪みをロックしてください。

先生にとって"ロック"とは何ですか?

僕にとっての"ロック"とは"世間の風潮や主流に対して「NO」と答えることができる精神"だと思っています。

教育現場における教師という立場は教育ヒエラルキー

弱者なのか?"NO"です。

教育現場における教師という立場は保護者の意見に忖度すべきなのか?

"NO"です。

教育現場における教師という立場は?

「Yes」を探してください。それが教師の仕事です。

子どもたちと共に過ごしてください。

子どもたちと共に探してください。

先生の時間が許す限り。

ということで改めましてお礼申し上げます。

本当にロックのこもったお手紙有難うございました。

長文乱筆お許しください。               敬具

 

 

ちなみに母は…(ここからはお母さん 笑)

「完ぺきな人生を欲しがる前に今日笑ったかどうかを確かめろよ」

ってとこが好きです。

子どもたちといっぱい笑ってあげてください!!

私はいつもAを怒ってばかりですが。

あ、あと、「きっとこいつならば人を割り当てても、生き抜いてくれると神様は、悩み似た挙句にボクらを選んだ」ってとこは、

苦しい事にも立ち向かえる気がして好きです。

いっぱい好きがありすぎましたね。

それでは、ホントにサヨウナラ。       母

 

…という手紙でした。

 

いやいや、圧倒された。

こんな熱量の手紙、人生でなかなか受け取る機会がない。

胸が熱くなった。

会ったこともないのに。

担任でもないのに。

 

でも、

 

本気が伝わるから。

 

この人は、本気だ。

本気で書いている。

文章のうまさ云々ではない。(いや、上手いけど…)

その熱量に当てられてしまった。

心に火をくべるような。

理屈じゃない。

どうしようもなく、心がうずく。

じっとしていられない。

動き出さなければ。

そう思わされた。

 

これも何かの縁なんだろう。

出逢いなんだろう。

これから先、これがどう転がるかなんて、全くわからない。

でも、とりあえず、私が心に感じたことを

またお返事にしたためようと思う。

まっすぐに伝えようと思う。

伝えたい。

 

音楽って、最高だ。

自分の中の最高が、何度だって更新される。

限界がない。

それがたまらない。

新しい人ともこうしてつながれる。

 

そして、何より、

Aくんのお父さん、お母さん。

ありがとうございます。

最高です。

すっげー楽しいです。

近いうち、またお返事書きます。

待っといてください。

そして、Aくん。

音楽トークしようね、絶対。

 

近況報告。 135

放課後、ベテランの先生とクラスのことで珍しく話し込んだ。

で、話していると、ポケットの中のスマホが、ブーブーと振動している。

「ああ、奥さんからかな。」

そう思ったが、もちろんベテラン先生の話をさえぎって、

スマホを見るなど、気が引けてできない。

私は、スマホの振動に気付かないふりをして、話をつづけた。

 

先輩との話が終わった後、ポケットからスマホを取り出した。

着信を確認する。

しかし、意外なことに着信ではなかった。

LINEメッセージの通知が画面に表示される。

…にしては、ずいぶん長いことブーブーゆうてたけどなあ。

不思議に思いつつ、LINEを開いて、ぎょっとする。

 

未読メッセージ130件。

 

え!?何かの故障!?バグ!?

わが目を疑った。

差出人を見ると、卒業生だった。

何のことはない。

ひたすら同じスタンプを押しまくる、

彼女ら曰く、「スタ連」というものらしい。

いたずらか?と思うが、最後にメッセージが添えられていた。

 

「先生、今、学校におる?」

 

在校の旨を返信すると、

 

「かも~ん」

 

とふざけた返事が返ってきた。

 

まさか!!

 

私は、自分の頭に浮かんだ考えを確かめるために、

急いでグラウンドへと出た。

そこには、自転車が2台。

LINEの主である卒業生が二人、そこにはいた。

 

彼女らは、以前の記事でも書いた子たちだ。

 

yamanyo.hatenablog.jp

 

今日までに、すでに2回ほど学校に顔を出しに来てくれた。

暇なのか。笑

きっちり制服姿を見せに来てくれた律儀な子たちだ。

「今日は、どうしたん、急に?」と聞くと、

「あ、先生に報告したいことがあってん。」とのこと。

とりあえず、黙って聞くことにした。

 

「あんな、学校で英語のスピーチコンテストがあってんやん。

 それで、クラスで10人ずつ代表が選ばれんねんけど、それに選ばれてん。

 でな!その後の、各クラスの代表が集まって、みんなの前でスピーチしてんけど、

 それでな、40人中、4位やってん!!表彰状ももらってん!!すごいやろ!!」

 

と、めちゃくちゃまぶしい笑顔で報告してくれた。

 

「それを、わざわざ先生に報告に来てあげてん。優しいやろ♪」

だそうだ。

 

照れ隠しで、最後にそう付け加えたんだろうけど、

いや、優しいよ。めちゃめちゃ優しいやん。

口にはしなかったけど。

 

その後、報告の用事は終わったけど、

そのまま居残り、結局7時ぐらいまで話し続けた。

どうやら、話が尽きないらしい。

でも、辺りもずいぶん日が沈んで来ていたので、お開きにした。

でも、また近いうちに来るらしい。

うれしいことだな、と思う。

言葉の端々から高校生活を謳歌している様子が感じられて、

とても幸せな気持ちになった。

 

何度だって言おう。

教師って、いい仕事やわ。笑

再会。 134

宿泊学習から帰ってきたその日、

飲み会に出かけた。

 

話は2週間前に遡る。

その日、仕事を終えて、帰宅し、スマホでLINEを開くと、

画面左上の鐘マークに「①」と赤いマークがついていた。

普段あまりないその通知に、

「何だろう」と思い、鐘マークをタップした。

そこには、

「今日はMさんの誕生日です。お祝いのメッセージを贈りましょう。」

とあった。

Mは、私が教員になって初めて受け持った女の子だ。

5・6年の2年間受け持ち、担任として卒業を見届けた。

初めて卒業を経験した子どもたちだけあって、

今でも鮮烈に記憶している。

その代の内の1人が、Mだ。

 

一瞬、メッセージを贈るのをためらった。

成人式で再会し、連絡先も知っていたとはいえ、

普段から連絡を取ったりなどしていない。

向こうからしたら、急に昔の担任から

誕生日おめでとうメッセージが来ても困るんじゃないか、

そう思った。

でも、この通知を見たのに、誕生日を素通りすることも、

同じくらいためらわれた。

そこで、同じためらいなら、贈ってしまおう!

そう決断し、短いメッセージを贈った。

 

すると、しばらくして、Mから返事が来た。

「にょん先生~!ありがとうございます!

 お久しぶりですね~!元気してますか?

 先生まだ大阪いてますか?私もうすぐ和歌山行くので、

 それまでにもしよかったらご飯行きたいです!」

 

思わぬ展開に面食らったが、

これも何かの縁。

久しぶりに会う教え子の近況も気になるし、

ということで二つ返事でオッケーし、

日程調整をした。

その結果、宿泊学習から帰ってきた日だと、みんなの予定が合う、

ということで、この日に決まったのだ。

 

私は、仕事から一旦帰っての集合だったので、少し遅れた。

急いで電車に乗り、予約した店へ向かった。

店の入り口で店員さんに予約名を告げ、奥へ向かうと、

MとNの二人が先に来て、しゃべっていた。

二人とも、見違えるほどすてきな大人の女性になっていた。

呆気にとられた。

二人は私の姿を認めると、くしゃくしゃの笑顔で再会を喜んでくれた。

その笑顔は、小学校の時とちっとも変っていなくて、

急に懐かしい気持ちがこみあげてきた。

「先生、メガネねっちゃ汚れてんで 笑!」

早速いじられた。

懐かしい。

そうやった、そうやった。

こうやって、毎日毎日いじり倒されてたっけ。

大学を出てそのまま就職して受け持ったから、

23の年に11になる子たちを担任していたことになる。

今考えると恐ろしい。

今目の前にいる元教え子たちは、今年24歳。

あの時、この子たちを卒業させた時、私は24歳だった。

目の前の子たちの歳の時に、当時12歳だったこの子たちを卒業させたのだ。

当時の私は、本当に学生の延長のような感覚でこの仕事をしていた。

今思い返すと、全く恥ずかしいやら、情けないやら。

消えてしまいたくなる。

担任というより、年の近い兄ちゃんみたいな感覚だったように思う。

子どもと同じように遊んでは、怒られたりもした。(教師っぽさのかけらもない)

授業も散々だった。

つけたい力よりも、自分がやりたいことを優先していた。

ほんとにめちゃくちゃだったと思う。

武勇伝でも何でもない無計画の塊。

だから、あれからいくらか経験を積んだ今、

何だか申し訳ない気持ちが心のどこかにあった。

でも、今の教育のシステムの中では、

こちらがどう考えていようと、子どもたちにとっては「先生」だし、

いくらこちらが「失敗した!」と後悔しても、

子どもたちにとってはその授業は「一回キリ」だ。

 

でも、MもNも、うれしそうに次から次へと、小学生の時の話を、

それはそれは楽しそうにしてくれた。

私に隠れてしたいたずらの数々。

授業中の私のどうでもいい話。

クラスでしたイベント。

当時の恋バナ。

話を聞いている間に、私の中にも記憶の花が咲き始めた。

話を聞く今の今まで全く忘れていたことが、急に思い出されて、

それを触媒にまた他の記憶がよみがえり、

次から次へと咲く記憶は止まらなかった。

あの頃、確かに私はこの仕事を楽しんでいた。

子どもたちにとって、十分にその力を伸ばすような授業はできなかったし、

学級経営もその場しのぎで切り抜けてばかりだった。

保護者対応も学級通信も、ろくでもなかった。

でも、確かに楽しかった。

そして、それは、子どもたちも同じだったようだ。

それがうれしかったし、唯一の救いだった。

 

「先生の授業はわかりやすかった!

 高校までの色んな先生の中でほんまに一番わかりやすかったし、

 楽しかった。」

 

「あと、いい意味で先生っぽくなかった。

 あんだけ全力で遊んだり、何かしてくれる先生折らんかったもん。」

 

そんな言葉をかけてくれた。

何ていい子たちだろう 笑。

どうしようもない担任だった私を、「先生」と呼び、

「先生」にしてれたんだな、この子たちは。

 

今、ここにこうして再会して、あの頃のように話ができている。

夢のようだ。

この仕事を続けていて、良かった。

心からそう思った。

最高に幸せな仕事だと思った。

ブラックだなんだって言われることも増えてきた。

でも、誰がなんと言おうと、この仕事は最高だ。

こんな素敵な子たちと出会えるんだもの!!

これが最高以外の何だというのか。

話は尽きず、途中で仕事終わりのKも合流し、

4人でずっと笑っていた。

みんな、大人になって、それなりに悩みもあるみたいだったし、

苦労も挫折もしてきたようだ。

それでも、こうして元気に笑い合えるし、

明日は来る。

うまくいかないことは、どんどんやってくるし、

理想の自分と現実の自分のギャップにも絶望するし、

それでも、悪くない。

全然悪くない。

人生、悪くない。

 

そんな前向きな気持ちにさせてもらった。

教え子って、偉大だ 笑。

 

また、いつか再会する機会もあるだろう。

その時に、またこの日みたいに笑い合えるように、

そんで、バカ話に花を咲かせられるように、

自分の人生を精いっぱい生きようと思った。

スマートじゃなくても、間違えても、転んでも、

別にいいから、

精いっぱい生きよう。

そんな風に思った。